散日拾遺

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郷里に戻ると必ず床につくこと

2014-04-22 14:43:51 | 日記
2014年4月21日(月)~22日(火)

 面目ない。天気はもったのに元気が果てた。
 着いた晩から喉が痛くなり、月曜朝は声が出ない。鼻炎症状も出そろって立派な風邪である。
 予報が外れて空は雨を控えてくれたのに、こちらがこれなので仕事にならない。しょうことなく横になると、自分でもあきれるぐらいよく眠ること。
 高校に入った三男が春休みにあまりよく寝るので、嗜眠性脳炎とか何かそんな病気ではないかと心配したが、これならよく対抗できそうだ。「眠るのにも体力が要る」「眠いのは若い証拠」、う~ん、日頃の自説をどう考えたものか。

 喉の炎症は約24時間でぐるりと一周し、明けて火曜日は目の周りが痛むやら歯が浮くやらで、これは三叉神経領域の痛みと思われる。それでも熱はなく、食欲は大ありなので、「無為徒食」を地で行っている。こういう不敬な言葉は『千字文』にはないのだろうな。
 東京を発つ前、いまいましい書類仕事で夜更かしが続いており、そこに気温の乱高下と移動の疲れと・・・説明は何とでもつくが、ひとつはっきりしているのは幼少時から帰省すると熱を出して寝つくのが年中行事だったことである。
 子どもの頃はイトコらと合流する嬉しさに、つい興奮して遊びに熱中しすぎ、数日でパンクするというのが決まったパターンだった。同時に、看病してくれた叔母か誰かが、「故郷の水」だか「故郷の空気」だかを話題にしたのが、妙に印象に残っている。両親とも、たどることのできる限り数世紀以上にわたってこの地に住み着いており、なるほどこの土地の水や空気に適応して自分ができあがっているのに違いない。
 だから元気が出るならともかく、病みつくというのも妙なようだが、元気の蓋が開くのと健康のバランスを崩す(特に熱性疾患に陥る)のとは、紙一重の現象であるような気がする。

 何しろこの田舎は静かであり、空気が澄んでいる。熱を出さない時でも、東京とは別の体になったように深く眠り、長く眠る。
 いつか、この土地でこんな具合に生涯を終えるのではないかと、小さい頃からよく思っていた。そうできたら幸せなことだ。

 「帰省」の語は単なる「帰郷」とは違い、「高齢の両親を気遣う」意があるのだと、最近の液晶トリビアで知った。まさしくそのような「帰省」の予定であったところ、あべこべに両親に気遣われながら惰眠を貪っている。

 どうも面目ない。