2014年8月7日(木)
不眠の患者さんの中に、「不思議に電車の中だと熟睡できる」と訴える人がときどきある。
これ案外、不思議でもないのだろうと思う。電車の座席に身を沈めた状態は、子宮内の胎児の環境に酷似しているからだ。
子宮内は温かく、胎児は羊水の中に浮かんだ状態で身を揺すられている。少し前まで、胎児は視覚はじめ諸知覚が未発達なので、何も見ず聞かず、何も感じないと思われていたがそうではないらしい。視覚は確かに未発達だが、一定の外部知覚はかなりよく発達している。たとえば妊婦がいる部屋のドアがバタンと激しく閉じられると、そのバタンに反応して胎内の子どもがピクンと動く。胎児の運動を指標にしてモニターすると、外界の刺激をかなり鋭敏に検知し、これに反応することがわかるというのである。
さて、そのように胎児が音や振動をよく感知するという前提から振り返ると、子宮内は太古の静謐とは程遠く、雑多な騒音に絶えず曝されていることが想像される。背後には腹部大動脈が走り、心臓から血液が駆出される度に力強い脈動を発する。周囲は腸管に取り巻かれ、その中をガスや液体や固体が通過する音が、グルグル・ボコボコと伝わってくる。加えておしゃべりな母親の会話音や笑い声が頭上に ~ 正しく頭を下にしている子どもにとっては足下に ~ 響く。さらにはドアがバタン、掃除機がブーン、テレビのバラエティ、車のクラクション・・・
電車の中で、振動と粗大な機械音と、不特定多数の会話・騒音に曝された状態は、実は子宮内の状況をかなり忠実に再現しているのだ。中途半端に静かな都会の個室(その静かさが中途半端であることは、田舎に帰るとつくづく痛感される)よりも、電車の座席の方がかえって安眠できるのも、由なしとしない。
***
ただ、ここにもうひとつ考えるポイントがある。
少し前、ラジオのスペイン語講座を聞くともなしに聞いていたら、スペイン人のゲストが日本へ来て驚いたこととして、電車内で居眠りする乗客の多いことを挙げていた。スペインの地下鉄(?)ではきわめて珍しいことなのだそうである。
首都圏の生活では電車の移動時間が長く、日本人が総体的に睡眠不足に陥っているなども背景にあるだろうが、スペイン人の驚きについてもう少し深読みしてみたい。
昨今よく指摘されるように、多くの日本人は電車内を私的な空間の延長に位置づけている。塾帰りの子どもは遊戯室に、出勤途上のOLは化粧室に、老若性別問わずヘッドフォンをかける者はリスニングルームに、それぞれ小さな空間をカスタマイズして寛いでいる。当然そこを寝室にしても良いのである。
いっぽう、少々 stereotypic だけれど、スペイン人にとって公共交通の客車内は公的な空間であり、個室よりも広場に近い場所なのではあるまいか。そこに私を持ち込みすぎるのはマナー違反だし、だいいち、いつ何が降ってくるかわからない危険をはらんだ外の世界である。
だから電車内は、生理学的に安眠の条件が備わっているとしても、社会心理学的に眠りとは相容れない。眠りの中で人は最も無防備な状態にあり、眠りは個室と家庭の中に封印される高度に私的な営みだからである。シエスタ siesta の民だからこそ、公共の場で寝たりはしないのだ、きっと。
・・・パリの安宿のテレビ室でうたた寝していたら、オジサンに大声で起こされたことを30年ぶりに思い出した。寝るなら部屋で寝ろって、怖い顔をしていたっけ。あれは彼らにとっては、ちょっと気になるマナー違反だったに違いない。
***
先々週、珍しく不眠の晩があって、翌日は電車内でいつになく深く居眠ってしまった。たぶん横の空席の方に傾いたのだと思うが、後から乗り込んできた男性がひどく荒々しく座ったので、驚いて跳び起きた。(古語の「驚く」には「目覚める」の意味があったな。由緒正しい伊予弁は、この用法を今に保存している。若い人々は言わないだろうけれど。)
彼の大荷物の扱いはどうかと思うが、眠りこけた自分にも非があった。電車が化粧の場所でないというなら、同様に仮眠室でもない。長距離電車なら話は別だけれど。
これからは、気をつけよう。
『ハンモック』ギュスタフ・クールベ(1844)
