ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2021.10.20 “今ここ”が最善、これぞサントーシャ!

2021-10-20 21:28:12 | 日記

 読売新聞医療サイトyomiDr.で連載中の高野利実先生のコラム「Dr.高野の腫瘍内科医になんでも聞いてみよう」最新号に、これぞ真理なり!と膝を打った。
 以下、転載させて頂く。

※    ※   ※(転載開始)

2021年10月20日 医療・健康・介護のコラム
メディアで取り上げられた「画期的な新薬」を使いたい。いつまで待てばいいですか?

 医学は日々進歩し、新しい薬が次々と開発されていて、現在の患者さんは、その進歩のおかげで、10年前の患者さんからみたら奇跡的とも言える医療を受けています。実際にここ10年間で、進行がんの患者さんの命の長さは着実に伸びていると報告されています。
 でも、患者さんは、「素晴らしい医療を受けられて私は幸せだ」と実感できているでしょうか?

もっといい治療が受けられるはず…
 私の印象では、今の医療に満足している患者さんよりも、「医学が進歩すればもっといい治療が受けられるはずなのに、今はこの程度の治療しか受けられずに残念だ」と思っている患者さんの方が多いように感じます。医学が進歩する一方で、人々の期待は、その進歩よりもさらに先を行ってしまい、現状では満足できなくなっているのかもしれません。
 「これだけ科学が進歩しているのに、なぜがんを治せないのか」「最先端技術を使えば、自分の体にできたがんを消し去ることができるはずなのに、なぜ医師はそういう治療法を提示してくれないのか」……進行がんの患者さんの多くは、そのような不全感を抱きながら、病気と向き合い、治療を受けています。
 テレビ、新聞、雑誌などのメディアは、今受けられる標準的な治療よりも、今はまだ受けられない「夢の治療」を取り上げる傾向があります。その方が、視聴者や読者の関心も高く、視聴率や売り上げもよくなるようです。その結果、人々の期待はますます 煽あお られ、「もっといい医療があるはず」というイメージが根付いていきます。
 「標準治療」というのは、今ここで受けることのできる最先端で最高の治療なのですが、一般にはそのようには受け止められておらず、標準とは「並」であって、そんな不十分な治療よりも、「上」や「特上」の治療を受けたいと思ってしまう患者さんが多いようです。

未来への期待と「満たされない気持ち」
 未来に期待したい気持ちは自然なものですし、私たちも、よりよい未来の医療をつくるために、日々研究に取り組んでいるわけですから、その思いは一緒です。でも、来るかどうかもわからない未来を基準に考えることは、必ずしも得策ではありません。「もっといい医療があるはず」という思いを抱きながら病気と向き合い、最期を迎えた患者さんもたくさん診てきましたが、治療の恩恵を受けていたとしても、残るのは「満たされない気持ち」です。今できる最善の治療を受け、その恩恵を実感し、「やるべきことをやっている」と納得できれば、心の余裕も生まれ、あせることなく日々を送ることができると思うのですが、それを妨げてしまうくらい、「夢の治療」への期待が増幅しています。
 「未来を見るよりも現実を見るべき」というのは、夢も希望もない冷たいアドバイスに聞こえるかもしれませんが、私はそうは思っていません。むしろ、「今ここで受けられる医療」こそ素晴らしいものであって、それを最大限活用することに力を注ぐのが得策です。そして、それは誰もが普通に受けることができるものです。

(転載終了)※   ※   ※

 今私が受けている治療薬エンハーツは、10年前にはなかった薬である。昨年5月に承認されたばかりなのだから。もはや完治はしない、沢山の薬を使ってきた患者さんたちがその画期的な効果の恩恵を受けているという。その薬は、標準治療となって3割負担で誰でも受けることが出来る。私もその恩恵を享受している一人である。

 大分前のことだと記憶しているが、診察室で「こんなに医療が進歩してどんどん良い薬が出来て、(病気になるなら)なるべく後の方がいいですね。」と呟いたことがあった。その時、主治医は「でも、ハーセプチンもなかった時代があるんですよ。」と仰った。

 そうなのである。その当時に再発していたら、私はとっくにこの世に存在していなかっただろう。もっと、もっといい薬を、・・・と言い続けていたら、高野先生が書かれている通り、せっかく良い治療を受けていながら常に不全感で満たされ、決して幸せではいられない。
 完治はしなくとも、治療を続けながら14年近く病と共存出来ているということ、これを奇跡と言わずなんと言おう。

 今ここにあるものが最善最良の治療であることは間違いない。それに感謝せずになんとしよう。
 やってくるかどうかわからない未来を待ちながら、今受けさせて頂いている治療に感謝せずに、夢の治療を追いかけることは決して幸せではない。

 私たちは幸せになるために生まれてきた、というのがヨーガの教えである。そして先日ヨーガスートラ講座で学んだばかりのニヤマ(ヨーガの規範)では“サントーシャ”(知足)である。
 まさしく足るを知る、である。

 幸せを探すクセが日頃からあるかどうか、当たり前だと思っていることが実は当たり前ではないということに気づけるかどうか、そのことに幸せを感じられるかどうか。
 今ここにあることは奇跡が繋がった結果である。

 朝、アラームの音で目覚めてちょっぴり朝ヨガをすれば、お腹が空いて朝食が頂けること。お天気が良ければ洗濯物をベランダに干して、太陽の光を身体一杯に浴びられること。
身支度をして自分の足で歩いて仕事に向かえること。お昼になったらまたお腹が空いて、さて今日は何を頂こうかと思いながらランチが美味しく頂けること。仕事を終えて、ヨガスタジオに通えること。たっぷり汗をかいてシャワーでサッパリできること。夕食を頂いて食後の薬を飲んだら眠くなってソファでウトウトしてしまうこと。夫に起こされてお風呂に入ってベッドに行けばすんなり眠りにつけること。
・・・書き始めたらキリがない。

 そして、感じられる幸せには他の人と比べて、ということはない。あくまで幸せを感じるのは自分自身である。

 そんな沢山の幸せに囲まれて毎日を過ごせていることに改めて感謝しながら、これからの日々も笑顔で過ごしていきたいものである。
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