散日拾遺

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見当違いの怒り/田の中の小川

2015-01-09 07:48:07 | 日記

2015年1月9日(金)

 

 イエスを十字架につけたのも、見当違いの怒りだった。

 

***

 

 「そしてわかりました。これは匿名の人たちと、名前を出す人との戦いだって」

 「戦いですか・・・」

 「匿名とは無名であることで、それは強いけれどつらいことなんですよ。だから彼らは、名前を出して世の中に出てくる人たちに嫉妬している。少しでも彼らの弱点やアラを探そうと、必死になっている。それに生き甲斐を見出す者さえいるんです。自費出版なんて、彼らにしてみると中途半端なつまんない媒体です。しかし今度はお目こぼしはなかった。彼女の本が売れて、彼らの癇に障ったんですよ」

『マイストーリー』246

 

 これは見当違いの怒りであるのかないのか。

 

 「匿名は強いけれどつらいこと」

 

 う~ん、そうなんだろうか。

 何かひっかかるな・・・

 

***

 

 「何か急に用事でも出来たんですか」

 「用事は決して出来る男じゃない。ただ用事を拵(こしら)える男でね。ああいう馬鹿は少ない」

 「なかなか気楽ですな」

 「気楽なら好いけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので ー たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけは始終変わっている。だから、する事が、ちっとも締まりがない・・・」

『三四郎』第六十九回

 

 「ゆく川の流れは絶えずして」(『方丈記』)を逆手にとった辛辣さで、耳が痛いことこのうえもない。今年は川のようでありたいと思ったが、田の中の小川では困ってしまう。

 用事を勝手にこしらえる愚は、せめて犯さないようにしよう。