ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.8.4 旅行7日目、無事帰国

2012-08-04 22:00:56 | 
 昨夜は、日付が変わる頃、ほぼ定刻通りにホーチミン空港を離陸した。
 搭乗前には、旅のアンケートを書きながらも眠くてたまらなかったが、6時間の飛行時間の間中は眠ることが出来ず、本を読んだりしながら過ごした。カーディガンを羽織り、ブランケットにくるまっても、かなり寒い。赤ちゃんや小さいお子さん連れのお客さんが多かった。泣き疲れて寝てしまうのでは・・・という願いも空しく、一晩中泣き続けた赤ちゃんもいて殆ど完徹状態。

 日本時間で6時前、窓の外は見事な朝焼け。ほどなく朝食がサービスされたが、ろくに顔も洗えず、歯も磨けず、加えて寝不足では、食欲は殆どない。フルーツとヨーグルトをつまんで、食後にフェアストンを飲んだ。
 出かける時はロキソニンの手持ちが少なく、不安に始まった旅だったが、別の痛み止めを1度飲んだだけで、ロキソニンのお世話になることがなかった。毎朝食後にフェアストンを飲んだだけで、本当に不思議なくらい体調が良く、何とも有難かった。

 頭を雲の上に出した富士山がくっきりと見え、ほぼ定刻通りに無事着陸。入国審査も全く並ぶことなく、ガラーンとした雰囲気で、ちょっと怖いくらい。さすがに朝早いので、到着便も少なくターンテーブルからスイスイとスーツケースが出てきた。車椅子でアテンドされた父と付き添いの母と合流し、お世話になった添乗員さんにご挨拶。

 最寄り駅行きのリムジンバスを30分ほど待って帰路へ。別ルートに乗った両親とは5分違いのバスの発車となり、空港で別れた。空港での気温は28度弱。暑さを覚悟していたが、久しぶりのお湿りがあったそうで、楽だった。
 この旅行中ずっと少人数のグループだったので、バスの中では1人で2席を使わせてもらっていた。そのため、隣に人がいるととても圧迫感を感じてしまう。発券する時に「中央道が渋滞のため20分ほど遅延」とは聞いていたが、新宿辺りから全く動かなかった。
 結局、3時間以上かかって、到着はお昼を回ってしまった。軽く昼食をとり、最低限の買い物をしてようやく帰宅。殆ど同時に両親から到着の留守番電話が入っていた。あちらも3時間半以上かかったとのこと。とはいえ、大荷物を持って電車のホームを上り下りするよりもたとえ時間がかかってもバスの方が世話無しだろう。

 1週間留守にした我が家の窓を開け放し、スーツケースから出てくる出てくる大量の洗濯物を片付けるため、洗濯機を回すこと4回。さすがに途中でクラクラしてきたが、とにかく何とか汚れ物が目の前から消えてくれてほっとした。

 夕食はこの1週間の飽食からお腹を休ませるようにさっぱりと済ませた。そしてダイニングテーブルにはお風呂の故障のお詫びに、とホテルからプレゼントされたランタンにろうそくを灯して洒落てみた。
 今しがた、撮ってきた写真千数百枚をスライドショーにして観終わったところだ。

 高齢の両親は楽しめたのだろうか。朝はゆっくり目の出発時間で無理ない移動というツアーではあったが、それでもテンコ盛りの内容だったし、国内便にも2回乗り、足場の悪い遺跡や寺院等の観光地ではやはり厳しかっただろうと思う。頭では分かっていても、親の老いと我儘も突き付けられた感が強く、夫や息子の手前、ちょっと落ち込んでしまった私である。

 この1週間、宿泊先のホテルでは殆どテレビを見る時間もなかったし、NHKの衛星放送も放映していなかった。日本の新聞が置いてあったのは最後に宿泊したホテルだけ。
 そんなわけですっかり浦島太郎状態。機内でも新聞を取り損ね、情けないことにオリンピックの状況も全く分からない。帰宅後も新聞のまとめ読みが出来ていない。

 気の毒なことに夫は明日、日曜出勤。そして息子は昼前から塾のテスト。
 私は2週間ぶりの合唱練習の日。だが、月曜日からフルタイムで仕事だから疲れ具合と体調によっては家で疲労回復に努めた方がよいかも・・・と思っている。
  
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2012.8.3 旅行6日目、ホーチミン市内観光とショッピング

