散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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画家は描く人、我は何もの

2018-07-27 12:39:40 | 日記

2018年7月26日(木)

 駅前でY君に出会った!「時計じかけのオレンジ」の彼である。

 こちら2丁目、彼1丁目、隣の町内に住みながら何十年も見(まみ)えなかったのに、昨日ブログで「同窓会の誘いについぞ返信がない」などと書いたら、その明日にこれだ。小説やドラマなら「出来過ぎ」「御都合主義」と槍玉にあがるところ。往古はこういう時に「言霊が人物・事物を呼び寄せる」と考えたのだろうか。そう信じて間違いでもない気がしてくる。

 「メール行ってる?」

 「来てる来てる、また返信するよ。」

 聞きましたよ、返事が来なかったらまたブログに書いちゃうぞ!

***

 昨日リハ病院の3階居室で、姿を見るなりNさんが破顔一笑、

 「あらよく来てくれたわねえ」

 どっと安堵があふれた。その日一人で家にいたNさんは、まだ意識のあるうちに自分で119番通報なさったのである。それを聞いて以来この瞬間をどれほど不安に待ったことか。

 ベッドの周りに大小の作品、クロゼットから取り出されたスケッチブックには絵もあれば折り紙も貼られ、NさんはどこにいたってNさんである。

       

 「描いてあげるわ、ほら」

 6Bの鉛筆を手に、つれあいと僕の似顔をものの5分で描きあげた。瞬時に特徴をつかみ、誰を描いても温かい。僕が誰だか、覚えてなくても分かるのだ。

***

 スケッチブックに小さな切り抜き、「折々のことば」から

『ムッシューイノクマ、きみの絵はうますぎる』(アンリ・マティス)

 画家の猪熊弦一郎は、パリでの修業時代、自作を携え、憧れのマティスを訪ねた。その時マティスにこう言われた。「対象を良く見つめることなく、ただテクニックだけで描いている」と。

 画家の修業は、恵まれた才能を押し殺し、世界にイニシアティヴを明け渡すことから始まる。画家に限らず、何ごとにも小器用、小細工はいかん・・・

***

  絵はとんと分からないが、Nさんの画業がうますぎる小細工でないことぐらいは、いくらなんでもよく分かる。いまこの時もその通り、どこを切ってもその人が現れ、いつでもどこでも画家は描く。

 画家が描くなら、君は何する?

Ω


フェノロサと二人の妻

2018-07-26 16:15:21 | 日記

2018年7月25日(水)

勝沼さん:

> 前にも話したかもしれませんが、もう一冊のお雇い外国人本『明治お雇い外国人とその弟子たち』にはお雇い外国人達の墓がどこにあるかが巻末資料に書いてあります。お墓参りしたい人向け(?)

 ありがとうございます。今まで知りえた範囲では青山墓地が群を抜いていて、あとはかれこれのお寺だったでしょうか。次はこれを読んでみます。少し先になるかな。

Wolfy さん:

> 筆力がイマイチで読みづらかったですが、事実は小説より奇なり。ビゲロウとフェノロサが仏教徒に改宗するくだりが面白い一冊です。

 ありがとう、早速読んでみました。櫻井敬徳の人格的影響力、そこから両者が受け取った仏教思想の大きさ深さ、その背景にとりわけフェノロサの場合には屈折した生い立ち、そんなところがキーワードでしょうか。

 ビゲロウという人の貢献度の大きさを初めて知り、仏教徒としての真摯に驚きました。この時代のアメリカ人で社会的に活躍しながら生涯独身は珍しく、そのあたりの仔細も分かれば知りたいところです。

