ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.4.24 夫婦円満の秘訣とは

2015-04-24 19:50:46 | 日記
 それは当然そうでしょう、と思う記事を夫が見つけてきたので、以下ご紹介させて頂く。

 ※   ※   ※(転載開始)

夫が●●することのある家庭ほど"夫婦円満" - 共働き夫婦の実態調査 
マイナビニュース 4月22日(水)12時52分配信

 ヨシケイ開発はこのほど、高校生以下の子を持つ20歳~49歳の共働き夫婦1,200名を対象に実施した「夫の夕食作り参加に関する意識・実態調査」の結果を発表した。調査期間は3月23日~25日。
○夕食を作る夫の8割超が「幸せを感じる」と回答
 同調査では、共働きの妻が負担を感じやすい夕食づくりに関する夫の参加度にフォーカスし、平日に夕食を作る夫を"平日クックパパ"、休日に夕食を作る夫を"休日クックパパ"、平日も休日も全く料理参加をしない夫を"ノンクックパパ"と定義し、その3つのセグメント(各200名・計600名)と、"平日クックパパ"、"休日クックパパ"、"ノンクックパパ"それぞれを夫に持つ妻(各200名・計600名)に対して調査を実施した。
 まず、平日クックパパと休日クックパパを対象に、「夕食を作ると幸せを感じますか」と質問したところ"平日クックパパは80.5%、休日クックパパは85.0%が「幸せを感じる(とても+まあまあ)」と回答し、意外にも夫自身が幸福を感じていることが明らかとなった。
 また、夕食を作るモチベーションについて教えてもらったところ、最も多かったのは「妻(家族)の負担を減らしたいから」で、次いで「妻や家族が喜ぶから。食べてもらうのがうれしいから」など、自分のためではなく妻や家族のために夕食を作っていることが伺えた。
○夫が夕食作りする家庭ほど、夫婦円満
 次に、全調査対象者に「夫婦の会話が多い方だ」と質問したところ、平日・休日クックパパの夫・妻ともに、「とても思う」「まあまあ思う」という回答がそれぞれ6割程度と、夕食を作る夫の方が、妻とよくコミュニケーションを取っている様子がうかがえる結果となった。
 一方「全く思わない」と回答した人の割合を比べてみると、男性は、平日・休日クックパパが4%程度なのに対してノンクックパパは11.5%だった。女性は、平日クックパパの妻はわずか2.5%、休日クックパパの妻は6.5%という割合に対して、ノンクックパパの妻は18.0%という結果に。「夫婦の会話は多い方だと全く思わない」人の割合は、料理をしない夫の家庭が圧倒的に多いことが判明した。
 また、「夫婦円満度」についても質問した結果、同様にノンクックパパの夫・妻ともに「全く思わない」と回答した割合が多く、夕食作りの有無が夫婦の円満度に大きく影響していることが伺えた。
○夕食作りをする夫に、妻は高評価
 続いて、それぞれの夫と妻に「良い夫レベル」を10点満点で評価(夫は自己評価)してもらったところ、夫の平均点は、平日クックパパが6点、休日クックパパが5.6点、ノンクックパパが5.1点とそれほどの差はなかった。
 一方妻による評価は、平日クックパパの妻は6.9点、休日クックパパの妻は6.8点、ノンクックパパの妻は5.4点と、特に平日・休日クックパパに関しては夫の自己評価を大幅に上回る高評価となり、平日・休日に料理をする夫は意外にも謙虚な姿勢ですが、本人が思っている以上に、妻は感謝の気持ちを持っていることが明らかとなった。
 また、0点~2点の低評価をつけた人数(合計)に着目してみると、ノンクックパパ27人に対し妻38人と、ノンクックパパの妻は夫に対する目が厳しいことがわかった。

