以前から不思議に思っていた。
いろいろな病気の遺伝子は、生存に不利だから淘汰されるはずなのに、
どうしてこんなにも多くの遺伝病が存在しているのか。
この本はそんな疑問をすっぱりと解いてくれた。
たとえば、肥満の遺伝子は食べ物が十分でなかった時代には
有利な形質だったということはだれもが知っている。
鎌状赤血球貧血の遺伝疾患を持つ人はマラリア耐性があるのも有名な話だ。
そのほかの病気になる体質も、実はかつては生存を助ける働きをしていたという。
糖尿病の遺伝子は人類が小氷期を生き延びるのを助けた。
ヘモクロマトーシスという鉄が体内に異常に蓄積する遺伝性の病気は
西ヨーロッパの人々に多いが、この遺伝子を持つ人はペストを生き延びやすい。
これらは進化の過程で、目の前に立ちはだかった困難を乗り越えるのに
有利な遺伝形質が選別された結果だ。子孫を残せる年齢になるまで
生き延びるのがその時代においてはなにより重要だったのだ。
ところが、それらの形質は現代社会の生活とは相いれないために、
そして予想以上に長寿になったために、今日では病気を招いている。
また、人間は長い時間をかけてその土地に合った形質を獲得してきたのに、
現代では短時間の移動で世界中に移り住むために生じた不都合もある。
強い日差しに適応した黒人が、緯度の高い地方で暮らすようになると、
体内でじゅうぶんなビタミンDが作られず、欠乏症になる。
その一方で、北欧の人間が低緯度に移り住むと何倍も皮膚癌を発症しやすい。
著者はまた、ウィルスが獲得した巧妙なやり方も紹介する。
人はマラリアにかかると寝込むのに、風邪なら無理して会社に行こうとする。
それらはウィルスに仕組まれているのだという。マラリア原虫は蚊によって
運ばれるので、人間は動く元気もないまま、おとなしく蚊に刺されて
くれたほうが望ましい。一方、風邪のウィルスは人間が動き回って
できるだけ多くの人にウィルスをばらまいてくれるのを望んでいる。
わたしたちの行動はけっきょく、かれらの思うつぼだったわけだ。
とくべつ病気というわけではないこんな変異もある。
人間の体は本来、母乳を飲むのをやめると乳糖消化酵素を作らなくなる。
それゆえ、大人が牛乳を飲むとお腹がごろごろしたり、下痢したりしていた。
ところが、冬のあいだ動物の乳を飲んで生きられれば生存に有利なため、
大人になっても乳糖分解酵素を作れる体に突然変異したんだそう。
つまり、牛乳を飲んでも平気な人はみんなミュータントだ。
とにかく、一見無意味に思える形質も、人間やウィルスが長い時間をかけて
進化してきた結果なのだった。ウィルスにとっていい進化が、人間にとって
困った進化になる場合はもちろんあるが。