散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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衛門三郎の伝説

2019-01-19 17:13:40 | 日記

2019年1月18日(金)

 神仏は、よくせき人を試すものだという話の続き。

 毎月一回手伝いにいく内科小児科クリニックのA君、気が向くとクリニックでとっている雑誌の中から面白そうな記事をコピーしておいてくれたりする。今回は愛媛関連のもので、実はA君の御両親が宇和島の御出身である。御父君の仕事の関係で東京が長くなったところまで同じだが、愛媛出身であることをアイデンティティの核として選択した僕とは対照的に、A君の方はせっかくの宇和島コネクションを弊履の如く捨てて顧みないのが面白い。

 「いいところなのに、たまには帰らないの?」

 「まぁいいかな、両親は遺骨を宇和島の教会付属墓地に埋葬してほしいと云ってるから、人生であと二回は行かなきゃならないけどね」

 ちなみに彼も僕も一人っ子、彼は自宅近くに御両親を呼んで目を配っているから、僕よりよほど孝行者でもあろうが、父祖の地に対する感じ方がこうも違うかと面白い。で、今回の記事2本:

      

 読めない?うん、読めないな。読めたらB社に怒られるからね、それに今回はポイントがはっきりしてるので。『ぶらりわが街 大人の散歩』という連載の「路面電車編」、左が道後温泉、右が大街道、「大街道」をどう発音するかでどこのもんかが分かる。それはさておき、「道後温泉」編の末尾の石手寺(いしてじ)の解説。

 「ここは巡礼の元祖とされる衛門三郎ゆかりの寺。わが身の非道を悔いた三郎はお大師様の許(ママ)しを求めて四国を二十周し、二十一周目に息絶えたと伝わっています。回数でいえば、幕末から大正にかけて二百八十回巡拝した周防大島の人が最多でしょうが。」

 そんな人がいたのか!いえ、280回ではなく衛門三郎の方ね。さっそくWikiからコピペする。

***

 天長年間の頃の話である。伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町・文殊院)の豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。

 三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。

 三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの大師の問いに来世には河野家に生まれ変わり人の役に立ちたい(石手寺刻版には「伊予の国司を望む」)と託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎」と書いて、左の手に握らせた。天長8(831)年10月のことという。

 翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男の息方(おきかた)が生まれるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/衛門三郎

 

衛門三郎と弘法大師(杖杉庵)

(・・・続けざるを得ない)


猿狐のあさはか、兎の自若

2019-01-19 09:45:44 | 日記

2019年1月17日(木)

 Y先生の愛兎さん再掲。

 名前は「土筆」というのだそうである。若い人は読めるかしらん?まことに似つかわしくY先生らしい命名、男の子、なんですよね?

>「他の生き物と違ったこまやかなやりとりがある」と私も思います。もちろんうさぎの中でも品種や個体が異なれば性格も異なりますが、うさぎは犬ほどべたべたしませんし、かと言って猫ほど孤高な雰囲気やヒトとの距離感があるわけでもありません。

> あと、最大の違いはほとんど鳴かないことでしょうか。感情表現はけっこう豊かですが、鳴かない(声帯が未発達で鳴けない)ので、ほとんどが身体表現になります。また、被食動物ならではの神経の細やかさも、捕食動物である犬猫と大きく異なる点かと思います。

 これは良いことを教わった。かくも発達した耳をもちながら、声をもたない・・・「傾聴」のシンボルに最適ではあるまいか。傾聴場面で鳴く代わりに「身体表現」を始めたら、これはまた問題だけれど。

***

 さて、今昔物語。神仏はなぜこうも「試す」のが好きかというのである。とはいえ、その尻馬に乗る狐や猿は我々自身で、それをこそ自覚せよということかもしれない。

 何しろ、ここにいう「有り難し」は「尊い」とか「感謝すべきである」とかいった現代の語義と違って、「あり得ない」ということ、「あり得ないほど珍しい」「あり得ないので疑わしい」という意味である。天帝釈(帝釈天)は畜生の性根を信じていないので、化けの皮を剥がす魂胆で試しにかかり、「老いたる翁の無力にして術無げなる形」に身をやつして猿狐兎の前に現れる。しかし彼らの発心は本物と見え、それぞれ「老いたるをば祖の如くに」養おうと奔走するのである。

