散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

為せば成る・・・かも

2019-01-22 20:10:02 | 日記

2019年1月22日(火)

 「為せば成る 為さねばならぬ何事も ナセルはアラブの大統領」

 ・・・笑える人はけっこう古い。確か『丸出だめ夫』で見た。森田拳次とゲンコツプロ、少年マガジンに1964年から67年まで連載とある。森田は1939年生まれで、この人も幼年期を満州で過ごし、敗戦後に奉天から引き揚げてきたのだ。「引き上げ」をテーマにした歴史書が書かれて良いし、既に書かれてもいるのだろう。

 ナセルこと、ガマール・アブドゥル=ナーセル(1918-70)はエジプト(当時アラブ連合共和国)の初代大統領、1956年のスエズ運河国有化で世界史に勇名を刻んだ。ギャグの一つにも歴史と世代と下位文化が投影され、上記のパロディを笑える人間はある種のクラスターを形成する。それが可能だというだけで、それ以上の意味づけもありはしないが。

 本歌が分からない?マジですか・・・

 「為せば成る 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

 名君の誉れ高い米沢藩主、上杉鷹山(寛延4(1751)年 - 文政5(1822)年)が家臣に与えたものだそうですよ。鷹山公の「伝国の辞」というものが伝わっている。こちらも少しも古びていない、聞く者よ聞け。

 一、国家は先祖より子孫へ伝え候 国家にして我私すべき物にはこれ無く候

 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候

 一、国家人民の為に立たる君にて 君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

 右三条御遺念有間敷候事 天明五巳年二月七日

https://ja.wikipedia.org/wiki/上杉治憲

 為せば成る・・・よね、きっと。

Ω

 

「丸出だめ夫」 ⇒ https://blogs.yahoo.co.jp/tamatyannanatyan/12730021.html

 ナセル    ⇒ https://ja.wikipedia.org/wiki/ガマール・アブドゥル=ナーセル


Equisetum arvense

2019-01-22 08:41:21 | 日記

2019年1月22日(火)

 スギナの学名が、ちょいと気になって。

 Equisetum arvense、属名の前半が明らかに equus(馬)を含む。(「エクウス」という演劇が1970年代後半に話題になった。E君、O君、覚えてる?)スギナと馬にどんな関係があるのかしらん? equisetum = equi + setum か、weblio に下記の解説がある。便利なものだ。

  ekwo- [印欧語根]馬(おそらく印欧語根ōku-からの派生)

  sai-  [印欧語根]束ねる、縛る(例:secular)

  -etum[接尾辞] (ある植物からなる)庭園、森

 馬を(?)束ねる、縛る??? うーん・・・

 ただし、これはスギナそのものというより、トクサ類通有のテーマである。

  植物界 Plantae

  シダ植物門 Pteridophyta

  トクサ綱  Equisetopsida

  トクサ目  Equisetales

  トクサ科  Equisetaceae

  トクサ属  Equisetum

  トクサ E. hyemale、スギナ E. arvense、ちなみにオーストラリアにはトクサ類が見られないんだそうだ。arvense は「野育ち」の意とあり、道理で多くの植物の学名に現れる。

  Cerastium arvense セイヨウミミナグサ

  Cirsium arvense セイヨウトゲアザミ

  Lithospermum arvense イヌムラサキ

  Thiaspi arvense グンズイバナ

  Trifolium arvense シャグマハギ

 どの一つをとっても日本語ラテン語ともに食思をそそるものばかりで、Lithospermum とかシャグマハギとか、何事かと色めき立つが、もう休憩時間は終わり。一日こんなことをやっててお金になるんだったらと思うが、お金になるとなれば楽しくはなくなるのでしたっけ。はいはい、お仕事ね。

Ω

 

 

 


ツクシとスギナ

2019-01-22 07:58:01 | 日記

2019年1月21日(火)

 土筆は女の子です。ブログなどでは、うさぎはオスのほうが甘えん坊で懐っこく、メスのほうが独立心が強くクールである、などとよく書かれています。が、実際には個体差のほうが大きいと感じます。現に、土筆はメスですが、けっこう甘えん坊でとても人懐っこく、ほとんどクールな感じが見受けられません。(ちなみに、好奇心も非常に旺盛です。)
 
