散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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イースターの朝早く

2014-04-20 08:17:30 | 日記
2014年4月20日(日)

 松山は曇天、明日・明後日は天気が崩れ気味の予報でちょっと困った。

 今日は今年のイースター、僕が経験した中では、たぶん2番目に遅い。いちばん遅かったのは84年の4月22日で、この日は見事な晴天、おまけに東京の桜が遅い満開だった。ちょうど30年経ったのか。
 「イースターなくしてクリスマスなし」というが、讃美歌はクリスマスに数が多く、美しいものも多い。ただ、94年の3月末にセントルイスで経験したイースターは、印象が違った。アメリカ人は演出に長けた人々で、200年の歴史をもつ長老主義教会の礼拝は鳥のさえずりのような軽やかなコーラスが、力強い説教とよく呼応して会堂に響いていた。

 浮かんでくる讃美歌が二つある。

 イースターの朝早く、マリアがお墓で泣いていたとき
 十字架で死んだ あのイエスさまが 静かに呼びかけた。

 イースターの夕方に 二人のお弟子が旅していると
 十字架で死んだ あのイエスさまが いっしょに歩いてた。

 イースターの八日目に 「ぼく信じない」ってトマスが言うと
 十字架で死んだ あのイエスさまが 部屋に入ってきた。

 世界の人々が「もうだめなんだ」とたとえ言っても
 十字架で死んだ あのイエスさまが みんなの希望なのだ。

 ああ キリストは ほんとうによみがえったのだ
 ハレルヤ ハレルヤ アーメン

 (改訂版こどもさんびか88番)

 故・今橋朗先生の傑作だ。ただ僕はなぜだか一番の「静かに呼びかけた」を、「笑って立っていた」と歌ってしまう。ヘンかな。
 もちろん聖書には、笑って立っていたとは書かれていない。それどころか福音書全体にわたって、イエスが「笑った」と書かれた箇所が見あたらないという。
 だからといってイエスが笑わなかったはずはない。たぐいまれなユーモアの人だもの、ことさら「笑った」と書かれていなくとも、健やかな哄笑や辛辣な微笑がその生涯を満たしていたはずだ。しかつめらしい講話の人では断じてないよ、彼は。
 書かれていないことを、むやみに想像で語るものではない?
 そんなテキストは無意味というものだ。

 もうひとつ、讃美歌21には辟易することが多いが、中にいくつか素晴らしく良いものが採録されている。旅先で曲番が分からない・・・と思ったらネットで簡単に出てきた。575番だ。米メソジスト教会の牧師夫人の作だそうだが、この和訳は秀逸である。そして3拍子の踊るようなメロディーが素晴らしい。

1 球根の中には 花が秘められ、
  さなぎの中から いのちはばたく。
  寒い冬の中 春はめざめる。
  その日、その時をただ神が知る。

2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
  深い闇の中 夜明け近づく。
  過ぎ去った時が 未来を拓く。
  その日、その時をただ神が知る。

3 いのちの終わりは いのちの始め。
  おそれは信仰に、死は復活に、
  ついに変えられる 永遠の朝。
  その日、その時をただ神が知る。

 イースター、おめでとう!

面接授業@松山 ~ 第一日

2014-04-20 01:18:28 | 日記
2014年4月19日(土)

 9時過ぎに宿を出て、城山の麓を東南隅から東北隅まで歩いたことになるか、愛媛大学キャンパスまで15分あまり。キャンパス内の位置取りも教室の作りや配置も、昨年の香川学習センターとよく似ている。先日書いたとおりの堂々たるクスノキや、関東には見劣りするもののなお立派なケヤキの若葉が美しく、アメリカハナミズキが花盛りなのも楽しい。宮城のTさんは朝のメールで「今夜は夜桜を楽しみながら帰ります」と書いてきた。日本列島の南北の広がりは小さくない。

 30名ほどの受講生のうち県外からは4名、残りはすべて愛媛県人。全体に穏やかで、笑いどころの仕掛けへの反応もまったりと鈍く、しかし意外に質問は多く出る。I先生のゼミ形式の面接授業で、「愛媛は発言が乏しくて困った」と話しておられたが、顔ぶれや条件にも依るのだろう。