不眠の患者さんの中に、「不思議に電車の中だと熟睡できる」と訴える人がときどきある。
これ案外、不思議でもないのだろうと思う。電車の座席に身を沈めた状態は、子宮内の胎児の環境に酷似しているからだ。
子宮内は温かく、胎児は羊水の中に浮かんだ状態で身を揺すられている。少し前まで、胎児は視覚はじめ諸知覚が未発達なので、何も見ず聞かず、何も感じないと思われていたがそうではないらしい。視覚は確かに未発達だが、一定の外部知覚はかなりよく発達している。たとえば妊婦がいる部屋のドアがバタンと激しく閉じられると、そのバタンに反応して胎内の子どもがピクンと動く。胎児の運動を指標にしてモニターすると、外界の刺激をかなり鋭敏に検知し、これに反応することがわかるというのである。
さて、そのように胎児が音や振動をよく感知するという前提から振り返ると、子宮内は太古の静謐とは程遠く、雑多な騒音に絶えず曝されていることが想像される。背後には腹部大動脈が走り、心臓から血液が駆出される度に力強い脈動を発する。周囲は腸管に取り巻かれ、その中をガスや液体や固体が通過する音が、グルグル・ボコボコと伝わってくる。加えておしゃべりな母親の会話音や笑い声が頭上に ~ 正しく頭を下にしている子どもにとっては足下に ~ 響く。さらにはドアがバタン、掃除機がブーン、テレビのバラエティ、車のクラクション・・・
電車の中で、振動と粗大な機械音と、不特定多数の会話・騒音に曝された状態は、実は子宮内の状況をかなり忠実に再現しているのだ。中途半端に静かな都会の個室(その静かさが中途半端であることは、田舎に帰るとつくづく痛感される)よりも、電車の座席の方がかえって安眠できるのも、由なしとしない。
***
ただ、ここにもうひとつ考えるポイントがある。
少し前、ラジオのスペイン語講座を聞くともなしに聞いていたら、スペイン人のゲストが日本へ来て驚いたこととして、電車内で居眠りする乗客の多いことを挙げていた。スペインの地下鉄(?)ではきわめて珍しいことなのだそうである。
首都圏の生活では電車の移動時間が長く、日本人が総体的に睡眠不足に陥っているなども背景にあるだろうが、スペイン人の驚きについてもう少し深読みしてみたい。
昨今よく指摘されるように、多くの日本人は電車内を私的な空間の延長に位置づけている。塾帰りの子どもは遊戯室に、出勤途上のOLは化粧室に、老若性別問わずヘッドフォンをかける者はリスニングルームに、それぞれ小さな空間をカスタマイズして寛いでいる。当然そこを寝室にしても良いのである。
いっぽう、少々 stereotypic だけれど、スペイン人にとって公共交通の客車内は公的な空間であり、個室よりも広場に近い場所なのではあるまいか。そこに私を持ち込みすぎるのはマナー違反だし、だいいち、いつ何が降ってくるかわからない危険をはらんだ外の世界である。
だから電車内は、生理学的に安眠の条件が備わっているとしても、社会心理学的に眠りとは相容れない。眠りの中で人は最も無防備な状態にあり、眠りは個室と家庭の中に封印される高度に私的な営みだからである。シエスタ siesta の民だからこそ、公共の場で寝たりはしないのだ、きっと。
・・・パリの安宿のテレビ室でうたた寝していたら、オジサンに大声で起こされたことを30年ぶりに思い出した。寝るなら部屋で寝ろって、怖い顔をしていたっけ。あれは彼らにとっては、ちょっと気になるマナー違反だったに違いない。
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先々週、珍しく不眠の晩があって、翌日は電車内でいつになく深く居眠ってしまった。たぶん横の空席の方に傾いたのだと思うが、後から乗り込んできた男性がひどく荒々しく座ったので、驚いて跳び起きた。(古語の「驚く」には「目覚める」の意味があったな。由緒正しい伊予弁は、この用法を今に保存している。若い人々は言わないだろうけれど。)
彼の大荷物の扱いはどうかと思うが、眠りこけた自分にも非があった。電車が化粧の場所でないというなら、同様に仮眠室でもない。長距離電車なら話は別だけれど。
これからは、気をつけよう。
『ハンモック』ギュスタフ・クールベ(1844)