散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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ヨモギモチ/奥様グーテンターク

2014-04-23 23:05:26 | 日記
2014年4月23日(水)

 裏山をわずかに分け入った薪炭林の前の日だまりに、野草が豊かに生い茂っている。昨夕、父がそこからヨモギを一抱え摘んできた。今朝は母がそれをモチについてくれた。電動の餅つき機は小さいが力持ちで、年に何度か良い働きをする。ヨモギの香りのする柔らかいモチがつきあがり、これが東京への何よりの手土産である。

 飛行機内で、航空会社制作の『もうひとつのニッポン』をやっている。この航空会社に対する怒りはいつになっても止むことがないが、このシリーズはよくできている。
 今日とりあげられているのは、漫画家のカロリン・エックハルト(Carolin Eckhardt)、1987年ポツダム生まれとある。
 9歳の時、TVで『セーラームーン』を見て日本のマンガに夢中になった。日本へ行きたい気持ちが募り、日本の写真を見ては泣訴する毎日。その夢を母親が聞き届けてくれて、16歳で来日。神戸の日本人夫妻のもとで一年みっちり仕込まれ、札幌の高校へ入学。卒業後は札幌で仕事しながら漫画の修行を続け、一昨年から連載の『奥様グーテンターク』で一躍脚光を浴びたのだと。

 彼女が惚れ込んだのは、丁寧に描き込まれて豊かな動きのある日本のアニメに違いないが、同時に魅せられたひとつのキーワードがあるのだという。
 完璧な日本語を話す彼女の口から出たのは、「筋」という言葉だ。

 「筋の通った人になりたい」という。
 「筋を通すことが大切」とも。
 
 「筋」と彼女が言うのは、文脈からすると「全工程に関して完全な責任をもつ職人気質」ということらしい。江戸切子や江戸筆が具体例として挙げられるが、職人仕事は、なべてそうしたものであっただろう。細かく専門分化され、自分の担当分野に関してのみ責任をもつことが一般化している今の世界で、こうした「筋」の通し方を彼女は日本の伝統から学ぶという。
 だから彼女は、こうして売れはじめてもアシスタントを使わない。キャラクターに命を与える複雑で膨大な線描の「工程」を、寝る間を削ってすべて自分の手で行っている。

 僕などはそこにドイツ人の意志の強靱と心身の頑健を見たくなる。トーマス・マンの執筆ぶりが、北ドイツのギルドで養われた職人のそれと変わらないと指摘されたことをも思い出す。職人というなら、ドイツは「マイスター」の制度によって、日本よりもはるかによく職人気質を保存しているのではないか。
 それでもカロリン・エックハルトは、それらのすべてを日本から学んだという。

 そうしたものかもしれない。お互いがお互いから学ぶというのは、お互いにお互いの内にある豊かさを教えあうことなのだろう。ドイツにそれがないというのではない、しかし彼女は日本からそれを学んだのだ。

 もうひとつ、彼女が教わったというのが、「感謝」である。
 どういう縁でか知らないが、彼女は16歳で来日して神戸の日本人F夫妻のもとに一年滞在した。日本で漫画家になるという志望を聞いたときから、この里親夫妻の態度ががらりと一変し、厳しい注文をつけるようになったという。
 「一年で帰るんやったら、そら優しくするけどな。この国でずっと暮らすと言うのであれば・・・」
 日本社会の常識とマナーをしっかり指導したのである。
 「いきなり怒られて、何が何やら分からんこともあったやろうなあ、それでも、ダメなことはダメやから、そいでケンカになって」
 想像に難くない。ドイツ人の教育は厳しいが、子どもにも抗弁する権利があり、納得がいかなければ堂々の論陣を張ること、『マーサの幸せのレシピ』でも垣間見たとおりだ。そうした「ケンカ」の末にカロリン・エックハルトが習得した最大のものが「感謝」だという。
 努力が実って成功したのであるとしても、その陰には多くの人々の配慮があり尽力がある。高慢になってはいけない、感謝の心を忘れるなというのである。もう何度も書いたが、心理臨床においてケースの長期予後を占う大きな要因が、「感謝する能力」なのだ。

 「お父さんとお母さんには、感謝してます」
 とカロリン。
 締めくくりに「日本(人)とは何か」と聞かれて彼女がさらさらと描いたのは、「心」を抱きしめるように立ち並ぶ人々の姿だった。 
 「筋」「感謝」そして「心」、それらが彼女の見てとる日本人のキー・コンセプトである。


燦々と

2014-04-23 10:50:50 | 日記
2014年4月23日(水)

 美しい朝である。
 薄雲を通して初夏の陽が燦々と注ぎ、花々も若葉も輝かしい。ウグイスがそこここで、賑やかに鳴き競っている。
 大げさだって?ほんとだよ、ほら!