2012-08-03 18:38:44 | 
 昨夜もなんだかんだとあって、午前様の就寝になってしまった。
 最終日、今日の観光は10時出発でモーニングコールもなし、という優雅な一日になった。
 サイゴン川を眺めながら朝食を愉しんだ後、出発まで時間があったので、息子はしっかりホテルのパティオにあったプールに入った。本当に小さい時から“プールを見て入らないことはない”という人だ。

 ここホーチミン市は19世紀にフランスの植民地となり、その後、南ベトナムの首都サイゴンとして栄え、ベトナム戦争終結後にホーチミン市と名前を変えた所。現在はベトナム経済の中心地である。
 まずは、南ベトナム政権時代の大統領官邸を博物館にした統一会堂(旧大統領官邸)を見学。ここは1975年4月30日、人民解放軍の戦車が正面から突入し占拠、ベトナム戦争が終結した所だ。内部には内閣会議室や地下指令室など100以上の部屋があり、一部が当時のままの状態で公開されていた。屋上まで登って周辺の景色を眺めることが出来た。
 急に雨が降って来たので、雨宿りも兼ねて民芸品屋さんでショッピングをした後、サイゴン大教会(聖母マリア教会)へ。19世紀に建てられた2つの尖塔をもつ、赤レンガ造りの優美な教会だ。中には入れなかったが、絶好の写真スポットである。
 そして同じくフランス統治時代に建てられた、ヨーロッパの駅舎に似た造りの建物で、当時の雰囲気を醸し出し重要な建築文化財である中央郵便局。中は両脇にある窓口の間がショッピングモールのようになっていて、とても賑やかだった。
 最後は、ホーチミン最大の市場であるベンタン広場で自由散策。雑貨、民芸品、各種食料品等と、その匂いと熱気で溢れる。喧騒の中、値切るやりとりを楽しみながらあっという間に30分が経ってしまった。

 昼は近くのホテルで飲茶料理を愉しみ、いったん宿泊先のホテルへ戻る。お土産物を置くなど態勢を立て直し、ホーチミン市随一のショッピングストリート・ドンコイ通りへ繰り出した。父と息子はお留守番で、夫と母と3人でのお出かけだ。
 美しい並木道にブランド店、土産物店、カフェ等が立ち並び、露店を冷やかすのに忙しく、思わずダッチロール。

 さて、これからシャワーを浴びてパッキングの後、18時にチェックアウトをしたら、夕食は、今回初めての洋食である創作フレンチが楽しみだ。
 本当にこうして食事が美味しく頂けるとは何と幸せなことか。

 日付が変わる頃、ホーチミン市を発って機内泊。明日の早朝には帰国予定である。とにもかくにも3世代5人が全員体調を崩すこともなく、トラブルに巻き込まれることもなく、それぞれに旅を楽しめて帰国の途につけることに改めて感謝だ。

 旅行記にお付き合い頂き、どうもありがとうございました。
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2012.8.2 旅行5日目、ホイアン観光とミーソン遺跡

2012-08-03 02:19:56 | 
 お風呂の水漏れ事件があった昨夜のこと。配管の取り替え工事が終わって何とか部屋を変わることなく、皆で入浴することが出来た。この旅行で初めて5時間連続の睡眠がとれて、元気が回復した。
 宿泊したのは、ベトナムを代表するリゾートホテルグループというだけあって、長期滞在型のお洒落なリゾートホテル。眼前にはプライベートビーチが広がり、プールでもフランス人と思しき人たちが朝から気持ちよさそうに泳いでいる。恨めしそうに見つつ、朝食ビュッフェのレストランへ。珍しい果物も豊富で、目移りしてしまう。朝からついつい食べ過ぎてしまった。

