散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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右通廣内 左達承明 ~ 千字文 059

2014-04-15 08:06:41 | 日記
2014年4月15日(火)

◯ 右通廣內 左達承明 (ウツウ・コウダイ サタツ・ショウメイ)

 廣內(広内)は漢の宮廷の図書室の名だそうで、どれほど広かったか想像が動く。
 承明は同じく漢室の宮殿の名で、ここは著述の場であったそうだ。

 (正殿に向かって)右は広内に通じ、左は承明殿に至る。

 右と左、通と達が対応する。
 右往左往、右顧左眄、右や左の旦那様・・・

 右の手のすることを、左の手に知らすな。
 ほとんど死語だが、自己アピール万能の現代でも、そのように振舞う人々はあるのだ。

 漢の宮廷で図書資料や著述作業が貴ばれたことは、直前の秦・始皇帝の暴挙をいっそうのこと浮き彫りにする。

道祖神と月

2014-04-15 07:28:54 | 日記
2014年4月14日(月)

 代休を利用して歯医者へ。半年ごとの「歯の健診」を、良い子はちゃんと守るのだ。 空気は冷たいが日差しが良い。2㎞ほどの道を往きは歩き、帰りは軽く走る。

 世田谷区内の住宅街、昔は街道の分岐点でもあったろう鋭角の地面に、小さな道祖神がある。その前でやや年配の女性がピタリと手を合わせ、軽く頭を下げた姿勢で動かない。遠くからその姿を認め、近づいて通り過ぎるまで、微動もせず一心に祈っている。人より先に、道祖神が動き出すのではないかと思われる。
 東京の街中で、見た覚えのない風景だ。

***

 夕方、また別用で出かけて帰りが日没後になった。群青の空に、欠けるところのない満月が皎々と上っている。
 これが春分を過ぎて最初の満月、ということは次の金曜日が過ぎ越しの受難日で、日曜日がイースター。太陽の復活を月が予告する。宇宙的なできごとがいよいよ始まる。

 Mさんに満月のことを伝えたら、返信あり。
「若い頃は月の光で海苔(のり)網をはったなあ」と母が言ってました。

 月あかりの中で網を張る!
 神々しいような風景ではないか。

***
 
 二景とも、画題にもできれば俳題にもなりそうだが、残念ながらこちらに才能がない。

臨床雑記 020: 関東の黒い土/ケヤキとクスノキ

2014-04-15 00:05:06 | 日記
2014年4月11日(金)

 関東と関西、というのも乱暴な対比だが、あえて乱暴に比べてみるのが面白いことはいろいろある。

 医学生時代のある日、級友Aが生協で買ってきたトコロテンをおやつに食べていた。黒蜜をかけて甘く食べることもでき、酢醤油と芥子をからめて青ノリを振って食べることもできるという具合に、両様の調味料が付いた便利な商品である。(ということは、どちらかは無駄になるんだから勿体ないとも言えるが。)
 美味しそうに食べている彼を、別の級友Bが横から見ている、その表情が何ともいえず気持ち悪そうなのだ。
 Aが食べているのは酢醤油バージョン、見ているBがつぶやいた。
 「何を好きこのんで、酸っぱいおやつを食べるんか、トコロテンいうたら黒蜜に決まってるやないか・・・」
 A君は神奈川、B君は兵庫の出身なのだった。

 いくらでも例は挙がるが、自由連想の達人であるOさんが今日思い浮かべたのは、「関東の黒い土」のこと。
 幼少期に神戸から家族で移ってきて、仔細をつぶさに記憶する年齢ではなかったが、園芸好きのお母さんが「関東の土は黒い」としきりに繰り返したのはよく覚えているという。先のトコロテンと違って賞賛の言葉で、黒く細かい土に作物がよく育つことを感心されたらしい。食物が貴重な時代でもあったろう。

 わが母も似たことを言ったものだが、これはよろしくない方の例である。関東の海水浴場の黒い砂は興ざめで、泳ぐ気がしないというのだ。これは一理ある。
 郷里の瀬戸内は白砂青松、花崗岩質の真っ白な砂と静かな内海が、絶好の天然プールを提供する。それにひきかえ関東の砂は火山灰で黒い上に、太平洋の荒波に四六時中かき回され巻き上げられて、瀬戸内出身者には泥水のシャワーとしか感じられない。何が悲しくて泥の中を泳がんといかんのか・・・トコロテンのパターンに戻ったね。

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 中立の立場でオチをつけよう。
 関東と関西、それぞれの魅力を示す象徴的な樹木は何か?
 関東のケヤキ、関西のクスノキ、そう言っておきたい。

 東日本のケヤキは実に美しい。主幹のある部分から一斉に分かれた枝が、それぞれ葉先まで真っ直ぐに伸び、樹冠全体がいわゆる「箒を逆さにしたような」形を作る。清々しく潔い姿である。
 西日本にもケヤキはあるが、やや品種が違うのではないだろうか、枝分かれの度に主枝が少しずつ角度を変え、箒というよりはハタキを思わせる乱雑な樹冠になりがちなのだ。ケヤキは東に限る。関東とは限定すまい、仙台駅前から伸びる大通りのケヤキ並木は圧巻だから。
 いっぽう、西日本のクスノキは威風堂々たるものだ。しまなみ海道の飛び石島のうち、愛媛側最北の大三島には巨大なクスノキが群生し、中に樹齢二千年とも三千年とも言われる巨樹が鎮座して、木というよりも山塊の威容を示している。
 少し前まで、関東にはクスノキが少ないと感じていた。事実少なかったと思うが、病害虫や大気汚染に強く、豊かで美しい樹冠を戴く特性が買われたものか、ここ十年ほどの間にむやみに植えられるようになった。しかし大樹を矮生させるものではない。放送大学の最寄りである海浜幕張駅前などは、舗装された路面を正方形にくりぬいた狭い地面に、なよなよとしたクスノキの若木が落第坊主のように立たされている。これは英雄を遇するやり方ではない。先住民を居留地に押し込める連想すら働いて、不快というか気の毒である。
 クスノキは西の自然木が断然良い。よく伸びたケヤキが板東武者の心意気なら、どっしり座ったクスノキは本朝二千年の歴史そのものだ。

 これまで東京で見たいちばん見事なクスノキは、恵比寿駅近くの高級らしい住宅街の街路に林立するそれだった。これも人工的には違いないが、ずいぶん優遇されてそれなりの迫力を示している。
 散歩の迷い道にたまたまそこを見出し、東京にもこんなクスノキがあったのだと晴れ晴れした気持ちで幹に触れなどしていたら、向こうからやってきた女性がこちらを見て微笑んだ。赤の他人に微笑まれることは、東京ではめったに起きない。賭けても良いが、この女性もクスノキに対して同じ感興に耽っていたのである。

 そうして出会った女性が、わが連れあい・・・だったら面白いな。
 そういうロマンスを書けないかな。

***

 Oさんの自由連想について書くつもりで「臨床雑記」にしたのだが、何のことはない、僕の自由連想になってしまった。
 しかしこれがまたOさんの語るところでもあって、彼女が自由連想の達人であるのは、僕の投げかけに素直に呼応したからに他ならず、実は僕の特性だというのである。こんなおっしゃりようが、またOさん独自であったりする。

 「最近は、生きてるのがあたりまえになっちゃいました。」
 主治医から3か月の余命を宣告され、それから20数年を生き延びてきたOさんの、今日の締めくくりの言葉である。