 また、うさぎの性格の違いは、性別よりも品種の違いに見られる、という人も多いです。土筆は Netherlands Dwarfという世界一小さなうさぎの品種なのですが、同じく日本人に大変人気のある品種 Holland Lopという垂れ耳うさぎに比べると、立ち耳うさぎである Netherlands Dwarf  は警戒心が強いと言われます。逆にHolland Lopを含む垂れ耳うさぎは全般的に、穏やかであると言われています。
 
 いま、東北に来ております。明日、A大学医学部の2回生に「マスメディアで『良い死(good death)』について考える」というテーマで、『Ns'あおい』というマンガを使って授業を致します。学生たちの反応が楽しみです。
 
 再び長文失礼いたしました。寒い日が続きますが、どうか恙なくお過ごしください。
 
***
 
 YH先生からの来信を一部伏せて御紹介。学生らの反応については、後日ぜひ伺ってみたい。
 
 何となく、「土筆(つくし)」は男の子、「杉菜(すぎな)」なら女の子と決め込んでいた。ボーイッシュな女の子なら、なおさら素敵である。
 
 似ても似つかぬツクシとスギナが実は同じものなのだとは、幼い魂にはなかなかの驚きだった。自然のささやかな μυστεριον - 秘儀、ミステリーにあずかる蠱惑があり、それをあたりまえに知っているおとなたちは、この世界に通暁する導師であると思われた。

 驚きはそこいらの土手で煌めいていたのだが、今はその土手が身近にない。こどもたちは今、どこで秘儀に触れるのだろう?
 
***

 スギナ(杉菜、学名:Equisetum arvense)は、シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物の1種。日本に生育するトクサ類では最も小柄である。浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。生育には湿気の多い土壌が適しているが、畑地にも生え、難防除雑草である。その栄養茎をスギナ、胞子茎をツクシ(土筆)と呼び、ツクシの方は食用とされる。根が深いことから「地獄草」の別名を持つ・・・

https://ja.wikipedia.org/wiki/スギナ

  

Ω

 

 
 
 

イエラエ

2019-01-20 06:57:55 | 日記

2019年1月19日(土)

  貴人・聖者が卑賤のもの(不適切表現?)に身をやつして人の心を試すことには、古今東西夥しい例がある。『鉢の木』などもこの系列と言えば言える。フローベールに「La Légende de Saint Julien l'Hospitalier」という小品があり、これは放蕩の末に誤って両親を殺めた主人公が川の渡し守として贖罪の生活を送るところへ、キリストがハンセン病患者の姿で現れて少々無茶な奉仕を要求し、主人公の従順をみて天に伴なうというものである。作家出身地の教会のステンドグラスに、その伝説が描かれていたとある。

 さて、衛門三郎が若き日の聖ジュリアン同様に憐れみを知らぬ人間であったとしても、八人の子をすべて奪う仕打ちはあまりに苛烈、そもそも親の罪を子の命に問う道理があるかと恨めしい。ただ、災害や戦争が子らの命を容赦なく奪うことは現実に起きるのだし、往時はいっそう頻繁だった。聖者が酷いのではなく、酷い現実を聖者が聖なる目的のために用いるのだと言えば言えるかもしれないが。

 もう一つひっかかるのは「試みるものの気楽さ」とでもいったことで、聖なる高みにあって滅びを知らぬ存在が、有限の哀れな被造物に高いハードルを課してワナにかける構図への、義憤とでも言ったものである。翁に扮して自ら兎を嘲り、猿や狐の増上慢を誘発するのでは、まるで囮捜査みたいなものだ、天帝釈といい弘法さんといい、も少しマシなやり方はないものだろうか、等々

***

 もとより仏教について知らぬまま放言しているわけで、ちゃんと学べば心は深いのに違いない。今昔物語は文学史上の傑作だが、説話であって神学書ではない。聖書はどうなんですかと言われれば、もちろん同様のモチーフはいくつも見つかる - 全ての宗教に見つかるに違いない。