 ゆっくりめのホテル出発が有難い。乗ったかと思うとほどなくバスを降り、今年で10回目を迎えるという「日本祭り」のお揃いのTシャツを着た漕ぎ手のおじさんたちのシクロ(人力三輪車)に乗って、世界遺産ホイアンの街を巡る。私たちグループの全員が一列になっていざ出発。
 それしても暑い。ちょっとでも止まっていると、じりじりと焼けつくよう。それでも風がふいたり、少し木陰に入るととても気持ち良い20分ほどの乗車だった。
 シクロを降りた後、徒歩で、1593年ホイアンに住む日本人が建造したといわれる屋根付きの橋、来遠橋(らいおんばし・日本橋)から観光開始。申年から建て始め、戌年で建て終ったということで太鼓橋の左右に犬と猿の石像があった。橋の中にある寺には大鯰の存在を信じ、その怪物を鎮魂する目的で作られたという伝説があるそうだ。
 ぶらぶら歩きをしながら、日本人街や御朱印船を描いた絵巻の写真から当時の日本人の暮らしぶりがうかがえる海のシルクロード博物館(貿易陶磁博物館)へ。伝統的な2階建て民家を博物館として活用しており、周辺で発掘された陶磁器、沈没船から引き揚げた遺物などが展示されている。この時、夫が持っていた温度計は地表面で50度を超えていた。それを見ただけでなんだか顎が出てしまう。
 続いて福建省出身の華僑たちの集会所、福建会館へ。赤や黄色を使った中国風の建物の中には、一度火をつけると1か月はもつという巨大なお線香が天井からぶら下がっていた。
 ホイアン市場で自由散策のため一時解散。あまりの暑さで熱中症にでもなられたら大変と、父母には冷たい物を飲んでもらいながら市場内でとどまってもらい、私たち3人はまた街へ出て、昨夜見て幻想的だったランタンをお土産に購入した。

 その後、ベトナム料理のレストランへ。昨日オーダーしたブラウスが届く。サイズチェックのために試着してみると、十数か所も採寸したこともあり、さすがにピッタリ。刺繍の感じも満足いく仕上がりだった。
 朝食が遅かったことと暑さ負けで、あまり食欲がない。さっぱりしたいと思って頼んだミントティには、たっぷりお砂糖が入っていて、ちょっとがっかり。

 再びバスに1時間ほど揺られて世界遺産ミーソンで、遺跡観光。ここはチャンパ王朝時代の宗教寺院遺跡。チャンパは2-17世紀にベトナム中南部で外国との交易で栄えた王国で、ミーソンはその中心的聖地であり、ヒンズー教のシヴァ神が祀られている。ベトナム戦争により多くが破壊されたというが、その歴史的価値が高く、1999年に世界遺産に登録されている。70棟以上もの煉瓦造りの遺構が草木に埋もれ、自然に溶け込んでいる風景が美しい。 帰りには珍しいチャムダンスショーを見て、本日の観光は無事終了。

 その後、再びバスに揺られ、リニューアルしてまだまもないダナン国際空港から空路ホーチミンへ。いよいよ最終目的地、ベトナム最大の都市ホーチミン入りした。さすがに800万都市、空の上からの夜景はとても賑やか。
 市内で遅い夕食。今回の旅で初めて日本で食べ慣れた感じのベトナム料理に出会った感じ。生春巻きやお好み焼き、さつま揚げ等がとても美味しかった。
 そして1925年創業のクラシックなコロニアル様式のマジェスティックホテルにチェックイン。

 明日は市内観光後、メインストリートのドンコイ通りを散策し、18時チェックアウトの後、夕食をとって空港へ向かう。5泊7日のベトナム縦断旅行もあっという間に最終日だ。
 とにもかくにも、誰も体調を崩すことなく無事に旅が終われることを祈って・・・。
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2012.8.1 旅行4日目、古都フエから夜祭の街ホイアンへ

2012-08-02 00:59:50 | 
 昨夜の遅いチェックインが響いてさすがにかなりの寝不足だが、朝の出発時間が心配で早めに目が覚めてしまう。目の前にはフォン川が静かに流れている。

 月が替わって今日から8月になった。足湯で少しリラックスをして朝食会場へ。目の前には蓮の池が広がってのんびりたっぷり朝食を頂く。フォーが美味しい。
 これまでずっと、1都市滞在でフリーの旅行を重ねてきたので、こうして連泊がないツアーで、夜チェックイン翌朝チェックアウトはなかなか辛い。ポーターさんが運んでくれるため、荷物出しの時間も指定なので何やら忙しない。

 ホテルを出発すると、すぐにフォン川クルーズの船着き場へ。この船も私たちグループの貸切だ。40分ほどのクルーズでも、やはり船内はお土産物売り場になっており、かわすのが大変。値切ったものの、結局、下船の時間となり何も買わなかったら、とても不服そう。悪いことをした。

