こんなの見つけたので載せておく。こどもの日の追伸に。
5月5日は個人的に意義深い日だが、その前にこどもの日ということで、
起床と共に息子達にメールを送る。
今年は三人別の場所にいて、それぞれ元気なのがありがたい。
桜美林時代、この季節に通勤する楽しみがあった。
田園都市線で市が尾を過ぎ、鶴見川を渡ると右手に鯉のぼりが見える。
農家だろうか、広い庭先に歌の通り屋根より高い竿を立て、そこに立派な一揃い、
真鯉、緋鯉、チビ鯉たちが五月の風に勢いよく泳いでいる。
どこかのビルの宣伝用みたいに、荒巻の鮭様にぶら下がってはいない。
ああ、あれこそ鯉のぼりと嬉しかった。
ついでに、鯉のぼりの歌は「屋根より高い」ではなくて、「甍の波と雲の波」がいいなぁ。
めっきり耳にすることが減って、理由は「歌詞が文語だから」というんだが、そういうものなんだろうか。
「文語は若い者には受けない」と、オヤジの方が決め込んでるってことはないかな。
百瀬の滝を登りなば/たちまち龍になりぬべき/
我が身に似よや男子(おのこご)と/空に躍るや鯉のぼり
カッコイイじゃん!
*****
さて、今年の5月5日はA君の結婚披露宴に出かけてきた。
今は某大学博士課程で学ぶA君、桜美林時代から人気者で元気者だった。
メラニン産生系が欠損する先天障害のため、いわゆるアルビニズム。
肌は透き通るように白く、髪は染めたのではない金髪、そして高度の弱視。
苦労もあったに違いないが、桜美林へ進む頃には既に何か吹っ切れていたのだろう。
明るい性格で健常の学生達を巻き込んでリードし、市民活動の立ち上げも「趣味」として楽しむ風だった。
主体性も行動力も抜群でいて、甘え上手でへこたれない一面があり、教員からも学生からも実に愛されたのである。
福祉や心理の先生方は別に大勢おられる中で、なぜ彼が僕のゼミ指導を希望してきたか分からない。
指導と言っても「自学自習/自己責任」をモットーとする超放任ゼミだったから、彼がすべて自分で勉強したのであって、僕には彼を指導したという自覚も記憶もない。
それでも彼は僕のことを恩師と呼んでくれ、忘れた頃に連絡をよこし、嬉しそうに報告に来る。
今度は結婚の報告で、しかも2年前に入籍し、1歳半の息子さん連れの披露宴という。
旧弊なオジサンとしてはいささか秩序感覚を攪乱されつつ、ともかくワクワクと出かけていった。
皇居前を見下ろす都心の会場、用意されたCテーブルは恩師席とでもいうところで、小・中・高と彼を見守ってきた先生方、大学で接した僕、それに大学院の指導教授である全盲のK先生と奥様が円卓につく。
新婦もまた高校の途中から障害を得て弱視をもっており、このカップルを祝福すべく集まった人々の中にも、K先生はじめ視覚障害者が少なくない。耳の不自由な方もあるらしく、手話通訳者2名が司会者席の横に陣取り、会の最初から最後まで司会の言葉やスピーチを間断なく訳し続けた。
僕の左隣のK夫人、右隣のN准教授、たまたま二人とも福岡県の出身とわかり、「実は私、福岡の生まれで」と話が弾む。
「福岡市の、どのあたりですか?」
「赤ん坊の時代ですから見当がつかないのですが、何でも曙町という住所を聞いています。」
「曙町?まぁ懐かしい、私はそのお隣の、百道(ももち)なんですよ!」
「百道とは、百道の浜ですか?元寇防塁のある?よく連れていってもらったようで、写真も残っています。」
「まぁ・・・」
いっぽうのN准教授は仙台に住んで7年、紋切り型とは思いつつ震災後の様子をうかがうと、嫌がりもせずに体験を語ってくださる。
電気の 復旧は意外に早かったが、ガスに難渋した。
震災後にガス会社が最初にしたことは、火災を防ぐために全てのガス管を占めて回ること。
その後にあらためて復旧 した順に開栓していった。たいへんな人出が要ったことだろう。
