散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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言葉の紳士録 006: 足の裏の飯粒/やくざな商売

2014-01-24 07:55:31 | 日記
2014年1月23日(木)

 足の裏にくっついた飯の粒
 何のこ~とだ?

 つい最近、学位論文だか博士号だかをこのように表現した文を見かけた。以前から何度か聞いて笑い、そのたびにそれっきり忘れたんだろうな。畳生活じゃないと、いまひとつリアル感に乏しいかもしれない。

 「取らないと気持ち悪いが、取っても食えない」

 という落ちなんだそうだ。よくできてるね。
 古い切り抜きを整理していたら、建築専門家が一級建築士資格をこのように評している記事が出てきた。寄稿者の伊藤ていじ氏は、工学院大学長とある。
 文中で医者を「やくざな商売」のうちに括っているのが面白い。拡大したら読めるかな。
 
 そうか、Mさんたちのためにその部分を書いておこう。
 「実際のところ建築設計の市場を日本だけに限るならば、こんなにも多い建築士はいらない。やくざな商売の医者・芸者・記者などのように、建築者といわれないのがせめてもの慰めである。」

 なるほどな~。
 僕にはこの「やくざな」が、必ずしも侮蔑の言葉に聞こえない。医師よりも先生よりも、医者がいいもの。
 やくざ商売こそ身の誇りだ。


臨床雑記 014 それぞれの震災

2014-01-24 06:56:00 | 日記
2014年1月某日

 「この1~2年起きた出来事は、他人(ひと)と比べてもかなり酷いものだったと思いますよ。」
 そう言ってもらえてほっとした。
 でも、次に続いた言葉がもっと意外だった。

 「震災に襲われた人たちは、それはつらいでしょう。ただ、同時に被災した人々が大勢いたことで、自分にしか分からない痛みや悲しみを、他の人も一緒に負っているのだと考えることができます。被災者のために弁じてくれる人もあります。けれども、個人的な災難に出会った人には、そうした連帯を見出すことが難しく、声を合わせる仲間がいないのです。」
 「震災に比べれば私の苦難など小さいものだ、私は弱くて甘えているのだ、そんな風に自分を責めることはないと思いますよ。震災に比べれば、社会的には小さな災いかもしれないけれど、あなたという個人にとっては震災に匹敵する災厄だったでしょう。そしてあなたは、連帯する仲間のないまま一人で頑張ってきたんです。」

 被災された方々に比べて、私は何と弱いのかと思っていた私に、救われる言葉だった。
 もっと書いていたいけれど、やはり疲れてしまった。少しまた頭をカラにしてみよう。

(Xさんの手記から)