「足を踏み替える」
という表現を患者さんから教わった。
生活の中で、あるいは心の中で、重みの置き方を変えてみる。
これまではAのことに心のエネルギーの多くを注いできたが、それをBの方に移し替えてみる。
そんな意味だったようだ。
小中学校の朝礼で、校長先生の長い訓話の最中に、「休め」の軸足をときどき交代させた、あんな感じだろうか。
「少し、足を踏み替えてみようと思います」
この患者さんは、ヨガ、野口体操、フラダンスなど、体を動かすことをさまざまなやり方で長年続けている。なので、心の問題を考えるときにも、こんな表現が自然に出てくるのである。
心の問題に対して体の方向からアプローチするのは、実は不易の王道だ。現代の精神医学はこのことを見失い、その埋め合わせのように安易にむやみに薬を使う。
きのうは信仰についても面白いやりとりがあったが、事の性質上とてもじゃないがブログには書けない。
残念・・・
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突然ですが、
「ブタが塩辛を舐めたような」って、どんな状況だか分かる?
この表現は、手許の国語辞典類には載っていない。
ネットで引いても出てこない。
「おにぎりの名店、手前が豚キムチ、奥が塩辛」・・・ちがうってば!
では、御覧いただこう。
「1957年の十一月、水が涸れた。旱魃である。ライオンの獲物の草食有蹄獣の数が急激に減った。そうしたある晩のこと、ある狩猟監督官は、ブタが塩辛をなめたどころのさわぎでない深夜の悲鳴にたたき起こされた。サファリカーのライトを照らし、現場にかけつけてみると、なんとあのクロサイが二頭の雄ライオンに襲われ、引き倒されている。頬と首筋を一頭ずつにくわえられ、一トン半もあるサイが半死半生のありさまだった。」
ね、あったでしょう?
そして、ひどく臨場感を感じません?感じの出た、良い表現でしょう?
出典は『猛獣もし戦わば ~ 地上最強の動物は?』
昭和45(1970)年発行のワニのマークの新書版で、360円の定価が付いている。
中二の同級生が学校へ持ってきて、夢中になって読みふけった。
その時、さまざまな動物の姿と共に「ブタが塩辛」という表現が頭に焼きつき、わが語彙のうちに確固たる地位を占めたのだ。
しかし、
この表現には、その後二度とお目にかかったことがない。
気に入ったので自分はときどき使うんだが、すると誰でも笑うと同時にヘンな顔をする。
「聞いたことないよ、どこかの方言?」
で、昨年アマゾン古書で取り寄せ、確かにこの表現が使われていることをP.162に確認したのだ。
この小さな名編の著者は小原秀雄さんといって、昭和2(1927)年生まれのれっきとした動物学者。
哺乳類の研究や野生動物保護に果たした赫々たる業績については Wiki に譲る。
そしてこの方は東京生まれである。
東京のローカルな表現であるなら、この40年間に耳にしなかったわけがない。
んじゃ、どこから降って湧いたんだろう?