 実は私、いちばん興味を引かれたのはフェノロサの二人の妻のことでした。詳しく言えば、第一にそれぞれの非凡さ、第二に二人の角逐です。

 非凡という言葉は通常、良い意味で使いますが、この二人は良い意味でも悪い意味でも規格外のように思われます。

 最初の妻リジー(Lizzie Millett)は派手好きの浪費家であったと言われますが、夫が謡の稽古をつけてもらっている最中に師匠梅若に近寄っていきなりその腹を触り、呆気に取られている一同の前で「師匠の声は腹から出ているのに、あなたは喉で謡っている」と喝破した逸話(P.110)などは、只者ではない証拠でしょう。

 一方のメアリー(Mary Scott)は小説家でもあった才媛で、フェノロサ生前の仕事や遺稿の整理に貢献もしましたが、亡夫を称揚しようとするあまり明らかな作り話を一つならず、しかも相当誇大的に書き残している点(帰米後にコロンビア大学教授として活躍したとか、遺骨を英国から日本に移すために日本の軍艦が派遣されたとか)は、人格に関する根本的な疑いを抱かせるに十分です。

 ついでながら、メアリーがニューオーリンズ時代からラフカディオ・ハーンの信奉者であり(P.106)、来日後にハーンと再会して交流を温めた(P.121)ことは、ハーン・ウォッチャーの私には興味深いことでした。ハーンの評伝があるでしょうから、これもこの機に読んでみたい。

 リジーとメアリーの角逐に関しては本文にある通りで、とりわけフェノロサ没後にメアリーを妻として認めない「公論」が存在したことが驚かれるのですが、前妻リジーが裁判を経て正式に離婚し十分な金銭的補償を受けたにも関わらず、なおフェノロサ夫人と名乗り続けたあたりに、ただならぬものを感じます。この種のことは決して女性たちだけの問題ではなく、フェノロサ自身が何らかの種を撒いているに違いないのですけれども。

 なお、主題とはまったく関係のないことですが、フェノロサ記念碑の石材が「一丈六尺の根府川石」(P.187)と書かれてあるのが気になってググりました。根府川石(ねぶかわいし)とは小田原市根府川あたりで産する輝石安山岩のことだそうですが、この地で根府川事故と呼ばれる惨事が起きたのですね。詳しくは根府川駅列車転落事故、1923(大正12)年9月1日、東京発真鶴行普通列車(蒸気機関車牽引、客車8両)が熱海線(現・東海道本線)根府川駅のホームに入線しかけたところで、関東大震災によって引き起こされた土石流に遭遇。駅舎やホームなどの構造物もろとも海側に脱線転覆し、最後部の客車2両を残して全てが海中に没しました。死者・行方不明者112人、負傷13人、同震災による鉄道事故として最悪のものだそうです。

Ω


同窓生らと旧交を温めること

2018-07-25 15:02:20 | 日記

2018年7月25日(水)

 この4月に放送大学に着任した河原温(かわはら・あつし)教授、フランドル史研究の第一人者で多数の著書がある。これ実は高校の同窓生、卒業時に彼はA組、僕はB組だった。御尊父が進学先のドイツ語の教授で、畑は違うが人文系の学者の血筋である。

 1977年頃、『星のギリシア神話』という聞くからに魅惑的な本を書店だか書評だかで見かけ、その訳者が河原忠彦氏とある。たまたまキャンパスで出会って話題にしたら「親父だよ」とちょっと照れくさそうに種を明かしてくれた。その晩、彼が電話をくれ、「良かったら一冊進呈するって」と望外の御配慮、表紙裏に一筆添えてくださったものが今も本棚の宝物で、関楠生先生の訳書などと並んでドイツ語コーナーを占めている。

 5月の教授会の日に持って行って、ジュニアに見せながらしばし昔話。御尊父は今も健筆をふるっておられ、どうやら河原君の目標でもあれば競う相手でもあるようだ。

 

***

 彼のA組はたいへん仲の良いクラスで、卒業以来集まりを欠かしたことがないらしい。こちらB組は事情が違ってなかなか寄ることがなく、還暦前を機にようやく年一回の集まりが定例化した。今秋が4回目、その幹事を拝命したのが自分史上もっけの不思議である。高校時代のワガママ勝手、協調性の無さからは考えられない話で、誠に人生は奇妙に長い。

