散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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黄色い帽子のおじさん

2014-01-06 14:53:02 | 日記
2014年1月6日(月)

 「合宿所」の万年床は、キッチンの冷蔵庫が見える位置にある。冷蔵庫のドアにくっついているマグネット、あれは『人まねこざる』だ。原題は "Curious George." curious は言うまでもなく「好奇心が強い」「知りたがり」という意味だから「人まね」とは違うんだが、意味の近いところで語調の良い言葉を選んだファインプレイである。世界的な人気者と云って良いだろう。
 数年前に相当売れたある新書本で、著者がおさるのジョージのことを「やってみては失敗し、その都度、黄色い帽子のおじさんに叱られたりもしながら成長する」という具合に評しており、読んで首を傾げた。ジョージがおじさんに「叱られる」という場面が、記憶の中からひとつも取り出せなかったからである。
 周囲の大人はいざ知らず、保護者である黄色い帽子のおじさんは、決してジョージを叱らない。徹底して受容的であり、非干渉的である。与えて導き、楽しみつつ失敗を通して自ら学ぶのを待っている。手許にあるものを見直してみたが、間違いない。おじさんはいつでも優しく微笑んで見守り、決して叱ったりしない。あら探しは本意でないが、教育や成長に関わる事例として引くのなら、こういう間違いは避けたいものだ。

 さて、しかし・・・ふと考えた。
 黄色いおじさんとは、いったい誰なのか。

 徹頭徹尾受容的なこの人物は、そもそもの初めに恐るべき干渉をジョージの境遇に加えている。
 こざるの好奇心につけこんで手もなく捕らえ、アフリカの大地から引き離してアメリカへ連れ去った、それが物語の始まりだった。そのように暴力的に連れ帰ったこざるに、この人物は最上の環境と最良の配慮を与え、忍耐と寛容をもって見守り続ける。彼は誰だ?
 アメリカそのものではないか。

 僕のアメリカ嫌いは多分に感情的なもので、実際にはそれを帳消しにしてお釣りが来るほどの感動と敬意を、3年間の滞在で受けとった。殊に頭が下がるのは、善を追い求めるアメリカ人の熱心さである。彼らの社会の成長の早さは、このことを抜きにしては考えられない。
 確かにこの国には過酷な人種差別があった。アラバマ州立大学の夏季講習に二人の黒人学生が登録しようとした際、州知事が公権力を用いてこれを圧し去ろうとしたのは1963年、これに敢然と立ち向かって学生らを擁護したケネディ兄弟は、それが唯一の原因ではないにせよ相次いで暗殺された。
 1994年の夏、ユダヤ系の若い精神科医と旅先で歓談した際、彼が誇らしげに話してくれた。自分らの両親の青春期には、白人と黒人がデートすれば大変なスキャンダルになった。今はもちろん何の問題もない。かくのごとくアメリカは成長を遂げていく。しかし、有色人種の大統領はまだまだ先だろうな、女性大統領の方が早いに違いない・・・
 彼の予想は覆されたが、それはアメリカの進歩に関する彼の信頼を増強する方向での見込み違いだった。完全に過去のことになったとは言えないが、あれほど深刻であった人種問題を彼らは日々克服しつつある。外科手術にもなぞらえられる自己改造を、彼らは恐れない。それもこれも、善なるものへの熱心ゆえである。

 けれども、根幹にある事実は消えない。アメリカは先住民から全てを奪った。それも恩を仇で返す形で奪った。
 植民者が冬を前にして寒さと飢えによる絶滅の危機に貧していたとき、これを救ったのは先住民の温情と友愛だった。Thanksgiving には今でもそのことが思い出され、語られる。それを感謝しつつ七面鳥を屠るのである。しかし、その後に何が起きたか、この季節には決して語られない。ケネディらは黒人だけでなく先住民の権利擁護にも熱心だった。しかし、アメリカの流儀による公民権の回復と保障は、根幹にある深い傷そのものまでも消し去る力は持たない。消すことができず、繰り返し出発点に立ち戻る。ポーの「黒猫」のように、殺人者は必ず現場へ立ち戻る。そうせずにいられないのである。アメリカは反復強迫に陥っているというのが、岸田秀の指摘の要約だ。

 僕自身、大好きであったし、今も大好きなジョージの場面をマグネットに眺めながら、ふと背筋が震えた。

お天道様/恐れるな

2014-01-06 14:25:00 | 日記
2014年1月5日(日)

