2014年1月16日(木)続き
下り階段へ入るところで「発車サイン音」(というのだそうだ、ワープロは「発射サイン ON」と物騒な変換をする)が聞こえた。こういう時に急がないのが、鈍物の弁えというもので、走れば転ぶかも知れずぶつかるかもしれない。
こういう時にいつも思い出すのが新婚旅行の札幌駅、地元T君の案内で札幌ラーメンに舌鼓を打ち、御満悦でのろくさ歩いている僕らの列車の時刻を聞いてT君が飛び上がった。でっかいスーツケースを小脇に抱え、サンダル履きで走る走る。
「一本逃したらエラいことだよ、東京の電車と訳が違うんだから!」
叱咤しつつ疾駆する彼の頼もしかったこと、さすがバンバで鍛えた道産子は並の脚ではない。
駅を走るのはこういう時に限るものだ。東京の地下鉄ホームで慌てる理由がないだろう。案の定、目の前でドアが閉まったが、それだけのことで。
6分後の電車に乗り少し経ったところで、向こう側の座席にM牧師が座っていらっしゃるのに気づく。駆け込まなかったご褒美だ。ハンセン病患者の支援組織である好善社の理事長の大任を負われて、もう何年になるだろう。木曜日のこの時間は、ちょうど御出勤のタイミングらしいが、しばらくお目にかからなかった。
この一週間に柿ノ木坂で葬送されるお二人の、いずれとも深い関わりのあるM先生から、二駅の間にいろいろと教わるところがあった。いくらか歩幅が小さくなられたろうか、厳しさを湛えながら人なつこく、遠くを見通した涼しい視線が少しも変わらない御様子で安心した。
***
夜、昨日のブログに対するメールを受けとった。発信者は畏友H君の御令室で、知的も超ハイレベルのH夫妻が読んでくれると思うと、少々キモが冷える。(年賀状でものほしそうに通知したのは自分だけれど。)
あの件は石丸の誤解というか早とちりではないかというのがポイントで、「細い目の若者」が「何も言葉を返さなかった」のは、韓国人等の外国人だったからではないか、従って若者は不作法というよりも単に当地のマナーに慣れていなかった可能性があるとの指摘である。なるほど、というところ。ブログに書かなかったが現場は新木場駅、舞浜や幕張メッセにつながる京葉線ホームだから、なおさらそういうことも考えやすい。
ただ、あの若者自身についていえば、外国人であった筈はないと思う。
「気をつけて歩いてくれ」と言った時、彼の目に瞬時に浮かんだ憎しみの色は、言われたことを彼が十二分に理解した証拠だった。日本語の分からない相手なら、浮かぶ表情は当惑か不安・恐れの系列だった筈である。
ただ、この指摘は一般的な意味で貴重だ。生活空間で出会う似た顔をした人間が外国人であるという可能性を、もっと鋭敏に意識する必要がある。そういう場所であり、時代であるということを、観念的に知ってはいてもあまりに忘れ過ぎる自分であればこそ。
御指摘に感謝。
***
前後するが、前回末尾に書いたように昨夕、東北から贈り物があった。
ホタテ、である。そのサイズは以下の通り。
冷凍に近い超低温状態で届いたので一日待って解凍・調理、朝から楽しみにウホウホと帰宅し、手にとってギョッとした。様子を窺うかのようにわずか開いていた巨大な二枚貝が、やおらパタリと蓋を閉じたのである。あやうく指を挟まれるところ、紛れもなく生きてるのだ。
当たり前だって?そんなことないよ、ほとんど冷凍されて届いたんだよ。新鮮ではあっても既に生命反応はないものと思ったのだ。シベリアの氷河に凍結封入されたマンモスが、解凍されたからって動き出したりしないでしょ。
ところがこのホタテのイレブン(11個口!)は全員元気にもぞもぞ、カサカサ、フタを開けたり閉じたりしている。大した生命力ではないか。
それで僕に別の葛藤が生じてしまった。
もともと殺生は苦手で、小学生の頃、松江でカメを飼っていた時には、餌にするために捕ってきたタニシが水槽の中でツノを立てて動き出すのを見て、やにわに情が移ってとても殺せず、堀に帰してやったことがあった。(後日、別のタニシを捕ってきて餌にしたんだけど。)
その傾向が、この数年また強くなってきて、(年取って子ども返りしてるのか?)、ともかく殺生がイヤなのである。ゴキブリも叩くのに難渋するが、今時の都会人のようにゴキブリが怖いとかいうのじゃない、これもまた生き物で、僕と同じく神様に作られたと思うからで。
無論ここには大きな欺瞞があるわけです。そんなこと言いながら、生協配達のパック詰めホタテには舌なめずりしてかぶりつくわけで、要は難儀な部分を人任せにして金で片づけ、自分は飽食してるんだからね。
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで飢えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向こうに行ってしまおう)
よだかの嘆きに思い出したようにもらい泣きしながら、毎日毎晩、何かの命を奪って食べている。何だかほんとうにイヤなやつだ。しかし、ホタテを送ってくれた人の志は貴い。仔細は書かないけれど送り手は福島郡山の在、貝ははるばる下北の海からやってきたのである。
ありがたく、いただきました。ものすごく美味しかったです。
昨秋、南紀白浜でいただいた鮑を思い出しました。