 所長の森孝明先生はドイツ文学も19世紀の詩人メーリケ Moerike が御専門で、授業前の短い時間に例によっていろいろ質問し、ついでに何かお書きになったものをとねだったら、書棚にあった訳書『メーリケ詩集』をその場でくださった。授業の合間にパラパラめくると、和やかではにかむような数行が目に入ってくる。あるいはまた、次のような。

 眠りよ 甘い眠りよ おまえほど死に似ているものはないが
 この寝床によろこんで迎えよう
 なぜなら生を忘れているとき なんとここちよく生きられることか!
 死から遠ざかっているとき 何とたやすく死は訪れることか!
 (『眠りに寄す』)
 
 南ドイツに暮らした牧師兼詩人で、激情的であり政治的でもあったロマン派のハイネなどと対照的な、いわゆるビーダーマイヤー Biedermeier を代表する一人らしい。またひとつ教わった。

 午後の眠い時間も、ただの一人も居眠りせず船も漕がないのは立派というに尽き、数名の質問者は引き続き元気であるが、全体としてはやはりどこかのんびりして、盛りあがりや発散とは遠い雰囲気である。所長先生以下のスタッフも、礼儀正しく親切であるけれども、それ以上の何かが伝わってはこない。
 それで何を言えるわけでもなく、以前書いたように愛媛は面積こそ小さいが地域色は非常に多様で、「県民性」を語る意味がそもそも乏しい。それなら松山に限ってみたらどうかと考えるが、どうもよく分からない。とりたてて目立った個性が感じられず、強いて言うなら一人一人が小さな殿様・お姫様であるかのような呑気な鷹揚さが、面白いといえば面白いか。しかしこれは状況次第では腹の立つ一面でもあるのだ。どうも分からない。
 身内にカラいということもあるかな。

 一日目が終わってホテルに引き上げ、よく見知った松山で今さら暖簾をくぐって散在する気にもなれず、(ついでに言うなら、松山のサービス業者は概していただけない。10年ほど前に講演仕事で帰松し、空港でタクシーに乗りこんだ途端にフロントウィンドウに雨粒が落ち始め、同行者が思わず「あら、雨ですか?」と言ったら、運ちゃんの返事は「見たら分かるでしょうが」だった。万事こんな調子だ。)夕暮れの街をお城の堀端沿いに30分ほど散歩した。東堀端で碧梧桐の句碑を見る。

 さくら活けた 花屑の中から 一枝拾う

 自由律非定型というものか、「虚子は熱きこと火の如し、碧梧桐は冷たきこと氷の如し」と子規の評。虚子との対立は相当深刻なものだったらしい。
 南堀端から堀之内に入ってお城を見上げる。昨夏再発見したこの平山城(ひらやまじろ)の優美な姿は、これはいつ見ても良い。こんなお城は他にない。山の木々が城の大事な衣装になっている。その衣装が新緑たけなわに向かいつつある。お城そのものが季節を呼吸して日々新しい。

 ホテルの隣が、「日本棋院地方支部」と看板架けた碁会所なのだった。ここでYさんという四段格と2局、いずれも序盤で大いに優勢に立ちながら、ねじりあいで後れを取り、あるいはヨセ負けるいつものパターン。碁に関しては僕が誰よりも殿様流だ。後から考えればとんでもないポカをやっていて、あるは少し頭が疲れていたかも・・・そりゃそうか、85分の授業を4コマこなしたんだもの。それに腹も減ってたしな。
「ワシの負けじゃったな、一局目は黒の(=僕の)勝つチャンスはなんぼうでもあったんじゃが」「特に二局目は、あいだけリードしよったけん気分が悪かろう、ほうでもないかや?」
 丸出しの伊予弁で、ねぎらうとも自慢するともつかないえびす顔に、ようやく僕の好きな松山を垣間見た。

 ローソンで買ってきたウドンに冷や奴(もちろんモメン、冷や奴はモメン豆腐に限る!)、山盛りのサラダでビールを一杯。イースター前夜の「祝敗」、ごめんなさい・・・