散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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☆ 横井型と小野田型(大事な宿題)

2014-01-29 09:46:03 | 日記
2014年1月29日(水)

 少し考えをまとめて、後から書こう、などと思っていてそのままお蔵入りのネタが既にたくさんあるので、ここはまとまらないまま書き留めておく。

 先に横井さんと小野田さんを対比して書いた後、H君とやりとりしながら内心で確認したのは、この人々が戦時下のイメージをもって南洋の島々に潜伏し続けたことそのものよりも、その行動とありようを通して「内地」の「現実」の日本人のある側面を鮮やかに映し出していることの重要性だった。
 日本の南の空に巨大なスクリーンが現れ、そこに僕ら自身が「投影」されているような具合。(附記:心理力動論のさまざまなツールの中で、「投影 projection」というコンセプトは、ひときわ利用価値が高いもののように思われる。)
 戦中・戦後の日本人(もっと一般化して良いのかもしれないが、さしあたり)の適応の様式として、横井型と小野田型があると考えてみたいのだ。社会が強制してくるものに対する、受動的で心の底まではコミットしない反応様式と、能動的で内心の同一化を伴う反応様式とでも言うのかな。だからこそ、外から吹く風の向きが変わる時には、当然ながら前者の方が適応が良いことになる。このことの射程が、最近の「新型うつ」ぐらいのところまで達しているのではないかと思ったり。(あの現象は、狭い意味での精神病理学では解ききれない。)
 兵卒型と将校型、庶民型とインテリ型、農村型と都市型、さまざまに重畳し交錯しつつ、アナクロから超モダンにわたって、いろいろ考えてみたい対照があるようだ。大事な宿題として自らに課す。

 以下は自分自身の資料として、H君とのやりとりの大略。

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1/22 H君より

 ・・・確か山本七平と司馬遼太郎が、横井さんと小野田さんについて(比較していたかは忘れましたが)、書いていたのを大学時代に読んだ記憶があり、再読したい気持ちです。

 もう一つ興味深いのは、小野田さんは中野学校で促成教育された残置諜者(第8師団参謀付き?)だったようですから、当時レイテ決戦も終わり、敗色濃厚。参謀本部にいれば正確な情報は入っていたでしょう。玉砕するなという師団長命令が、どの時点で、いかなる目的で発せられたかがポイントですが、敗戦になっても、諜報活動を続けろという命令だったかもしれません。

 外部からの各種情報に(おそらく)接していながら、上官の(任務解除)命令がなかったという理由で、長期間、任務を継続した、その精神と心理は興味深いです。外部情報は全て謀略と考えた時期があったとしても、戦後しばらくまででしょう。そうだとすると、敗戦はありえないとの前提で、日本側の謀略と考えたか、あるいは、敗戦は正統性があるとして、しかし、事実上、旧勢力は温存され復活しているから、いつ大日本帝国が復活するかは分からないと考えたのか・・・。
 彼の立場に立って、間接的な情報のみを通じて認識形成をしていることを考慮すれば、戦後の国際情勢と国内情勢の変化は、任務は継続すべしという信念を揺るがすものではないように思います。
 実際、現在では徴兵制以外、ほとんど復活しているのですから。(海外からながめていると、そう見えるでしょう。)だからこそ、帰国後の日本に適応できなかったのでしょう(彼の心理、精神、生理もちろんリンクしますが)。

 横井、小野田比較論は、いろいろな論点をたてて検討したくなりますね。
 たとえば、戦陣訓の位置づけ、受け取られ方の分布状況(将校と兵隊間での差異など)。

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1/23 H君へ

H大兄

 なるほど、預言者はその故郷において敬われず、ですかね~。

(中略)

 比較検討の論点はおっしゃるとおりで、関心がほぼ重なっていると思います。小野田氏の場合、鉱石ラジオを自分で組立てて日本のニュースを完全にフォローしており、投降2年前に部下の小塚氏が射殺されるまでは、二人で競馬の勝ち馬を当てて興じていたというんですから、単純な情報欠乏の結果ではありえないですよね。すべてを傍受(=傍らで受信)していながら、本国の人々とは別の(あるいは裏側の)現実を生き続けた人物というのは、才能があれば一大小説の素材にできるもののように感じられます。

 同じく密林に潜んでいても、発見されることを恐れ、ひたすら来援を待ち続けた「横井」と、孤独な戦闘を継続した「小野田」は心理的な構えが全く違います。「受動的」と「能動的」の違いと言ってみたらどうでしょうか。「受動的な横井」のほうが適応良好であったことを、かつて群馬大学で実施された統合失調症の生活臨床研究で、「受動型」の方が「能動型」よりも適応良好とされたことと関連づけてみたくなります。

 同じことは「戦後の本国」でもあったわけで、意志と信念をもって能動的に生きようとする者は、運命に受動的に流される者よりも、得てして適応が困難になるでしょう。能動型の方が圧倒的少数なのだろうと思います。小野田氏を称揚するのではありませんが、ある種の畏怖と敬意を感じるのはそのあたりです。(横井氏に対しては、むしろ同情と申し訳なさを感じる、といったら変でしょうか。「階級的偏見の裏返しだ!」と突っ込んでくる人間がいなくなったのは、40年の時の流れですかね。)

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1/23 H君より

 小野田さんが、そこまで傍受していたとは知りませんでした。シリアスな小説にもなるし、お笑い風に脚色もできるし、戦後日本社会史・風俗史を絡めて、昭和19年頃から昭和50年頃までを、本土とフィリピンの密林に分けて、適宜、クロスさせながら書くと面白そうです。ベトナム戦争を小野田さんがどう解釈していたかとかね。映画も面白そうです。日本映画全盛期なら、傑作ができた可能性がありますね。

 小生、スパイとか二重スパイには、昔から関心があって、グレアムグリーンの「ヒューマンファクター」という二重スパイ小説は、何度も読みましたが、どうも、昔風に言うと分裂気質というか微分回路的なパーソナリティは、スパイに親和性がありますね。参謀や官僚とスパイはまた違うけど。

 リヒャルト・ゾルゲにも多大な関心があります。篠田正浩の「スパイ・ゾルゲ」は傑作です。篠田監督のエッセイ(『私が生きたふたつの「日本」』)は面白いですよ。たしか、去年の正月頃にNHKのラジオ深夜便だったか別の番組で聞いた講演も、非常に迫力がありました。

 どうも話が脱線していくので、この辺で。

寒來暑往 秋收冬藏 ~ 千字文003

2014-01-29 08:05:48 | 日記
2014年1月29日(水)

◯ 寒來暑往 秋收冬藏
(カンライショオウ シュウシュウトウゾウ)

寒さがやって来れば、暑さは去ってゆき、
秋には作物を刈り取り、冬にはそれを蔵に収める。

[李注]
 春は青陽といい、風気は温和である。
 夏は朱明といい、風気は炎熱である。
 秋は白蔵といい、風気は清涼である。
 冬は玄英といい、風気は凛烈である。
 四季が交代して五穀が成熟する。作物は春には芽ばえ、夏には成長する。秋には穀物を取り入れ、冬には蔵におさめる。これが一年のことである。

***

 大寒を過ぎ、凛烈たる玄英のさなか、そうだ、寒中見舞いを書かなくちゃ。