(転載終了)※   ※   ※

 お料理が好きで、得意で・・・という方なら毎日仕事から帰って来て、それでも嬉々としてエプロンをつけてその腕前を振うのかもしれない。
 けれど、残念ながら私は全くそうではないし、誰も作ってくれないからやむなく作る、というレベルである。同じ時間働いて帰って来て、方や夫はソファで横になってテレビを見つつリラックス、方や妻は目をつり上げながら着替えもままならずに食事の支度・・・、これが続いて共働きの夫婦関係に波風が立たない筈がない。

 結婚する時に、我が家ではルールを作った。いつかもこのブログで書いたことがあるけれど、「先に帰った方が食事の支度をする」と「作った人は片づけない」である。
 結婚生活25年を超え、職住近接を19年続けている私とずっと片道1時間半の通勤をしている夫。よほどのことがない限り夫の方が帰宅が早いことはなかったから、ルール通りウィークデーは私がずっと作ってきた。そして、遅い帰宅で疲れているのだろうな、と思いつつも、“作って食べて片づけて”を全部やったら、早晩自分の気持ちが破綻すると思ったから、心を鬼にして(?)片づけだけはお願いしてきた。

 それでも、産休中等働いていない時期は、一人で全部“作って食べて片づけて”をやる感じになっていた。息子が小さい頃は、寝不足でヨレヨレの私を見かねて、休日にはクックパパになってくれることが増えてきた。もともと食べることが好きな人だし、「美味しいね~」と言うとまんざらでもないようだった。
 その後、タキソテール治療で休職中、副作用の味覚異常が出ている時も、とりあえず目分量で適当に味を付けて食事を作ってきた。さすがにこの頃から、夫がクックパパになってくれる頻度が増してきた。こんなに気持ちが悪くて自分が食べられないのに、なんで私が食事を作るんだろう・・・と呟いたからかもしれない。
 
 そう、働いていて何より嬉しいのは、仕事から(もしくは別の用事でも出かけていて)帰って来て、ああ、疲れたな・・・、一旦座ってしまえば立って食事の支度をするのはしんどいから、とりあえずこの勢いでそのまま作るか、と思った時に夕食当番を代わってくれる人がいるということ。
 平日クックパパが共働きの女性にとって高い評価を得るのは、当然といえば当然だ。
 夕方遅くの会議に出席しながら、見渡すと男性ばかり、という時に、この後、この会議が何時に終わって、それから何時に帰って、食事の支度を始められるのは何時で・・・と考えている男性は何人いるだろうか、と思うことがある。
 食事の支度の心配をしないで仕事に打ち込めるのは、自分以外の誰かが夕食当番を引き受けてくれているからなのだ。

 さて我が夫のことであるが、最近では、気が向けば平日クックパパを引き受けてくれることもしばしば。
 ということで、おかげさまで我が家は夫婦円満、である(と思う。夫はストレスが溜まっているのかもしれないけれど・・・)。

 今日は、勤務している大学に、かの微笑みの国からお客様がいらした。長くここで働いているけれど、こんな賓客をお迎えするのは初めてのこと。お出迎えの動員がかかり、小さな国旗を振ってお迎えした。残念ながら後姿しか拝見出来なかったけれど・・・。それでも、また、あの国に行ってみたいなと思う出来ごとだった。

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2015.4.23 とりかえしのつかないこと

2015-04-23 19:47:12 | 日記
 先日の会議で上司が言った言葉である。
 上司が若い頃にとてもお世話になった方が先週、職場の不慮の事故で亡くなったという。定年まであと2年を残しての突然の死だそうだ。
 安全確認についてはそれこそ本当に徹底した部署であったというから、一体どうしてそんなことが起きたのか納得できないのだ、と繰り返し首をかしげておられた。
 新聞記事によれば、その職場というのが、奇しくも私が新規採用の頃、同期の友人が配属された職場でもあり(実に30年前の古き良き時代だったのだが)半ドンが退けた土曜日に遊びに誘われたりして、何度か伺ったことがある部署なのだった。もちろん、これだけの歳月が流れているから当時とは様子が違っているとは思うけれど、その頃のいろいろな情景を不思議なくらいリアルに思い出したのである。

