遅筆なのだ・・・
二日間こもって、ようやく6000字ほど。
CMCCのFさんにメールで送り、あとはお任せして木曜日の仕事に出かける。
場所が御茶ノ水なのが嬉しいところで、ここは東京の中でもいちばんなじみが深く、思い出も多い。
息子達三人とも、御茶ノ水のS病院で生まれた。仕事先はその100m手前である。
仕事の後は、坂を下って三省堂へ。
途中、通り沿いに近江兄弟社のビルがあるのに初めて気づいた。
入り口に創業者ヴォーリズの人と業績が紹介されており、この人物のことをあらためて思った。
「お雇い外国人」とは少々違った系列の「伝道し啓発するアメリカ人」、ヘップバーン(ヘボン)などとあわせて一つの類型を為すかも知れない。ヘボンもヴォーリズも牧師ではなく、平信徒である。医師・ヘボン式ローマ字の考案者・明治学院の創立者であるヘボン、やや時代下って建築家・実業家のヴォーリズ、19世紀プロテスタントの世界伝道の潮に乗ってとはいえ、大した人々だ。
突飛なようだが、精神においてはリビングストンなどとも通じている(はずだ)。
ヴォーリズが日本に帰化し、一柳米来留と名乗ったのは1941年、日米開戦の年である。
一柳は子爵令嬢だった夫人の姓、米来留(メレル)は彼の本名への当て字だが、「アメリカより来て留まる」の意を託す諧謔の味が良いだろう。よくもあの時期に留まったものだ。敗戦時にはマッカーサーと近衛文麿の仲介にあたり、「天皇を守ったアメリカ人」とも称されるとは、例によって Wiki の情報。
日本が国際社会に復帰した象徴的なできごとである東京五輪開催を目前に、84歳で没している。
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三省堂で、城山三郎の『男子の本懐』を買うつもりだったが、紙ベースのものは品切れ、代わりに電子版が検索機から吐き出されてくる。
電子版って、どうやって買うの?時代だなぁ・・・
この本はタイトルが示すとおり浜口雄幸、そしてその盟友ともいえる蔵相・井上準之助を扱ったものだそうだ。
アベノミクスが厚かましくも礼賛する高橋是清(彼自身は偉大な人物だ)と対置して、城山三郎が注目したと数日前のラジオで聞いたのだ。
電子版、読めるようにしよう。
三省堂から靖国通りを渡って路地に入り、A古書店で一瞬の買い物。
「激闘の七番勝負」
これだ、目をつけていたのだ。
1973(昭和48)年の8月~10月、若き名人・林海峰が、さらに若く日の出の勢いの石田秀芳本因坊を迎えて、まさに死闘の連続。
三連敗四連勝の離れ業で防衛を果たした熱い棋譜だ。
林の師匠である呉清源のコメントも貴重。
ほくほくと嬉しい気分で靖国通りを市ヶ谷まで。
膝の調子が怪しいのでジョギングを封印している分、基本に戻ってせいぜい歩く。
ふと思い立って靖国神社の境内に入り、大鳥居から大村益次郎の銅像横を抜け、本殿の前で通りに戻る。
上京した母方の祖母がをここに連れてきたのは、確か73年ではなかったか。
高校二年、当時は囲碁にさほどの興味をもっていなかった。
祖母の思いも、わかるようでわかっていなかった。
市ヶ谷の日本棋院購買部で、碁石や碁笥を眺めて目の保養。
実に美しいものだ。
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明ければ朝刊は株価暴落を告げる。
あたりまえだ、素人が考えたって。
スタンドプレーの裏は、早めに明らかになった方が良い。
傷が深くなりすぎないうちに。