 僕はようやく回復模様で、今夕の帰京予定が歯がゆくてならない。せめて庭木の剪定や下草刈りを、機械の手を借りて少しだけしてみる。ツツジの枝蔭に、しなやかなトカゲ。トゲだらけの木瓜(ぼけ)の木が、年に一度の花盛り。山椒の小枝にも小さな花がびっしりと付き、小さなアブが無数に集まってワンワン音を立てている。
 家の中ではネズミが毎夜の跳梁、そんなことは構わぬ態で、黒猫が庭をゆっっくり横切っていく。
 
 日本の田園は本当に美しい。どんな文明と引き替えに、これを捨てようというのか、僕にはまったく分からない。

郷里に戻ると必ず床につくこと

2014-04-22 14:43:51 | 日記
2014年4月21日(月)~22日(火)

 面目ない。天気はもったのに元気が果てた。
 着いた晩から喉が痛くなり、月曜朝は声が出ない。鼻炎症状も出そろって立派な風邪である。
 予報が外れて空は雨を控えてくれたのに、こちらがこれなので仕事にならない。しょうことなく横になると、自分でもあきれるぐらいよく眠ること。
 高校に入った三男が春休みにあまりよく寝るので、嗜眠性脳炎とか何かそんな病気ではないかと心配したが、これならよく対抗できそうだ。「眠るのにも体力が要る」「眠いのは若い証拠」、う~ん、日頃の自説をどう考えたものか。

 喉の炎症は約24時間でぐるりと一周し、明けて火曜日は目の周りが痛むやら歯が浮くやらで、これは三叉神経領域の痛みと思われる。それでも熱はなく、食欲は大ありなので、「無為徒食」を地で行っている。こういう不敬な言葉は『千字文』にはないのだろうな。
 東京を発つ前、いまいましい書類仕事で夜更かしが続いており、そこに気温の乱高下と移動の疲れと・・・説明は何とでもつくが、ひとつはっきりしているのは幼少時から帰省すると熱を出して寝つくのが年中行事だったことである。
 子どもの頃はイトコらと合流する嬉しさに、つい興奮して遊びに熱中しすぎ、数日でパンクするというのが決まったパターンだった。同時に、看病してくれた叔母か誰かが、「故郷の水」だか「故郷の空気」だかを話題にしたのが、妙に印象に残っている。両親とも、たどることのできる限り数世紀以上にわたってこの地に住み着いており、なるほどこの土地の水や空気に適応して自分ができあがっているのに違いない。
 だから元気が出るならともかく、病みつくというのも妙なようだが、元気の蓋が開くのと健康のバランスを崩す(特に熱性疾患に陥る)のとは、紙一重の現象であるような気がする。

 何しろこの田舎は静かであり、空気が澄んでいる。熱を出さない時でも、東京とは別の体になったように深く眠り、長く眠る。
 いつか、この土地でこんな具合に生涯を終えるのではないかと、小さい頃からよく思っていた。そうできたら幸せなことだ。

 「帰省」の語は単なる「帰郷」とは違い、「高齢の両親を気遣う」意があるのだと、最近の液晶トリビアで知った。まさしくそのような「帰省」の予定であったところ、あべこべに両親に気遣われながら惰眠を貪っている。

 どうも面目ない。
 
 

面接授業@松山 ~ 第二日

2014-04-21 20:00:06 | 日記
2014年4月20日(日)

 チェックアウトして通りに出れば雨模様、余儀なくタクシーを拾う。初乗り530円はいかにも安い。東京は710円だったっけ。
 今朝の運転手さんは「見たら分かるでしょう」流とは違って、気のいい話し好きのおじさんである。ワンメーターの間にずいぶんやりとりすること。
「松山は、お城だけはええね。お城だけはね。こんなええお城は他にないわい、これは絶対、最高じゃ、お城だけはええわい・・・」
 同感ですが、お城以外に何もないですか、と訊こうとする矢先、右手の路地から軽自動車がするすると出てきた。ここぞとばかりクラクション、それでもまだ1mほど前進して、あやうく接触するところ。悪名高い「伊予の早曲がり」で知られるとおり、「直進優先」の大原則がこの町では甚だ影薄いのである。「東郷/秋山の敵前回頭はこの地の伝統」とは、父の説。なるほど、お城だけは、か。
「あれじゃけんな、もう、何を考えとるかわからんのよ、ストレスが多いわい」
 ストレス論をかわす間に、愛媛大学についた。