 仕事をしていれば、程度の差こそあれ、いわゆるヒヤリハットという経験は誰にでもあるだろう。それをどう捉えるか。まあ、今回セーフだったし、また大丈夫だろうから、ととりあえずそのままにしておくのか、それとも再発防止の改善策を講じ、それを徹底させるのか。
 ちょっとした痛い目で済めば、次に気をつけようでも良いかもしれないけれど、こと命にかかわることであれば、もう何をしてみたところで何を言ったところでとりかえしがつかない。亡くなった方は決して帰ってこない。
 上司の話は、今一度きちんとそういう思いを洗い出して仕事に向き合ってほしい、ということであった。

 突然命を絶たれた方のご冥福をお祈りしながら、またしても人は生身であるという厳然たる事実を突き付けられた。朝、普通に出勤して、仕事をして、そのまま無言の帰宅をするということが、実際に起きるのだ。
 病気を抱えてエンドレスの治療を続けつつも、こうしていまだ生かされている意味を考えながら、改めて日々を大切に過ごしていかなければ・・・と思う出来ごとだった。

 昨日は記事にも書いたとおり、大洗濯をして清々しい気持ちで出かけた。けれど、なんと帰宅する頃には雨がポツポツ降り出してしまった。あいにく折りたたみ傘も持っていなかったので、仕方なくストールを頭に巻いての帰還。帰宅するや否や慌ててベランダ一杯の洗濯物を取り込んだ。
 夫は「レジ袋を1枚持っていると、雨降りの時には被れるし、買い物では2円払わなくてもいいし便利だよ」などとのたまうが、たとえ雨降りであろうと、そんな奇妙な恰好はできる筈もない。だいたい妻がそんな恰好で外を歩いて貴方は平気なの?それに、夫自身がレジ袋を持っているところなど見たこともない(いつもエコバックを持たず、懲りずに2円支払っている。)。他人(ひと)事だと思ってよく言うよ、である。

 今日はお天気のまま雨にはならないという予報。とはいえ、そろそろ紫外線も気になるということで、99%遮光の晴雨兼用傘を差して出かけた。これさえ携えていれば、突然のお天気雨にも対応可能だ。
 そう、季節は足早に春から初夏に向かいつつある。
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2015.4.22 闘病記ブログに想うこと

2015-04-22 20:00:46 | 日記
 昨日の記事と関連してブログの話題をもう一つ。
 こと闘病記ブログに限って言えば、症状の増悪についての記事をアップしたり、すわ入院した、などと書くと、いきなりアクセス数が跳ね上がる。これは、哀しいけれど本当のことだ。しかしこの中には、心配してくださっている方以外の方も少なからず含まれているのではないか。

 もちろん読み手の立場からすれば、作り話ではなく等身大のリアルなものだからこそ惹かれるのだろう。不特定多数に向かって自己表現をするというハードルが、かつては考えられないほど低くなり、誰しも気軽に文字通り全世界に向かって発信出来るようになった。これは私のようなアナログ人間までブログを開設することが出来たことが如実に物語っている。そのこと自体は、ある意味歓迎すべきことなのだろう。

 けれど、驚くほど沢山ある闘病記ブログの中には、実際には患者でない人が患者を装って書いているものもあると聞く。一体何のためにそんな面倒なことを・・・、と思うのだけれど、それも悲劇のノンフィクションがリアルタイムに進行していくのを読みたい、と望む読み手の需要があるからということか。
 まあ、いくらそれらしく書いてみたところで、実際に体験していなければ「?」という部分が出てくるのは当然だろう。けれど、もし藁にもすがる思いで生の情報を探している患者さんやそのご家族が、万が一にもそのことを信じたとしたらどうだろう。罪作りな話ではあるまいか。
 いやはや、つくづくややこしい世の中になったものだ、と思うのである。

 さて、今週も早くも折り返し地点になった。
 今年の4月は本当にお天気が悪い日が多く寒かった。東京で晴れたのは昨日までで僅か7日間だという。けれど、今日以降はようやくお天気が安定してくるようだ。
 今朝は久しぶりに青空の下、大量の洗濯物を干し、清々しい気分で出勤した。

