2014年4月6日(日)
H君から「訂正依頼」あり。
だけど僕の頭がついていってなくて、彼の意を体して正確に訂正するにはどうしたものか、すぐに思案が出ない。
だからというわけでもないけれど、了解を得て全文を転載する。
よく読み返して考えてみよう。
poort という言葉にまつわる面白さ、これは大いに共感・了解出来るので。
【その1】
時差ぼけから回復しつつある頭で、ひょっとしてと思って、Swisspoortをインターネットで調べたら、みあたらず、ベルギー法人も Swissportと表記するようです。
私のこの錯覚をどう解釈するか、選択肢はいくつかありますが、振り返ってみるに、カウンターで下手な英語で押し問答するうちに落ち着きを失っていたのがベースにあって、そこへもってきて、あそこに見えるSwisspoortのカウンターへ行って再発行してもらえなどとカウンターの女性に横柄に言われ、そこへ行くと、問題ない、有効だと言われ、この往復を数回くりかえしているうちに、なんでベルギーなのにスイスなんだ!、わけがわからん、という怒りも作用して、綴りを正確に認知しなかった。
そのあと、成田だったか帰国直後にスマホで、このスイスなんとかとは一体何者だと調べたら、 Swissportなる会社だとわかった。アウトソーシングしている会社だと知って、不手際にそれなりに得心がいったのですが、そのとき、自分がブリュッセルで見た語は、ooだったはずと思い込んだんだと思います。
それは、おっちょこちょいの自分の性格も関係していますし、会社名を理解できなかった自己への弁護の心理も作用し、加えて、オランダ語に慣れてきたので、poort なる語に馴染んでおり(いろいろな場所に、〇〇poort という地名があります。坂下門、虎ノ門、といった感じですが、都市の城壁の出口で、行き先の名前をつけるので川越門、川崎門、品川門ってな感じでしょう)、早とちりした、ということでしょうか。
というわけで、ちょっと恥ずかしいですが、訂正お願いいたします。
※ 石丸注記: 行き先の名前を門につけるのは、たぶん世界に例の多いことだろう。西暦800年頃、ハルーン・アッラシードの時代にイスラム世界の中心として栄華を極めたバグダッドは、その四つの大門が「シリア門(北西)」「コラッサン門(北東)」「バスラ門(南東)」「クーファ門(南西)」と呼ばれていた。
【その2】
なんで、Swissport と認知せず、Swisspoort だと錯覚したのか、精神分析してもらうのも面白いかも。
自分でも、自信がないですが、ブリュッセル空港で Swissportと明確に認知しなかったのは事実ですね。かといって、Swisspoort と明確に認知したという自信もない。記憶をたどると、oがいくつあるのかな、ooのように見えるなというイメージが浮かびます。
ただ、poortという語に慣れ親しんでいたことは間違いないです。というのは、ブリュッセルには、有名な交差点に Naamsepoort (Porte de Namur) ナミュール(ワロン地方の都市)の門(ナミュール通りの端がナミュール門です)があり、そのほか、かつての壁(中世都市を囲む壁)が今、環状道路になっていて、そこかしこに、poort(port) があります。
宿舎の女子修道院のすぐ近くも、中世都市の壁が環状道路になっていて(女子修道院は街のはずれの低地、かつての河川敷にあります)、そこが、なんと、やはり Naamsepoortなんです。
そういうわけで、poort に親近感のようなものがありましたね。それで、一体、何でスイスなんだ、というのと、なんで poort なんだろうという印象があったようです。portを見ても poortと見えてしまうような機制があったようにも思います。それが英語とクロスオーバーしている言語の一つの効果(初心者にとって?)かもしれません。
ちなみに、グーグルで「都市の壁」を調べたら、面白い記述があって、「旧約聖書だけで、「門」(「ゲートgate」あるいは「ゲートgates」)の単語がおよそ400回出現します。これらの言葉は異なった使用法により少し異なった意味を持っています。」とあるじゃありませんか。
poort という語に妙に惹かれていたのは間違いないと思います。終わらないので、このくらいにしておきましょう。
※ 石丸注記: H君はとっくに知っていることだが、「中世都市を囲む壁が今は環状道路になっている」というのはこれまたヨーロッパ世界に普遍的な現象で、フランス語の boulevard(今は英語にも入っている)はまさしく「壁」と「環状道路」の二義をもつ言葉だった。
「門」の多義性がまた刺激的な話で、ついでにいえば門も都市も精神分析的には女性性の象徴であると思われる。
漱石の『門』については、連載開始時に題名を決めてくれと新聞社から頼まれたのに、「そちらで適当に考えてくれ」と漱石が答えたもんだから(!)、困った担当者がたまた目の前にあった『ツァラトゥストラかく語りき』を開いたら、そこに「門」が出てきたのでそれに決めたという話がある。
当の漱石が「なかなか「門」にまつわる話にならないので困る」と途中でぼやいたそうだが、今から読むととてもそうは思えない、「入れてくれ」と頼んでも開かない、「自分で開けて入れ」と中から声がするなどという下りは、最初から狙ったもののようだ。
いずれにせよ、お寺の山門か、たかだか城門ぐらいの表象しかもたない僕らには想像しがたい、欧州・中東の、あるいは中国の、都市の壁でありそこに穿たれた門の話である。
H君の興奮が伝染してきて終わらないので、このくらいにしておこう。