自分のところにも、「中部ガス」の制服を着た職員が長いこと出入りしていた、等々。
和やかな会である。
A君の親友である全盲の音楽家は、巧みなスピーチで泣き笑いをとる。
「A君、幼稚園の頃、よく僕の見えない目の前にサッカーボールを転がしてくれましたね~」
島崎藤村の『若菜集』からの詩に、彼が曲をつけた箏の自演自唱が満場を沈黙させた。
A君がいかにオシャレであるか、胸に挿したバラの花や、ワインカラーのシャツ・ネクタイのことなど、夫人がK先生に逐一話して聞かせる。
「いや、そういうやつなんだよ、しょうがねぇなぁ、しかしそれがまた似合うんだよな」とK先生。
見えているのだ、はっきりと。
良い集まり、良い料理、役割の負担も何もなくて最高(と、この時点では思っていた)。
宴も半ばを過ぎ、いいかげん酔いが回ってきた頃、それまで個別に歓談していたCテーブルの7人が誰いうともなく「総合討論」モードになる。
それぞれの情報を出し合って、A君の生い立ちの軌跡を幼少期から今に至るまで皆でなぞり、それでいろいろと腑に落ちた。
大器は、もちろん一日にしてなるものではないのだ。
さて、お皿にはデザート、そろそろお開きかと思いきや、
「ではここで、サプライズ・スピーチに移らせていただきます。いきなりの御指名で恐縮ですが、新郎新婦からの御要望に従って二人の方にマイクをお渡ししますので、どうぞ御祝辞をお願いします。まずは新婦の方から〇〇様に・・・」
ははあ、こういうシカケだったのか。
油断させておいて、しこたま飲ませておいて、トリのスピーチを用意してあったわけね、しかもサプライズだって!
覚えてろよ~、これは高くつくからな・・・
マイクを握って僕がどんな話をしたか、内緒、というか思い出したくない。
愛情に溢れた話ではあったはずだが、A君はともかく、御両親に失礼がなかったかどうか。
直前に「総合討論」していたのが、せめてもの救いであった。
こどもの日、おめでとう!
翻訳というと、つい批判がましい話が多くなってしまう。
が、
もちろん名訳も、世の中にはたくさんある。
自分自身の養われたものを挙げるなら、古くは井伏鱒二の『ドリトル先生シリーズ』、石井桃子の『クマのプーさん』や『楽しい川べ』、ちょっと飛んで新潮文庫版チェーホフ短編群の小笠原豊樹訳(何で絶版にするの!)、ハヤカワSFのカート・ヴォネガットのシリーズも良くこなれて立派な訳だと思う。
で、ここに小さな傑作がもうひとつ。
『ぼちぼちいこか』
という絵本だ。
「ぼく、消防士になれるやろか?」
「なれへんかったわ」
に始まるカバ君の自問自答シリーズがまさに秀逸、
「ぼちぼちいこか、ということや」
の締めくくりまで、実に文句なく楽しいのである。
何が素晴らしいと言って、"What can a hippocampus be?" の原題を持つアメリカの絵本を、関西弁で翻訳しようというアイデアがケッサク至極ではないか。
東京弁では、どう逆立ちしてもこの可笑しみは出そうもない。
ふと思いつき、訳者について検索してみた。
今江祥友(1932-)という人は、どうやらその道の大家であるらしい。
委細は省略、ともかくこの人が大阪市の出身であると確認して腑に落ちた次第。
繰り返すが、これを東京弁で訳したとしたら、まったく別の作品ができあがったことだろう。
ほんとうに、方言や訛りは豊かさの源なのだ。
ちょっと古くなっちゃったんだが、センバツでは久々に愛媛代表が活躍してくれて嬉しかったな。
広陵、済々黌、県岐阜商、高知高校、浦和学園
相手校がまたネームバリューも実力も十分の「好敵手」たちで、済美を応援しながら相手校にも拍手を送る気持ちがあった。なかなか毎回こうは行かないものだ。
で、対・済々黌戦。
「済美 vs 済々黌」、スコアボードを見て、どちらも「済」の字の付いてるのが気になったのだ。
由来は何だろう?