 ベトナム最後の王朝、阮(グエン)朝(1802-1945)の都が置かれたフエ。現在も残る王朝の建造物群が、世界遺産に登録されている。ハノイ、ホーチミンに次ぐベトナム第3の都市だ。今日の午前中は、フォン川のほとりに静かな佇まいを見せる、かつての栄華を物語る寺院や帝廟をゆっくり巡る半日観光だ。
 下船後、まずはテォイエンムー寺へ。1601年に建てられた八角形七層の塔を持つフエのシンボル的寺院である。中に飾られている古い自動車は、1963年にベトナム戦争に抗議して自殺した僧侶のものだという。火だるまになった写真が壁に掛けられているのが息苦しい。
 次に向かったのは、13代にわたる皇帝の居城である阮(グエン)朝王宮。バスを降りて歩き出した父が、途中で「もうここで座っていたい。」と言い出し、夫が入り口近くの屋台の椅子を借りて、私たちが観光をしている間中付き添っていてくれた。何とも申し訳なく情けない気分になる。
 母と息子と王宮を見学した後は、王族の派手な衣装を着て玉座に座って写真を撮ることが出来た。ちょうど別の日本人グループの若い女性から「一緒に写真を撮ってください。」と言われ、物好きなオバサンとしてはちょっとどぎまぎしてしまう。
 昼食はフエ宮廷料理を楽しむ。野菜や果物で美しくカービングされた鳳凰や龍、バラ等がお料理と一緒に飾られてとても優雅な気分。デザートはベトナム風のあんみつのチェーを初体験。
 最後の観光スポットは西洋趣味だった12代ガイディン帝の廟。随所に洋式建築が取り入れられてどこか教会風。ここも130段の階段が急だったが、ガラスや陶器を使ったモザイクが美しかった。

 午後はバスに3時間揺られて一路ホイアンへ向かう。さすがに眠さに負けて居眠りをしてしまったが、九十九折の坂道の連続でバスのクラクションの音が響いて熟睡は出来ない。途中ランコー(シラサギ)村という漁村で休憩。
 ホイアンの街に入ってすぐにシルク工場へ立ち寄る。生後2日目の蚕や機織りの様子を見学した後は、オーダーメイドの刺繍入りブラウスを注文してみた。明日の昼食会場まで届けてくれる、とのこと。楽しみだ。
 ここホイアンは、かつてアジアとヨーロッパの交易の中心地として栄え、16-17世紀には日本人街もあったところ。夕食はホイアン名物の麺料理のカウラウ(ベトナム風伊勢うどん)とホワイトローズを頂く。添乗員さんも一緒のテーブルで、皆とすっかり打ち解けた夕食になった。

 夕食後、ランタンで彩られた歴史あるホイアン旧市街へ移動。約180年前の町並みが残り、風情ある木造家屋が建ち並ぶ。幻想的な「ホイアン夜祭」は毎月満月の夜に催される伝統行事で、街全体が暖かい灯籠の灯りに包まれる。この夜祭を見られるのが今回のツアーの大きな売りのひとつでもある。色とりどりのランタンに照らされた古都ホイアンの夜、今宵の満月は朧月。橋の上から灯篭流しも初体験した。長い竿でゆっくりと川面に灯篭を置く。願い事はもちろん「このままの体調が一日も長く続きますように」だ。
 旧市街横の洒落たリバーサイドカフェで、休憩を挟みながらの散策。夫としみじみ、「再発後、こんなふうに海外旅行が出来るとは思いもよらなかったね。」と言い合う。本当に感謝だ。
 私たち家族3人と母と、情緒あふれる夜のホイアンの街を堪能することが出来た。暗くて足元が悪いから、と、バスで留守番にしてもらった父にはちょっと申し訳なかったのだが・・・。

 そして、宿泊はホイアンビーチサイドに立地したリゾートホテル。コテージ風でなんて素敵!と思ったのだが何と、お風呂の水が漏れだすというトラブル。急遽、担当者が駆けつけて現在工事の真っ最中。
 今夜も就寝時間が遅くなりそうで、とほほである。
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2012.7.31 旅行3日目、ハノイ市内観光から古都フエへ

2012-08-01 08:33:07 | 
 今朝もいいお天気。早朝、頭痛のため、目が覚めてしまう。昨日の600段の階段昇降のおかげで、ふくらはぎがかなりはっている。
 昨日の朝食会場と変わって最上階のパノラマレストランでの朝食。成田空港で調達した痛み止めを飲んでおく。食事中、水平線の辺りが急速に灰色がかったと思うと、あっという間にスコールがやって来て、僅か30分もせずに陸まで駆け抜けた。

 今日の午前中は、一昨日とは逆の経路でハノイまで移動。
 途中で民芸品屋さんに立ち寄った。ここでは、ベトナム戦争時の枯葉剤の影響で障害者になった人たちが、刺繍の作業中だった。ベトナム人はとても手先が器用で有名だが、言葉を発することが出来なかったり、音を聞くことができなかったり、あるいは歩行もままならない人たちがもくもくとひたすら刺繍をする姿に胸が痛んだ。
 刺繍の雑貨や漆の工芸品等を購入して、一路ハノイへ向かう。途中何度も雨が降ったり止んだり忙しいお天気。