 ゴールデンウィークの頃には、半袖でも過ごせるほど気温が上がるのだろう。雪国生まれの夫がいつも言うのだが、東京というところは長袖1枚で気分よく過ごせる時間は思いのほか少ない。少し長めの寒季があり、ちょっといい季節になったかと思うとすぐに長い暑季がやってくる。やっと涼しくなったと思うと、あっという間にもう寒さ到来。確かにそうだ。今の季節を大切にしなくては。
 来週末には早くも風薫る5月がやってくる。

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2015.4.21 同じ顔とは限らない

2015-04-21 20:10:17 | 日記
 このブログを通じて沢山の方たちとの交流を得たことは以前にも幾度か書いたとおりだ。かけがえのない複数のお友達との出会いにも恵まれた。

 ブログを綴ると同時に、ひとりの読者として別の方のブログを読みながら、どんな方だろうか、と想いを巡らせることがある。そしてお逢いしてみたいな・・・と思うのは、その文章から伝わってくるその方の生き方や佇まいに共感したり、惹かれるからである。いわゆるランキングで人気ブロガーと称される方には、そういう意味で魅力的な方が多いのだろうと思う。

 それにしても、日々沢山の方たちからコメントを頂くのは嬉しいことであるが、お返事するのは本当に大変だろうな、と思う。一人ひとりに対して、その方がどんなプロフィールを持つ方だったか、などと考えながらトンチンカンな答えにならないようにするのは生半可なことではないだろう。
 割り切ってリコメはしません、と宣言してしまう手もあるわけだ。コメントを事前承認制にすれば、実際に公開しないものもあるのだろうけれど、その中には攻撃的なものもあるだろうから、それを目にするストレスたるや想像に難くない。私の場合は、これ迄に公開しなかったものは殆どないけれど、それでも明らかに傷つけようとしているのだろうな、というコメントには、正直凹む。
 実際、先輩ブロガーのお友達からは、世の中には本当に色々な人がいるのだから、悪意のあるコメントにその都度落ち込んでいたら始まらない。だからコメントは事前承認制が絶対条件だし、そういうものはスルーするかデリートに限るのよ、と賢い身の処し方を教えて頂いたこともあった。
 まあ、そういうことが嫌だというのなら、そもそもブログなど始めなければ良いし、ある種の鈍感力が必須なのだろう。清濁併せ飲む強さがなければ発信などするなということか。

 一方、読み手は、日々、書き手の生活が事細かにアップされればアップされていくほど、どんどんイメージを膨らませ、書き手を美化していく、あるいは悪い感情を募らせていくものなのかもしれない。

 けれど、ブログ上の顔と実際の顔が必ずしも一致しないケースもあるだろうとも思う。実際に逢ってお話してみたら、なんだか違うイメージだった、とガッカリすることも稀ではないのではないか。逆もまたしかり、である。ブログ上ではなんだかお高くとまっていそうな雰囲気だったり、いかにも気難しそうであった方が、実はとても気さくでフレンドリーだったりもする。

 もちろん、読み手が一方的に自分でイメージを膨らませてしまったということもあるし、書き手が一枚上手だったということでもあるだろう。ある程度の筆力があれば、実際の自分そのまんまではなく、ちょっぴり脚色して綴ることは可能かもしれない。
 普段の私はちょっと神経質だけれど、ここでは天然の線でいってみよう、ちょっとお茶目な感じでいこう、などなど。そのあたりがネット上の愉しみといえば愉しみ。それを否定することも出来ない。とはいえ、文章にはその人の人となりが出る、とよく言われるから、そうそう別人になり切って書き続けられるわけではないだろう。だからこそ、自分らしく素直に書き続けることが、急がば回れの王道なのかもしれない。