さっそく調べてみると、
済美高校のほうは『春秋左氏伝』。
おバカのATOKは、これを『春秋差し出ん』と変換しちゃうのだが、ともかくこれは孔子編纂とされる歴史書『春秋』に、後世が付した詳細な注解だ。
その中の「世済其美、不隕其名(世々その美を済し、その名をおとさず)」から取ったと学園のwebページにある。
「子孫が先祖の業を受け継いで、よい行いをする」つまり、先輩が残した立派な業績を後輩が受け継いで、ますます発展させていくの意。
この「済」は、何と読み下すのだろう。
漢和辞典の挙げる読みは、「わたる、すくう、なす、ます」の4つだ。
「世々その美を済(ま)し」かなぁ・・・
いっぽう、熊本の済々黌は『詩経』から。
「濟濟たる多士、文王以て寧んず」
いわゆる「多士済々」の語の由来だね。
それにしても、『春秋差し出ん』(違うったら!)に『詩経』、中国古典の影響力は大きい。
あるいは、大きかった。
これを捨てることないと思うけどね。
呉清源は、二十世紀最強の棋士とも言うべき巨匠である。
1914年生まれだよ。
この19日に満99歳だが、今も矍鑠として対局場に観戦に現れ、検討に加わったりする。
中国福建省の出身、日本の囲碁が江戸時代の蓄積を経て世界の頂点にあった時代、才能を認められて来日し、見事に開花した。
『呉清源とその兄弟 ー 呉家の百年』 桐山桂一 (岩波現代文庫)
これは時代の記録としても、当時の中国事情を伝えるものとしても、たいへん面白い。
その中に出てくるのだが、呉清源の幼年時代、つまり1920年代に入って辛亥革命を経た中国でも、教育の中心は依然として四書五経の学びと暗誦であったという。
それが決してバカにならないという話で。
「窮すれば通ず」
って、聞いたことある?
人間、追い詰められると底力が出る、ぐらいのことかと安直に考え、
野球の川上哲治さんの好きな言葉と聞いて、いかにも「らしい」ことと決め込んでいた。
実はこれ、不正確な引用であり、正しくは、
「窮すれば変ず、変ずれば通ず」
というのだそうである。
こちらは『詩経』と同じ五経中の、『易経』が出典。
そして、俗には省略される「変ず」こそが大事だと呉清源師。
追い詰められると、これまでのやり方では通じないことを悟って、自らを変える努力をする。
だから道が開けるのであって、窮したところでこれまでと同じやり方を工夫なく繰り返すだけでは、通じるどころか滅びるだけだと、言われてみれば当然のことなのだけれど。
頑固一徹のススメか、自己変革の促しか、この一句の解釈で『易経』全体のイメージが変ってくるようにすら思われる。
それにつけても、オリジナルにあたることの大切さを思う。
この点は、法学部での恩師と、医学部での恩師と、畑も個性もまったく違うお二人から、それぞれ厳しく教わったことだった。
「孫引きではいけない、必ず原典に当たれ」
K先生も、T先生も、それぞれの立場からそのように強調なさったのだ。
*****
愛媛には済美(さいび)高校あり。
いっぽう、岐阜には済美(せいび)高校があるのを見つけた。
こちらはキリスト教主義だそうで、学園公式HPに校名の由来の説明はなく、かわって同校が建学の拠り所とする聖書の句が掲げられている。
「神を畏れることは知識のはじめである」
有名な句だが、出典を確認すると、詩編110章10節と箴言9章10節の二つが出てくる。
新共同訳では同じ訳語だが、口語訳では詩編は「知恵のはじめ」、箴言は「知恵のもと」となっている。
おそらく言語が微妙に違うのだろう。
さぁ、オリジナルに当たらなくっちゃ!