 通った高校は男女共学、同数なら女子が強いのが通例であるうえ、入学式で当時の校長が「女子の超一流と男子の一流半が集まっている」と口を滑らした通りの力関係。こちらは一人っ子育ちで女子というイキモノが無性に怖く、名古屋から上京してきたアウェイ感もありひたすら女子を敬い遠ざけていた。先様(さきさま)もまた、こちらのことなど眼中にないものと確信していたが。

 クラス会幹事は型通り男女一名。相棒のMさんに、我々を指名した昨年の幹事のH君とKさん、4人でキックオフの会食をしたところ、43~4年も寝かせた話が出るわ出るわ、あの時のその件はこんな真相だった式の記憶のすり合わせで、あっという間に時間が過ぎた。案外あたたかく見ててくれたんですね、そうとは気づかず失礼しました。

***

 この高校には当時4つの附属中学があり(現在は3つ)、そこからの進学者と僕らのような外部からの入学者が混然一体の3年間を過ごすのが妙味だった。4人の中ではMさんとH君が同じS中学の出身で、Kさんと僕が外部である。この構図だと、Mさん・H君が小中学校以来のS校勢の逸話について、Kさんと僕に話して聞かせてくれるということが当然起きる。以下はその一例。

 Y君という男子がいる。卒業後は某私大を経て銀行に勤め、高校時代と同じ場所に住んで平穏に暮らしているはずだが、なぜか同窓会には全く出ないし連絡に返事もよこさない。それ自体はよくあることで、謎ではあるが別にスキャンダルではない。

 このY君がS中の卒業生で、高校一年ではMさんと同級になった。席替えのアヤでたまたまこの二人が机を並べていたある日、漢文の授業の時間のことである。

 Y君、何を思ったかMさん相手に熱弁を振るい始めた。テーマというのが『時計じかけのオレンジ』である。A. バージェス(英)のディストピア小説(!)が原作だが、僕らの印象にあるのはスタンリー・キューブリック監督、マルコム・マクダウェル主演の映画の方で、ポスターを見ただけでもキワモノぶりが察せられる。日本公開は1972年、まさしくY君とMさんが机を並べたその年である。Y君はこの映画がいかに面白いかを授業そっちのけで語り始め、その時間中ずっと語り通したのだそうである。

 え~っと、どこから突っ込もうか。

 まず、『時計じかけのオレンジ』については、たとえばこちら → 〈https://ja.wikipedia.org/wiki/時計じかけのオレンジ)

   

 読んでの通り、この映画を熱烈絶賛する高校生というのが少々問題含みである。もっとも、原作の末尾で主人公が全てを「若気の至り」と括るように、思春期男子の潜在的な欲望と攻撃性を明るみに曝すなら、これくらいにはなるかもしれない。それを男子仲間で共有するのは自然だが、女子相手にこと細かに語るものだろうか。もちろん誰彼問わずではなくMさん相手だからに違いないが、この場合の「ならでは」の理由は・・・

 「かなり信用されてた?」

 「知らないわよ」

 「ひょっとして好かれてたとか」

 「石丸君なら、好きな相手に目輝かしてこの映画の話する?」

 「しない。で、映画は見た?」

 「見るわけないでしょ」

 見逃せないポイントはMさんが至って常識的かつマジメな生徒だったことで、教室のどのへんに座ってたか知らないが、授業中にこんな話を聞かされ続けること自体、非常な迷惑だったに違いないのである。当時のこの高校で授業中の私語は稀だったが、漢文の先生は気づかなかったんだろうか。で、もうひとつの疑問は・・・

 「その日に教わった漢文のテキスト、何だったか覚えてる?」

 「モウギュウ」

***

 ああ、あれか、と分かる自分でありたかった。教材が違ったか、僕は教わった覚えがない。Mさんこれを「猛牛」のイントネーションで語り、僕もまた暴れ牛のイメージをくっきり脳裏に思い浮かべ、そんな話が『史記』にあったろうか、儒墨老荘のたとえ話だろうかと悩むこと数日、行き詰まってMさんに確認したら答えは、