 さて、帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。
 赤白黄色♪でチューリップ・・・ではないが、それに濃淡4段階のピンクが加わって7本のガーベラ、橙色のオーニソガラムが2本、薄紫のデルフィニウムが2本、そしてミスカンサスの葉が数本。
 春らしい鮮やかな花束になった。花言葉はそれぞれ「神秘」、「潔白」、「清明」だという。
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2015.4.19 お愉しみの2日間を過ごして

2015-04-19 17:40:38 | 日記
 明日は目覚ましを掛けなくてよいという幸せな金曜日の夜ではあるが、夜更かしする気満々の夫を横目に、初人間ドック、初胃カメラの気疲れがどっと押し寄せたのか、喉の違和感と胸痛の再燃を危惧しながら早々に入浴を済ませ、ベッド入りした。

 土曜日。2年ぶりに大学時代の友人が地元まで会いに来てくれるという。朝一番の深呼吸ヨガを予約していたが、体が重くウィークデーと同じ時間にはどうしても起きられず、ヨガはキャンセルすることに。朝の連続テレビ小説をベッドの中でダラダラ見ながら過ごす。良いお天気の土曜日になって有難い。朝食と2回の洗濯、片付けを終えて、ゆるゆると出かける準備を整えた。
 友人とのランチはこれまで何度かドタキャンになっていたので、今日こそは、とあれこれ準備し、メールでOKの確認を済ませた。さて、それでは出かけようとしたまさにその時、先方からメール。OKメールをした後、頭痛で出かけるのが大幅に遅れてしまった、とのこと。なんとなく中途半端な時間が残され、2回目のヨガクラスに予約しておけばよかったな~と思うが、後の祭。

 当初の約束より小一時間遅く、ようやく再会が叶った。彼女がお気に入りだというので、ワンパターンにも大学内レストランを予約していたのだが、折悪く夜の貸切パーティの為普段より1時間以上早い閉店だという。なんだ、それならそうと早く言ってくださいよ・・・という感じだったが、致し方ない。追い立てられるように周囲のテーブルや椅子が片付けられるのを見ながら、慌ただしくデザートをお腹に押し込んだ。
 ところが、さて、まだ喋り足りないけれど・・・という事態。加えて間抜けなことに、あれこれ用意していたプレゼント(といっても細々したものだが)が入った手提げ袋を1つ、家に忘れてきたことに気づく。
 次回いつ逢えるかも判らないので、急いで家迄取りに戻ることにして、場所を変えてお茶をすることにした。それにしても、風の強いこと。自分も飛ばされそうだが、ベランダでは洗濯物が飛ばされそうで急いで取り込む。
 そして、再び仕切り直してお喋りすることたっぷり2時間以上。結局、彼女はこちらに5時間弱滞在して帰途についた。その後、夫と合流して映画と夕食という約束をしていたのだが、さすがに家を2往復して喋り疲れ、そのまま帰宅。
 夕食当番も夫が引き受けてくれるというのをいいことに、ダラダラと撮り貯めたビデオを視る役立たずの主婦の図であった。

 日曜日。春眠暁を覚えずとは良く言ったもので、この時期不思議な位いくらでも眠れる。けれど、今日は割とすんなり起き出すことが出来た。大物も洗濯して、午前中美脚ヨガのクラスに参加した。たっぷり汗をかいて足先まで温まり気分爽快になる。夫と合流して買い物の後、ランチ。
 午後からは月1度のお愉しみマッサージに出かけた。レストランを出た時、ちょっと雲行きが怪しいとは思ったが、サロン最寄駅に着くとパラパラと雨が降り出していた。小さい傘を開いてサロンに向かった。
 雨の日プレゼントでフットケアも付いて至福の時間を過ごし、すっかり元気になった。心配した雨も止んでおり、傘も差さずに帰宅することが出来、ラッキー。

 また土日を無事に過ごすことが出来たことに感謝だ。明日からは4月も下旬。ソメイヨシノが散ったと思ったら、ハナミズキが咲き出した。日に日に新緑の勢いが増している。
 もう少し頑張ればゴールデンウィーク。本当に日々が経つのが早いものである。

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