 市内到着後は、ベトナム風中華料理の昼食を頂く。またも12人一緒のテーブルで大皿料理。取り分けに気を使ってなかなか大変だ。中華料理といっても、日本で食べるそれとは随分違っていて、ずっと頂いているベトナム料理とあまり変わらない印象だ。
 そして、もう1件お土産物屋さんに連れて行かれたが、ここでは特に収穫はなし。

 雨上がりで湿度がかなり高くサウナのようだが、陽射しがそれほど強くなく、東京よりずっと楽に感じる。
 ここハノイは、ベトナムの政治・文化の中心である。川と湖が点在し、街路樹の多さにも目を見張る。由緒正しい寺社、フランス統治時代に建てられた洋館や教会が残り、落ち着いた雰囲気を醸し出している都市という印象だ。
 観光で廻ったホーチミン廟には、1969年に亡くなったホー・チ・ミンの遺体が安置されている。大理石造りの廟は蓮の花をかたどったデザインだという。実際に見学出来るのは午前中だけということで、外観を背景に記念撮影にとどまったが、正面には滑走路にもなるという道路が続いていた。この界隈は官庁街だが、黄色い建物が多い。
 それから徒歩で、「一柱寺」へ。ここは1049年、李朝時代に建立された仏教寺院内の楼閣。こちらも蓮の花を模して建てられたもので、その名の通り、本堂が池の中に建つ一本の柱で支えられている。急な階段を上り千手観音像にお参り。観音様には何やらミラーボールの様な後光が差していたのにびっくりする。
 その後、旧市街散策へ。いきなりアジアの熱気に放り込まれた感じ。20年以上前に訪れたシンガポールの裏町といったところ。細い路地にもバイクがどんどん割り込んで飛ばしてくる。ひったくりやスリも多いということで、緊張しながら歩く。市場は、カエルやら鶏やらの肉やエビ、カニの魚介類、生花、麺類等、雑多な匂いで充満している。僅か30分ほどの散策だったが、交通量が激しく誰も信号を守らない。“皆で渡れば怖くない”を信じて、道路を横断。走るのはとても無理な父はバスでお留守番に。
 その後、車窓からホアンキエム湖を見ながらメトロポールホテルに移動。緑の多い水辺はこの辺りのデートスポットだという。

 午後のひと時、1901年創業のフランス系ホテルのラウンジでチョコレートビュッフェのアフタヌーンティーを楽しむ。ここ数日、ベトナム料理、中華料理の連続だったが、久しぶりに洋風のサンドイッチやスコーン、20種類以上の綺麗なチョコレートケーキ等で眼も舌も癒され、疲れが飛んでいく有難さ。フレンチコロニアルな館内には、可愛らしいメイドさんのようなヘッドドレス風の帽子と、白いアオザイ姿のユニフォームに身を包み、蓮の形のランタンを持った従業員の姿。しっかりツーショットの写真撮影に励んだ。

 その後、一路ハノイ国際空港へ。途中ちょうど夕刻のラッシュに重なり、大渋滞。割り込むバイクの数が半端ではない。皆、排気ガスの中バイクで飛ばすので、カラス天狗のような色とりどりの派手なマスクをしているのが面白い。1時間ほどかかって、真っ赤な夕日を横目に見ながら空港到着。古都フエへの移動のためのチェックイン。
 3日間お世話になったガイドさん、運転手さん、アシスタントさんと握手をしてお別れする。ガイドさんは、今日夜中にまた新しいお客さんをお迎えして、明日はハロン湾だという。何ともハードなお仕事である。

 空港では、父のチケットにしっかりWCHR(車いす)と印字されており、再びフルアテンドされて空路、フエへ。1時間強のフライトで、到着は9時半近く。バスではいきなり眠気が襲う。ホテルにチェックインしたのは10時を大きく回った。部屋に入れたのは11時近く。夕食は軽めのルームサービスが用意された。
 今夜の宿泊はフォン川を眺められる全室リバーサイドのホテル。トリプルルームかと思いきや、バスルームが2つあるスイート風の大きな部屋でラッキーなのだが、ろくに探検も出来ないまま10時間足らずの滞在というのは、何とももったいないことだ。

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