H君から「訂正依頼」あり。
だけど僕の頭がついていってなくて、彼の意を体して正確に訂正するにはどうしたものか、すぐに思案が出ない。
だからというわけでもないけれど、了解を得て全文を転載する。
よく読み返して考えてみよう。
poort という言葉にまつわる面白さ、これは大いに共感・了解出来るので。
【その1】
時差ぼけから回復しつつある頭で、ひょっとしてと思って、Swisspoortをインターネットで調べたら、みあたらず、ベルギー法人も Swissportと表記するようです。
私のこの錯覚をどう解釈するか、選択肢はいくつかありますが、振り返ってみるに、カウンターで下手な英語で押し問答するうちに落ち着きを失っていたのがベースにあって、そこへもってきて、あそこに見えるSwisspoortのカウンターへ行って再発行してもらえなどとカウンターの女性に横柄に言われ、そこへ行くと、問題ない、有効だと言われ、この往復を数回くりかえしているうちに、なんでベルギーなのにスイスなんだ!、わけがわからん、という怒りも作用して、綴りを正確に認知しなかった。
そのあと、成田だったか帰国直後にスマホで、このスイスなんとかとは一体何者だと調べたら、 Swissportなる会社だとわかった。アウトソーシングしている会社だと知って、不手際にそれなりに得心がいったのですが、そのとき、自分がブリュッセルで見た語は、ooだったはずと思い込んだんだと思います。
それは、おっちょこちょいの自分の性格も関係していますし、会社名を理解できなかった自己への弁護の心理も作用し、加えて、オランダ語に慣れてきたので、poort なる語に馴染んでおり(いろいろな場所に、〇〇poort という地名があります。坂下門、虎ノ門、といった感じですが、都市の城壁の出口で、行き先の名前をつけるので川越門、川崎門、品川門ってな感じでしょう)、早とちりした、ということでしょうか。
というわけで、ちょっと恥ずかしいですが、訂正お願いいたします。
※ 石丸注記: 行き先の名前を門につけるのは、たぶん世界に例の多いことだろう。西暦800年頃、ハルーン・アッラシードの時代にイスラム世界の中心として栄華を極めたバグダッドは、その四つの大門が「シリア門(北西)」「コラッサン門(北東)」「バスラ門(南東)」「クーファ門(南西)」と呼ばれていた。
【その2】
なんで、Swissport と認知せず、Swisspoort だと錯覚したのか、精神分析してもらうのも面白いかも。
自分でも、自信がないですが、ブリュッセル空港で Swissportと明確に認知しなかったのは事実ですね。かといって、Swisspoort と明確に認知したという自信もない。記憶をたどると、oがいくつあるのかな、ooのように見えるなというイメージが浮かびます。
ただ、poortという語に慣れ親しんでいたことは間違いないです。というのは、ブリュッセルには、有名な交差点に Naamsepoort (Porte de Namur) ナミュール(ワロン地方の都市)の門(ナミュール通りの端がナミュール門です)があり、そのほか、かつての壁(中世都市を囲む壁)が今、環状道路になっていて、そこかしこに、poort(port) があります。
宿舎の女子修道院のすぐ近くも、中世都市の壁が環状道路になっていて(女子修道院は街のはずれの低地、かつての河川敷にあります)、そこが、なんと、やはり Naamsepoortなんです。
そういうわけで、poort に親近感のようなものがありましたね。それで、一体、何でスイスなんだ、というのと、なんで poort なんだろうという印象があったようです。portを見ても poortと見えてしまうような機制があったようにも思います。それが英語とクロスオーバーしている言語の一つの効果(初心者にとって?)かもしれません。
ちなみに、グーグルで「都市の壁」を調べたら、面白い記述があって、「旧約聖書だけで、「門」(「ゲートgate」あるいは「ゲートgates」)の単語がおよそ400回出現します。これらの言葉は異なった使用法により少し異なった意味を持っています。」とあるじゃありませんか。
poort という語に妙に惹かれていたのは間違いないと思います。終わらないので、このくらいにしておきましょう。
※ 石丸注記: H君はとっくに知っていることだが、「中世都市を囲む壁が今は環状道路になっている」というのはこれまたヨーロッパ世界に普遍的な現象で、フランス語の boulevard(今は英語にも入っている)はまさしく「壁」と「環状道路」の二義をもつ言葉だった。
「門」の多義性がまた刺激的な話で、ついでにいえば門も都市も精神分析的には女性性の象徴であると思われる。
漱石の『門』については、連載開始時に題名を決めてくれと新聞社から頼まれたのに、「そちらで適当に考えてくれ」と漱石が答えたもんだから(!)、困った担当者がたまた目の前にあった『ツァラトゥストラかく語りき』を開いたら、そこに「門」が出てきたのでそれに決めたという話がある。
当の漱石が「なかなか「門」にまつわる話にならないので困る」と途中でぼやいたそうだが、今から読むととてもそうは思えない、「入れてくれ」と頼んでも開かない、「自分で開けて入れ」と中から声がするなどという下りは、最初から狙ったもののようだ。
いずれにせよ、お寺の山門か、たかだか城門ぐらいの表象しかもたない僕らには想像しがたい、欧州・中東の、あるいは中国の、都市の壁でありそこに穿たれた門の話である。
H君の興奮が伝染してきて終わらないので、このくらいにしておこう。