 一日目、開講時にアンケートをとり、その記載を二日目にとりあげることを恒例にしている。純粋な興味関心から受講する学生ももちろんあるが、自身や家族が精神疾患当事者というケースが必ず何割か含まれており、さらにメンタルヘルス関連職種に従事する人も少なくない。自ずと受講態度も真剣になる。
 アンケート内容を、本人の同意を得て紹介することも呼び水になって、二日目は自己開示を含んだ質問や意見が多く出る。個人相談に流れないよう舵を切りながら、出席者の体験共有へと誘導するのが講師の腕の見せ所で、腕の善し悪しはともかく僕はこれが好きなのである。
 特養の看護師さん、就労支援担当のシルバー男性、鍼灸院を舞台に地域住民のストレス管理にあたる視覚障害者等々、多くの話題提供で盛り上がった。中に自分がアスペルガーだという若者が居て、「興味のあることだといくらでも集中できるが、興味のもてないことは全く頭に入らず、その場に居続けること自体難しい」と不気味なコメントを書き込んでいた。彼がいつ教室を出て行ってしまうかハラハラしていたが、ちゃんと最後まで礼儀正しく受講してくれた。
 締めくくりのテストを実施して成績評価を係に提出、相変わらずの小雨の中を門まで出ると、父の車がちゃんとそこに待っている。
 
 北へ20㎞走ってわが実家。ウンナンソケイが咲き誇り、ツツジもちらほら始まっている。通販で買って送っておいた庭用のポールバリカン、使い物になりそうなのを確かめて一安心。
 あとはお天気だ。

イースターの朝早く

2014-04-20 08:17:30 | 日記
2014年4月20日(日)

 松山は曇天、明日・明後日は天気が崩れ気味の予報でちょっと困った。

 今日は今年のイースター、僕が経験した中では、たぶん2番目に遅い。いちばん遅かったのは84年の4月22日で、この日は見事な晴天、おまけに東京の桜が遅い満開だった。ちょうど30年経ったのか。
 「イースターなくしてクリスマスなし」というが、讃美歌はクリスマスに数が多く、美しいものも多い。ただ、94年の3月末にセントルイスで経験したイースターは、印象が違った。アメリカ人は演出に長けた人々で、200年の歴史をもつ長老主義教会の礼拝は鳥のさえずりのような軽やかなコーラスが、力強い説教とよく呼応して会堂に響いていた。

 浮かんでくる讃美歌が二つある。

 イースターの朝早く、マリアがお墓で泣いていたとき
 十字架で死んだ あのイエスさまが 静かに呼びかけた。

 イースターの夕方に 二人のお弟子が旅していると
 十字架で死んだ あのイエスさまが いっしょに歩いてた。

 イースターの八日目に 「ぼく信じない」ってトマスが言うと
 十字架で死んだ あのイエスさまが 部屋に入ってきた。

 世界の人々が「もうだめなんだ」とたとえ言っても
 十字架で死んだ あのイエスさまが みんなの希望なのだ。

 ああ キリストは ほんとうによみがえったのだ
 ハレルヤ ハレルヤ アーメン

 (改訂版こどもさんびか88番)

 故・今橋朗先生の傑作だ。ただ僕はなぜだか一番の「静かに呼びかけた」を、「笑って立っていた」と歌ってしまう。ヘンかな。
 もちろん聖書には、笑って立っていたとは書かれていない。それどころか福音書全体にわたって、イエスが「笑った」と書かれた箇所が見あたらないという。
 だからといってイエスが笑わなかったはずはない。たぐいまれなユーモアの人だもの、ことさら「笑った」と書かれていなくとも、健やかな哄笑や辛辣な微笑がその生涯を満たしていたはずだ。しかつめらしい講話の人では断じてないよ、彼は。
 書かれていないことを、むやみに想像で語るものではない?
 そんなテキストは無意味というものだ。

 もうひとつ、讃美歌21には辟易することが多いが、中にいくつか素晴らしく良いものが採録されている。旅先で曲番が分からない・・・と思ったらネットで簡単に出てきた。575番だ。米メソジスト教会の牧師夫人の作だそうだが、この和訳は秀逸である。そして3拍子の踊るようなメロディーが素晴らしい。

1 球根の中には 花が秘められ、
  さなぎの中から いのちはばたく。
  寒い冬の中 春はめざめる。
  その日、その時をただ神が知る。

2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
  深い闇の中 夜明け近づく。
  過ぎ去った時が 未来を拓く。
  その日、その時をただ神が知る。

3 いのちの終わりは いのちの始め。
  おそれは信仰に、死は復活に、
  ついに変えられる 永遠の朝。
  その日、その時をただ神が知る。

 イースター、おめでとう!