松井が投げ、長嶋が振り、原が捕る。
国民栄誉賞授賞式を見ながら考えた。
いっそ、国民不栄誉賞というものを創設したらどうだろう。
受賞規定は国民栄誉賞に準ずるとして
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」
これが国民栄誉賞だから
「広く国民を落胆させ、社会に不安と絶望を与えることに顕著な業績があったものについて、その不名誉を記念すること」
こんな感じかな。
さしあたりの有力候補者は、都知事、あなたですよ。
五輪招致をめぐっての「失言」は、いくら何でもひどすぎたでしょう。
ネット情報によれば・・・
氏は、インタビューに対し、「ベストの開催地はどこだと思いますか?」と思わせぶりな質問をした。そして、立候補したトルコのイスタンブールやスペインのマドリードを挙げ、「インフラや洗練された競技施設がまだ整っていない」と指摘した。そして、トルコを念頭に置いてか、「イスラム諸国が共有しているのはアラーの神だけで、お互いにケンカばかりしている。これらの国には階級というものがある」と述べた。さらに、トルコの人々が長生きしたければ、日本のような文化を創るべきで、若者が多いだけではあまり意味がないとまで話した。
どんな時にも伝聞情報を鵜呑みにすべきではないし、人の名誉がかかっているときには特にそうだ。
ここは慎重に、氏がこの通り発言したのは事実であるという前提のもとで。
これはあんまりだ。
NY タイムズは、
「他都市の批判がIOCの行動規範に抵触する疑いがある」
と書いたそうだが、IOCの行動規範があろうがなかろうが、ライバルを悪どく非難することはスポーツマン精神に逆行するし、オリンピック招致メッセージとして大いに逆効果であることは疑いを容れない。
落選したければ、こうするとよいということを、氏はやってくれちゃったのである。
だけど僕の言いたいのはそのことではなくて。
オリンピック招致が実現するかどうかではなくて。
オリンピック招致の成否は、個人的にはどうでもよい。
功罪ともにあるだろうし、オリンピック開催は多くの国や地域が広く関わるのがふさわしい。
何度も招致せずとも、非ヨーロッパ地域で初のオリンピックを、敗戦から20年経たぬうちに成功裏に成し遂げた1964年の日本の栄誉は、それだけで誇るに十分である。
そうではなくてだな。
僕が残念でならないのは、この愚かな発言がトルコという国の人々の心証をひどく害しただろうということだ。
トルコはたいへん親日的な国だと聞いたことがある。
データを見るまでもなく、それはそうに違いないと確信されるのは、これも歴史ゆえ。
日露戦争のことを考えれば、そうでないはずがないと思うのだ。
「瀕死の病人」と渾名された19世紀の老大国オスマン・トルコを、当時のロシアは執拗に圧迫し続けた。クリミア戦争や露土戦争はその象徴的な事件で、トルコにとってロシアは恐るべき脅威だった。
そのロシアを日本が破った。
トルコ人の内に、歓喜がなかったはずがない。
有色人種として初めて白人国家に勝ったこと、それにも増して、あの憎いロシアに地球の反対側で一矢も二矢も報いてくれたこと、これがトルコとトルコ人の、日本と日本人に対する認識の初めであったはずだ。
大急ぎで註をつける。
だから日露戦争が義戦だったとか、戦争も悪いもんじゃないとか、そんなことを言っているのではないよ。
福沢の言うとおり、「立国は私」なんだからね。
二つのエゴイズムが衝突し、そしてこの時は幸いにも、そして辛くも、日本が薄氷の勝利をおさめた。
それだけだ。
ついでにもうひとつ、ロシアとトルコとどちらが正しかったかという問題でもない。
オスマン・トルコに支配されてきた諸地域にとっては、トルコの敗北こそが福音だっただろう。
そうじゃないのだ。
善悪はさておき、事実として戦争が起きた。
それが終結したとき、遠い彼方の国の人々の内に、我ら日本人に対する親愛の念が生じた。
これこそが、「不幸中の幸い」として大事に育てるべきものではないか。
そしてこれこそが、8万5千人におよぶ戦没者とこれに倍する負傷者が後世に遺してくれた、貴重な財産ではないか。
英霊に報いるとは、この種の無形の財産をたいせつに育てることの内にあるはずだ。
たいせつに育てるどころか、台無しにしかねない愚かな発言を、彼は為した。
友情を育てるはおろか、他国民を公然と侮辱し怒らせる言葉を吐き、しかもそのことに気づいていない。(あるいは気づかぬふりをしている。)
「陳謝」の後も、あいかわらず五輪招致の成否という観点からしか問題を見ていないことが、メディアから伝わってくる。
ええ、有力候補ですよ、都知事閣下。
それは私たちの功績でもありますけれどね。
「すべての国は、それに相応しい政府を持つ」(ド・メーストルの書簡)のだそうですから。
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【蛇足】
ウラル・アルタイ語族に属する顔ぶれと言えば・・・
日本、韓国・朝鮮、モンゴル、そしてトルコ
寿命が200年あるのなら、トルコ語を勉強してみたいんだけどな。
でも現状では、ロシア語が先だな。
オルハン・パムクは面白い作家なのに、もう少しマシな翻訳者はいないのかね。
ノーベル賞作家の邦訳が、まるで日本語になってないんですよ!