 掲載順序が前後しました。昨日に戻って。

 年をとるのも悪いことばかりではない、そう思うことの筆頭が「睡眠」あるいは「覚醒」の問題で。
 夜更かしへの耐性が顕著に落ち、当夜も翌日も使い物にならなくなってきた。これは悪いかといえばそうでもない。自ずと夜更かしを避けるようになっているからね。
 そして就寝時刻にかかわらず、朝は概ね同じ時刻に覚めるようになってきた。夜更かしを続けた後、半日ほどバクスイして帳尻を合わせるなんて、今ではとてもできない芸当だ。若い者がよく眠るのを見て、「眠るにも体力が要るのだ」と知人が評したが、けだし名言。
 要は加齢と共に睡眠リズムが固定し、状況に応じて柔軟に対応する可塑性が欠けてきたのだろう。これは生活を不自由にする以上に、安定させている。当直勤務があれば困るだろうけれど。

 ついでにもうひとつ、リズムの固定化(=可塑性の減退)と歩調を揃えるように、太陽を中心とする外部環境のリズムへの同調性がきわだって強くなった。日が昇ると共に起きることの容易さ、裏返せば日が昇らないうちに起き、日が昇ってから眠り続けることの難しさである。
 いっぽう、ラジオ体操は日の出の時刻に合わせて始まるわけではなく、午前6時30分と決まっている。冬至は過ぎたが、東京の日の出時刻はまだ6時50分と遅くて、微妙に間に合わない。

 要するに、それが言いたかったのでした。
 昨日は強引に起きたが今朝は失敗、なかなかラジオ体操が習慣づかない年の初めでありました。

*****

 「・・・だから私たちは、恐れに陥ることができないのです。」

 礼拝説教から。

 「恐れる」のと「恐れに陥る」のとは、あるいは別のことかもしれない。これではちょっと通じないし、ひょっとしたら逆転が起きてしまうか。「恐れる」のと「恐れ続ける(恐れに留まる)」ことは別だと言ってみたい。
 「愛すること to love」と「恋に落ちること to fall in love」が違うのと同じ理屈か。「恋に落ちる」ことと「愛し続ける」ことは別だと言い換えてみようか。そうすれば、「恐れる」のと「恋に落ちる」こと、「恐れに留まる」のと「愛し続ける」ことが照応する。
 たまさか「恐れを生じる」ことや「恋に落ちる」ことは、生理現象の一部であって是非もない。しかし「恐れに留まる」こと、「愛し続ける」ことは、その対極にあることだ。
 励むべきは「愛し続ける」こと、避くべきは「恐れに陥る」こと、そういう次第か、な?
 聖書が繰り返し告げる「恐れるな μη φοβεισθε」は、こうして意味をもつことになる。
 「愛せよ、恐れるな」
 そういうことだ。

言葉の紳士録 004: 経緯(ゆくたて)

2014-01-06 07:24:17 | 日記
2014年1月6日(月)

 勝沼さん、さっそくお返事ありがとう。
> 時代考証をした歴史学者の本郷和人さんが「口語と文語を区別せず話し言葉をそのまま書くようになったのは明治以降で、昔の人がどう喋っていたかは一切記録がないのだから分かるはずがない」と半ば投げやりに言ってたのが印象に残りました。

 それはそうなんですよね、「合戦じゃあ、馬ひけい!」は僕らの想像する当時の表現であって、これが本当かどうかは分からない。僕が言ったのは、まさしく現代語文法としてあの場で「お目通り願いたい」は破格ではないかということでした。
 勝沼さんの『官兵衛』評を楽しみにしています。

*****

 「しかし、そういう経緯(ゆくたて)があったのなら、よく永津野竜崎氏は潰されずに済んだものだ」(『荒神』)

 昨日、機織りの話を書いたら、今朝の新聞小説冒頭に「経緯」という言葉が出てきた。こういう「偶然」は本当にキリがないほど身辺に多い。

 経緯の「経」は縦糸、「緯」は横糸。地図の経線・緯線が分かりやすい。織物は縦糸と横糸で織りなされていく。「経緯」を「いきさつ」と読むことはワープロの変換システムも心得ているが、「ゆくたて」は知らないし、知らなかった。
 物知りの web 辞書たちは、「これにはいろんなゆくたてもございますし」「「一十伍十(いちぶしじゆう)のゆくたてをば」などの用例を挙げる。(いずれも坪内逍遥『当世書生気質』)

 語源は何だろう、「ゆきいと」と「たていと」なのかな?違うな、たぶん。
 逍遥では「行く立て」と書かれているらしい。すると「行く末」などと同じく、「行く」+「立つ」からできたのだろう。ならば「経緯」を「ゆくたて」とするのは当て字なのだ。

 当て字も悪くないな。