2015年1月16日(金)
「ここんんとこ、夜中に目が覚めるんや、何でやろうなあ先生?」
何でって・・・
苦笑に返す言葉がない。ただいま肺ガンの放射線療法中。
「いろいろやってるけど、あんまり効いてへんようやな。何でかって?そらわかるがな、体が言いよるねん。しかし、何で目が覚めるんかな、別に何もないんやけど・・・」
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「富士山は登ってません。もう少しやせないと、転がりおちたら大惨事を起こしちゃいますから。その代わり明日は高尾山、先日は愛鷹山にのぼってきました。」
愛鷹(あしたか)の地名は、東名を通るたびに意識しているが、このとき妙に懐かしく脳裡に響いた。「あしたか」という音のやわらかさ、「優雅な」それとも「美しい」鷹というイメージの高らかさ、そこを登っていく壮年を過ぎた苦労人の男女。
愛鷹の山な猛りそ寒晴れに (昌蛙)
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「四万温泉、いいですよ。同じ上州でも、草津などは開けてますから歓楽街もあったりします。ここは知られてないから、家族でのんびりするには最高です。私は・・・アタマが悪かったから高校も工業で、その代わり就職してからはずっと一生懸命働いてきました。褒められるようなことはしてないけれど、悪いこともしてこなかったと思います。先生がおっしゃるように、一年ぐらいのんびりしてもバチは当たらないんじゃないかと、ようやくそんなふうに思えてきて。近々、女房と行ってきます、四万温泉。先生も是非そのうち、いらしてください。」
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「父の姉が手作りで作った箱を、父は形見としてずっと大事にしていて、ところが先日調子の悪い日に、ハサミで切り刻むようにこれでもかっていうぐらい傷つけて、『誰の目にもつかないように捨ててしまえ』って。もちろん捨てずに隠しておきました。翌日はもうそのことを覚えていなくて、『姉さんの箱、どこにいっちゃったかな』って、心配そうに探し回ってるんです。」
「券をもらったので、『サン・オブ・ゴッド』を見に行きました。その御受難の場面が、もちろんイエス様は罪なくして十字架にかかられて、私たちは罪あるものだから十字架にかかって当然なのだけど、それはちょっと置いて私には、ひとりで老いて、だんだん何も分からなくなっていく父が、何だか画面の中でイエス様と重なってしまって・・・」
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「役者のE蔵さんがお正月のTVに出ていました。若い頃、そういうつもりではなく子どもができてしまって、認知はしないって。それがどうこうっていうんじゃないんです。ただ、番組では今のE蔵さんの、御家族との幸せな様子が映されていました。それを見たら、認知してもらえなかった子どもさんはどんな気持ちがするだろうかって。認知しないのは理由があるんんだろうし、自分が幸せになるのはかまわない、だけど、こういう形でつらい思いをさせることって・・・いけないんじゃないでしょうか。私、間違ってるでしょうか、私が、裁いてるんでしょうか。先生、どう思われますか?」
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「ゆるす、っていうのは、ゆるめることでもあるんだね、あなたの話を聞いていてそう思いました。だから・・・だからあなたも、あなた自身をゆるめてあげてくださいね、あまり厳しく縛りあげないで」
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「私にもたぶん隙があって、ストーカーめいた人を引き寄せちゃってるっていうか、相手の出してる危険な信号をキャッチできてないところがあると思うんです。それはさておき、こういう相手には共通の特徴があるって気がついたのね。」
「どんな?」
「私って、何にもないじゃないですか。崩壊家庭に育って、学歴ナシ、入院歴アリ、前科まではないけれど、履歴ボロボロで何にもなしの35歳ですよね。でもそういう私が、何ももっていないのに幸せそうなのが、ゆるせないらしいんです。相手はいつだって私よりたくさんもっていて、そのくせ全然しあわせそうじゃないんだ。」
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他にもいろいろあるが、さすがに書けない。
すべて今日の一日に、都内某所の小部屋で語られたことだ。精神科の外来診察室、そういう名前になっている。
皆が元気でいますように。