 ただ、ここで護教的なスタンスをとるつもりはないけれど、聖書については付ける注釈がなくもないのである。

 たとえばヨブ、彼は試みにあって衛門三郎同様にすべての息子・娘を財産もろとも奪われた。ヨブは正しい人なんだから誠に理不尽なことながら、災厄をもたらしたのは他ならぬサタンである。試み・誘惑・災厄は堕天使であるサタンから出るもので、神御自身は人の不幸を決して望まないという際どい弁別がある。とはいえ神がサタンの放恣を許したから災厄がヨブの身に及んだことには違いなく、そこから「なぜ?」という歴史とともに永い問いが生じ、今日もまたそれが問われることになるのだけれど。

 もう一つはイサク捧げ。恩寵によって与えられた命より大事な一人子を、モリヤの山で犠牲に捧げよと神が命ずる。アブラハムの従順を見てすんでのところで神がこれを制するが、試み自体の外傷性は覆うべくもない。少年時代の大江健三郎は宣教師のバイブル講座でキリスト教に惹かれながら、イサク奉献が躓きとなってこれを離れたと書いていた・・・確か「ハックルベリー・フィン」を讃仰する文脈である。

 郷土出身の大作家の仰せはまことにもっともながら、二つの注がここでありうる。

 一つは、当時のカナン一帯の諸宗教の中に、実際に子どもを生贄に捧げるものが多々あったらしいことである。これを聞けば我々は眉を顰めるが、「人柱」などという酷いことが我々自身の前近代にいくらもあった。対するイサク捧げのポイントは、生贄を求めるところにではなくこれを廃するところにあったのだ。

 もう一つは、「捧げ物の小羊は神御自身が備えてくださる」(創世記 22:8)との信念である。実際、それは備えられた。第一に、木の茂みに角をとられた雄羊として、第二に、十字架上の神の小羊として。

 「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで人々は今日でも『主の山に備えあり(イエラエ)』と言っている。」(創世記 22:14)

見かけより重い、わが家のテントウムシ

Ω


青空に凧、地に天道

2019-01-19 23:19:57 | 日記

2019年1月14日(月)

 幕張の空に凧を仰いだその晩、洗濯物にくっついて入り込んだのがこちらさま。一夜の宿をお貸しして、翌朝ベランダからお発ちいただいた。体長5mm、こんなに小さくても飛べるんだから、大したものだ。

 うっ、手ぶれしてて拡大に堪えない、背中の紋所もはっきりせずごめんなさい。さてこちらのお仲間をネットでさがせば・・・

  

 ナミテントウ?それもこれも?斑紋変異?ふぅん・・・まぁ、そういうことにしておこう。

 ナミテントウ Harmonia axyridis コウチュウ目テントウムシ科、単にテントウムシともいう。色や斑紋に変化が多く、紋のないものから19個のものまでいる。2~4紋型は九州方面に多く、19紋型は北海道・東北・日光地方に多い。紋の少ないものは黒地に赤もしくはオレンジ色の紋、紋の多いものはオレンジ色の地に黒い紋、紋のないものはオレンジ色である。幼虫も成虫もアブラムシを食べる益虫。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナミテントウ

***

2019年1月19日(土)

 その後、今週はウサギづいた。仕上げがこちら。

 晴天好日を幸いに、父が残り少ない友人のひとりを訪ね、2駅ほど乗って出かけてきた。焼き物店を手広く経営している人で、「君の干支は確か・・・」と帰り際にもたせてくれたという。

 昨日の診療では朝一番に訪ねてきた教え子が、大好きだったという御祖父さまの急逝を語った。父と同じ卯年の生まれで今年とって92歳、幕張の空に凧を仰いでいた頃、西の方で思いがけぬ事故に見舞われたのである。

 可愛らしいウサギをもたせてくださった方は、僕年代の息子さんを最近病で亡くされた。

 

 飛べや飛べ月に兎の標(しるべ)あり

   桃蛙

Ω