 『蒙求』

 Mさん、メールを読んでさぞ笑ったことだろう。そんな様子はおくびにも出さず正解を教えてくれたが、イントネーションですね、「_ ー ー ー」じゃなくて「ー_ _ _」とならないかな、僕が訛ってるのか。

  中国語じゃあるまいし(もと中国語だが)、ちゃんと読んで中身を知ってればイントネーションは関係ない。そもそも「モウキュウ」とばかり思っていた自分が悪い。「勧学院の雀は蒙求を囀る」という諺にかすかに見覚えがあり、往古はそれほどの必修本だったのである。ネットで見ると「蛍雪の功」とか「漱石枕流」とかは『蒙求』が出典とある。漱石は筆名をここから取ったらしい。

 Mさん、今はめでたくお孫さんの成長を楽しむ身分。娘さんから頼まれてあずかったのを幸い「アカンベ」を教え込み、娘さんから嫌がられるという平和な日々を送っておいでだそうな。蒙求もアカンベも教えてくれる人あればこそ、末楽しみなことである。

***

 超一流女子のことでもう一つ、お互いの誕生日が近いので何となく覚えあってる同級生がある。今年もその朝メールがあって、

 「お母様の御出産記念日おめでとうございます。」

  これがウィットというものか。三男児を世に出した彼女のもとには、毎年判で押したように上のお子さんから順にお祝いメールが入るのだそうだ。

  毎年よ彼岸の入りに寒いのは (子規)

 なんて付記されてる。やっぱりどこか作りが違う。

Ω 


郷里の痛み、誰が揺れるか案じるか

2018-07-25 05:31:09 | 日記

2018年7月24日(火)

 先週後半、郷里の知人より便りあり。この御一家は先日の豪雨の際、わが家の安全をことのほか気にしてくれた。こちらは電話で両親の元気な声を聞いたばかり、なるほど隣接地域に避難勧告が出ているようではあるけれど、2kmも離れればまるきり状況の違うことをプラスの方向に援用して呑気に構えている。

 I夫妻は河野川の増水とあわせて、背後の山の土砂崩れを心配してくれたのだ。河野塚をいただく例の山が、わが家の少し西側で切り立った崖を作っている。本来なら心配な地形だがここに面白い事情がある、というのは数年前に北隣のSさんが、この崖のあたりで少々無茶な伐採を行った。それでむき出しになった斜面が崩落の危険ありとされ、この時ばかりは松山市が早速やってきてコンクリでしっかり固めていったのである。その勘定書きがSさんに回るわけでもなく、行政というのはケチなんだか鷹揚なんだかわからない。

 何しろそんな事情があって土砂崩れの恐れは極小と思われるが、そうと知らないI氏は差し入れの食物を携え、わざわざ車で様子を見に来てくれたのである。ちょうど回線混雑のために固定電話がつながらなくなった時間帯のことで、これは本当にありがたかった。A friend in need is a friend indeed. 遠くの息子より近くのI氏である。

***

 そのI夫人からの来信:

 北条でも善応寺のお宅は、しっかりと土砂崩れ防止の工事がなされていて御安心でしたね。

 それにしてもこのたびは、この地で生まれ育った私にも覚えのないような激しい雨が3日間も降り続き、どこもかしこも河川の水が溢れていました。心底怖かったです。

 息子の職場の所長さんは北条のS地区に住んでいますが、裏山が崩れて家屋がほぼ全壊しました。幸い人の被害はなかったようですけれど、2週間経った今も職場に復帰できません。