下り階段へ入るところで「発車サイン音」(というのだそうだ、ワープロは「発射サイン ON」と物騒な変換をする)が聞こえた。こういう時に急がないのが、鈍物の弁えというもので、走れば転ぶかも知れずぶつかるかもしれない。
こういう時にいつも思い出すのが新婚旅行の札幌駅、地元T君の案内で札幌ラーメンに舌鼓を打ち、御満悦でのろくさ歩いている僕らの列車の時刻を聞いてT君が飛び上がった。でっかいスーツケースを小脇に抱え、サンダル履きで走る走る。
「一本逃したらエラいことだよ、東京の電車と訳が違うんだから!」
叱咤しつつ疾駆する彼の頼もしかったこと、さすがバンバで鍛えた道産子は並の脚ではない。
駅を走るのはこういう時に限るものだ。東京の地下鉄ホームで慌てる理由がないだろう。案の定、目の前でドアが閉まったが、それだけのことで。
6分後の電車に乗り少し経ったところで、向こう側の座席にM牧師が座っていらっしゃるのに気づく。駆け込まなかったご褒美だ。ハンセン病患者の支援組織である好善社の理事長の大任を負われて、もう何年になるだろう。木曜日のこの時間は、ちょうど御出勤のタイミングらしいが、しばらくお目にかからなかった。
この一週間に柿ノ木坂で葬送されるお二人の、いずれとも深い関わりのあるM先生から、二駅の間にいろいろと教わるところがあった。いくらか歩幅が小さくなられたろうか、厳しさを湛えながら人なつこく、遠くを見通した涼しい視線が少しも変わらない御様子で安心した。
***
夜、昨日のブログに対するメールを受けとった。発信者は畏友H君の御令室で、知的も超ハイレベルのH夫妻が読んでくれると思うと、少々キモが冷える。(年賀状でものほしそうに通知したのは自分だけれど。)
あの件は石丸の誤解というか早とちりではないかというのがポイントで、「細い目の若者」が「何も言葉を返さなかった」のは、韓国人等の外国人だったからではないか、従って若者は不作法というよりも単に当地のマナーに慣れていなかった可能性があるとの指摘である。なるほど、というところ。ブログに書かなかったが現場は新木場駅、舞浜や幕張メッセにつながる京葉線ホームだから、なおさらそういうことも考えやすい。
ただ、あの若者自身についていえば、外国人であった筈はないと思う。
「気をつけて歩いてくれ」と言った時、彼の目に瞬時に浮かんだ憎しみの色は、言われたことを彼が十二分に理解した証拠だった。日本語の分からない相手なら、浮かぶ表情は当惑か不安・恐れの系列だった筈である。
ただ、この指摘は一般的な意味で貴重だ。生活空間で出会う似た顔をした人間が外国人であるという可能性を、もっと鋭敏に意識する必要がある。そういう場所であり、時代であるということを、観念的に知ってはいてもあまりに忘れ過ぎる自分であればこそ。
御指摘に感謝。
***
前後するが、前回末尾に書いたように昨夕、東北から贈り物があった。
ホタテ、である。そのサイズは以下の通り。
冷凍に近い超低温状態で届いたので一日待って解凍・調理、朝から楽しみにウホウホと帰宅し、手にとってギョッとした。様子を窺うかのようにわずか開いていた巨大な二枚貝が、やおらパタリと蓋を閉じたのである。あやうく指を挟まれるところ、紛れもなく生きてるのだ。
当たり前だって?そんなことないよ、ほとんど冷凍されて届いたんだよ。新鮮ではあっても既に生命反応はないものと思ったのだ。シベリアの氷河に凍結封入されたマンモスが、解凍されたからって動き出したりしないでしょ。
ところがこのホタテのイレブン(11個口!)は全員元気にもぞもぞ、カサカサ、フタを開けたり閉じたりしている。大した生命力ではないか。
それで僕に別の葛藤が生じてしまった。
もともと殺生は苦手で、小学生の頃、松江でカメを飼っていた時には、餌にするために捕ってきたタニシが水槽の中でツノを立てて動き出すのを見て、やにわに情が移ってとても殺せず、堀に帰してやったことがあった。(後日、別のタニシを捕ってきて餌にしたんだけど。)
その傾向が、この数年また強くなってきて、(年取って子ども返りしてるのか?)、ともかく殺生がイヤなのである。ゴキブリも叩くのに難渋するが、今時の都会人のようにゴキブリが怖いとかいうのじゃない、これもまた生き物で、僕と同じく神様に作られたと思うからで。
無論ここには大きな欺瞞があるわけです。そんなこと言いながら、生協配達のパック詰めホタテには舌なめずりしてかぶりつくわけで、要は難儀な部分を人任せにして金で片づけ、自分は飽食してるんだからね。
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで飢えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向こうに行ってしまおう)
よだかの嘆きに思い出したようにもらい泣きしながら、毎日毎晩、何かの命を奪って食べている。何だかほんとうにイヤなやつだ。しかし、ホタテを送ってくれた人の志は貴い。仔細は書かないけれど送り手は福島郡山の在、貝ははるばる下北の海からやってきたのである。
ありがたく、いただきました。ものすごく美味しかったです。
昨秋、南紀白浜でいただいた鮑を思い出しました。