散日拾遺

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祈り/The Serenity Prayer

2014-08-28 09:16:01 | 日記
2014年8月28日(木)
 AAでそれが祈られることは知っていたが、浦河で出会うことは予想していなかった。予想できたはずのところだけれど。
 カート・ヴォネガット『スローターハウス5』にも印象的にとりこまれた、その原文と「べてる訳」を載せておく。前にも載せたような気がするが、何度でも良いだろう。

 serenity の訳が簡単ではない。英語題に The Serenity Prayer とある通り、serenity、courage、wisdom の三つのキーワーズの中で、なぜかこの語の浸透力がひときわ目立って感じられる。アッシジのフランチェスコの美しい祈りが「平和」で象徴されるように、この祈りは「serenity」を徴標とする。
 べてる訳はハヤカワSFの伊藤典夫訳などと同じく、これに「おちつき」の語を当てた。秀逸だが、これを「おちつきの祈り」と呼ぼうとすると途端にくじける。ここにも翻訳の難しさがある。

***

 The Serenity Prayer

 God grant me the serenity
 To accept the things I cannot change;
 Courage to change the things I can;
 And wisdom to know the difference.

 神さま、私に与えてください
 変えられないものを受けいれるおちつきを
 変えられるものを変える勇気を
 そしてそのふたつのことを見分ける賢さを
 
***

陳根委翳 落葉飄颻 ~ 千字文 097/「先生」の側の問題

2014-08-28 08:20:04 | 日記
2014年8月28日(木)
 三男が何で家にいるのかと思ったら、まだ夏休みだったのね・・・

○ 陳根委翳 落葉飄颻(チンコン・イエイ ラクヨウ・ヒョウヨウ)
「陳」は古い、「委」は「萎」に通じて、しおれ衰えること。
「翳」は覆い隠すの意だそうで、「陳根」の述語としては少々わかりにくい。

「陳根は草木の旧根の未だ萌芽の発生せざるものを謂う。即ち、地上に委棄・蔽翳す。」
「即ち」になってないよ、未萌芽なら終始地下にあるんじゃないの?

「飄颻」は風に吹かれて翻るさま、これは分かりやすい。
 紅葉も落葉も決して受動的な敗北の相ではなく、樹木の側の能動的な寒さ対策であること、前に書いたっけかな。これを寂しいと考えるのは、人の側の投影というものである。

 それで思い出した。
 朝日の『こころ』再連載がいよいよ佳境に入り、Kからお嬢さんへの恋心を打ち明けられた「先生」が煩悶するあたりである。Kが寡黙な性であるという設定がこれほど大きな役割を果たしていること、以前は気づかなかった。Kの沈黙が「先生」の葛藤を容赦なく引き出すさまは、精神分析治療の自由連想を思わせるようだし、事実そのようなプロセスが進行しているのだ。すべては「先生」の一人相撲であり、Kの姿は投影につぐ投影によってモンスタラスに膨れ上がっていく。問題はKの側にではなく、「先生」の内にある。
 痛ましいかな、そこに解釈してくれる人がいない。