 私の職場の職員さんにも、北条の御実家が半壊した人があります。甘平を栽培する農家ですが、崩れ落ちる土砂が木々をなぎ倒し、押し流していったとのことでした。

 地球温暖化に伴って、信じられないような自然の変化が次々に起きています。私達は覚悟して生きてくしかないのですね。障害のある人たちも、とても動揺しています。何が起きているのか言葉で説明することはできなくとも、地元被災のニュースに心が不安定になることは同じなのです。

 誰にとっても厳しい夏です。

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 重い障害を負った人々への例の犯罪をめぐって、自分の中にも犯人と同じ気もちがあることを告白する声がそこここであがっている。これはある種の生真面目さから来るもので、なるほど抑圧し否認するよりは率直に認めた方がずっと良いには違いない。しかし、どうせ生真面目に自問するのなら、犯人とは違う感じ方をも自分の中に探ってみることを勧めたい。世情に流布される情報に惑わされ「自分はかれこれの病気ではないでしょうか」と駆け込んでくる人に対して、「あてはまることばかりでなく、あてはまらないことにも注目してください」と勧める伝である。

 そこで問うてみたいのだが、巨大災害の恐怖に曝されて彼も我も等しく動揺していると知る時、互いの中にほのかな連帯感が萌してこないだろうか。災害への恐れに健常者も障害者もありはしない。共に恐怖に耐える同志に対して、なかなか刃は向けられないものである。日本の社会がもともと防災共同体として立ち上がっているというのはささやかな持論だが、そこにはこのタイプの共同体が欧米型の政治共同体に比して、思想の強靭さと一貫性において劣るとしても、より懐の深い包容力を備えているはずだしそうであってほしいとの意味合いが含まれている。

 共感都市への入り口は、僕らの伝統の中にもあるはずなのだ。

Ω

 


若者アッパレ! ~ 漂着ペットボトルの研究

2018-07-24 15:27:24 | 日記

2018年7月24日(火)

「波に幾月…漂着ペットボトル 高校生が収集、漂流ルート調査で“新発見”続々」

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/波に幾月…漂着ペットボトル-高校生が収集、漂流ルート調査で“新発見”続々/ar-BBL0G87?ocid=spartandhp

 これはもう説明不要、ただ拍手。神戸新聞の本日の記事から(上記に誇らしげな写真あり)。

***

 神戸商業高校(神戸市垂水区星陵台4)の理科研究部が、同区の西舞子海岸に漂着する海洋ごみに注目し、外国製のペットボトルの表記データから漂流ルートを割り出すユニークな研究を進めている。今春には日本自然保護協会の「日本自然保護大賞選考委員特別賞」を受賞した。(三津山朋彦)

 同部は2013年9月から月に一度、西舞子海岸で地元自治会の清掃活動に参加。ごみの中に外国製のペットボトルがあることに気付き、漂流ルートの解明に乗り出した。毎回集めたペットボトルを持ち帰り、商品名や生産地、賞味期限を記録。これまでに約5千個分(うち外国製は約70個)のデータを蓄積した。

 外国製品は多くが中国、韓国、台湾製で、日本列島の南から対馬海流と日本海流に乗って流れ着くと想定。瀬戸内海への流入ルートを探ろうと、淡路島や播磨灘沿岸のほか、夏休みを利用して沖縄や岡山、愛媛、山口、大分などの県外15地点にも出掛けて漂着ペットボトルを採集し、データを収集した。

 その結果、西舞子海岸に漂着する外国製ペットボトルは紀伊水道を経由し瀬戸内海に入ってくると結論付けた。漂着ごみを海岸に1カ月放置すると大半が再び漂流し始め、海水の循環と共に外海に出て行くこと、賞味期限の分析から、日本製、外国製を問わず漂着ペットボトルの大半が最近捨てられたごみであることを突き止めるなど、次々と“新発見”をしている。

 部長の森光春平さん(18)は「ボランティアで拾ったごみを研究することがエコにつながる」と意義を強調。部員(16)は「今後は注目されているマイクロプラスチックの調査も加えたい」と話している。

Ω