散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

いみじくもヤバし! ー 小西甚一という人

2015-01-26 19:38:33 | 日記

2015年1月26日(月)

 めでたく見つけた『古文研究法』から引用する。

 

***

 

 心のなかの状態を示す形容詞は、一般に、連用形で連用修飾になると、もとの意味が薄れて程度のいちじるしさをあらわすのであって、何も「あいなし」に限ったわけではない。「いみじ」(非常な・すばらしい)「かしこし(恐ろしい・慎むべきだ・尊い)「いたし」(心ぐるしい・いたわしい・りっぱだ・はげしい)等の形容詞は、それぞれに違った意味なのだが、連用修飾になると、「いみじく」も「かしこく」も「いたく」も、あまり違いがない。

 現代語でも、「おそろしい」「ひどい」などの形容詞や「ばかだ」などの形容動詞は、それぞれ違った意味をもっているが、連用修飾になって「おそろしく」「ひどく」「ばかに」などの形で使われると、単に程度のいちじるしさをしめすだけで、あまり差がなくなる。

 このように、単語でも、その用法ぐるみ覚えるのでなくては、解釈に生かしてゆくことはできないから、よく注意してほしい。

 

(中略)

 

 前の例に出したとおり、「いみじ」には、だいたい二とおりの用法があるけれど、根本的には「普通の程度でない」ということで、それがいろんな場面に使われて、違った訳語を必要とするようになったのである。その根本的な意味さえのみこんでいれば、かならずしも二とおりに限ったわけではない。しかし、大別して

 

   a わるい場合 ー たいへんだ・すごい・重大だ・おそろしい。

   b よい場合 ー なみなみでない・たいしたものだ・りっぱだ。

 

といったような訳語を用意しておけば、たいてい間に合う。

 

***

 

 ほらね、だから「ヤバい」は「いみじ」、あるいは「いみじ」は「ヤバい」なのだ。

 それにしても、ただの受験参考書などというものではない。昭和30(1955)年の初版だが、出版社もその価値を自認するらしく、先日、つまり平成27(2015)年のある日、三省堂をぶらぶらしていたら、ちゃんとこの本が並んでいた。昔のハードカバーとは違った廉価装丁(?)が少々残念だが、内容は60年の風雪をものともせず、見事21世紀に生き延びたのである。

 

 僕だけではない、という証拠に、新聞の切り抜きをスキャン添付しておく。こちらは平成10(1998)年、当時の朝日新聞編集委員氏のエッセイである。

 

 「・・・どうせろくでもなかった記憶を一掃すべく、昔のものはすべて処分したが、『古文研究法』(洛陽社)だけは後に古本屋で買い直し今もわが書棚にある。大学の先生が片手間に書いたような類書を圧していて、著者はただ者でないと感じたものだ。「昭和30年」の初版、小西甚一の肩書きはまだ「東京教育大学助教授」である。」

 

 

***

 

 小西 甚一(こにし じんいち、1915年(大正4年)8月22日 - 2007年(平成19年)5月26日)、国文学者、比較文学者。

 三重県宇治山田市船江町(現・伊勢市船江)に生まれる。生家は魚屋だった。三重県立宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)、東京高等師範学校を経て、1936年(昭和11年)、東京文理科大学国語国文科を卒業。1940年(昭和15年)、同研究科修了。1954年(昭和29年)、文学博士号を取得(東京文理科大学)。1951年(昭和26年)、『文鏡秘府論考』により日本学士院賞を35歳の若さで受賞。

 学者として壮年期に日本学士院賞を受賞したが、同時に大学受験指導普及に熱心で、大学受験ラジオ講座の講師を務めたほか、自ら著した学習参考書『古文研究法』(洛陽社)は単なる参考書を超えた国文学入門書としてファンが多く、ロングセラーとなっている。自ら編纂した代表的な学習参考書は、他に『国文法ちかみち』(洛陽社、重版中)、『古文の読解』(旺文社、ちくま学芸文庫として復刊)等があり、コンパクトな古語辞典の先駆けとなる『基本古語辞典』(大修館書店、のち『学習基本古語辞典』に改題)がある。

 

 “ これからの日本を背負ってゆく若人たちが、貴重な青春を割いて読む本は、たいへん重要なのである。学者が学習書を著すことは、学位論文を書くのと同等の重みで考えられなくてはいけない。りっぱな学者がどしどし良い学習書を著してくれることは、これからの日本のため、非常に望ましい。 ”

 — 『古文研究法』「はしがき」