 問題はそれからで、達者な猿は「木に登りて栗・柿・梨・棗・柑子・橘・・・等を取りて持ち来たり、里に出ては瓜・茄子・大豆・小豆・大角豆(ササゲ)・粟・稗・黍などを取りて持ち来りて、好みに随いて食せしむ。」狐も負けじと「人の祭り置きたるシトギ・カシキガテ・鮑・鰹、種々の魚類等を取りて持ち来たりて、思いに随いて食せしむるに、翁既に飽満しぬ。」こうした日々を過ごすにつれ、翁の天帝釈は「此の二つの獣は実に深き心ありけり、此れ既に菩薩なりけり」と宣う。どうも大した成果主義である。

 ウサギはこの言葉を聞いていっそう発奮し、「灯を取り、香を取りて、耳は高くあげ背を低くかがめ、目は皿のように、尻の穴を大きく開いて(!)東西南北駆け回るけれども、一物も得ることができない。さあ、その後だ。

 「然れば猿・狐と翁と、且つは恥しめ、且つは蔑り笑いて励ませども、力及ばずして・・・」

 結果を出せないウサギに対し、猿狐のみならず翁までが嘲り蔑み笑うというのである。何とも浅ましい話で、些細な優越による差別化・同調圧力・嘲笑蔑視とくれば「いじめ」の構図そのものであろう。菩薩の所業どころか、ある種の地獄を見るようではないか。

 ウサギばかりがどこまでも冷静だ。

 「我れ翁を養はむが為に野山に行くと云へども、野山怖ろしくわりなし。人に殺され、獣に喰らはるべし。徒に、心にあらず身を失ふこと量りなし。ただ如かじ、我今この身を捨てて、この翁に食らはれて永くこの生を離れむ。」

 死ぬのがイヤなのではない、翁の食い扶持を求めて山野を右往左往する間に、人や獣に食われて無駄死にするのが愚かしいというのである。どうせ食われるならこの翁に食われてやって、「永くこの生を離れむ(=未来永劫に畜生の境涯を離れよう)」という、透徹した霊的打算が働いている。

 そうとは気づかぬ猿と狐、火を前にしてなお「汝、何物をか持て来らむ、此れ思ひつることなり(=思った通りだ)、虚言を以て人を(人じゃないだろ!)謀りて、木を拾はせ火を焚かせて、汝火を温まむとて、あな憎云々」と痛烈下劣に嘲り罵る。

 筆者もここまで猿狐を貶めなくてもよさそうなものだが、『下町ロケット』なんぞの憎まれ役のルーツはかくも古いのだ。何しろ最後の大逆転は短慮の猿狐にこそ驚天動地であるけれど、ウサギにとってはかねての予定で迷いやブレは微塵もない。健気とか哀れとかではない、利他の美徳ですらない、ひたすら解脱を望む志操の堅固で冷徹なことよ、さもあれ、ジャータカではウサギは釈尊自身の前世の姿とされている。

 「我、食物を求めて持ち来るに力無し。然ればただ我が身を焼きて食らい給ふべし」と云て、火の中の踊り入りて焼け死。その時に天帝釈、本の形に復して、このウサギの火に入りたる形を月の中に移して、普く一切の衆生に見令むが為に、月の中に籠め給ひつ。

 お見事、猿狐のまずは驚きついで恐れ、やがて悔しがるまいことか、そんな奥の手があったとは。翁の天帝釈とともにウサギを罵ったは、誤った、謀られた・・・

 土筆くん、信州の空に月のウサギが見えますか、君はどう思ひますか?

 (続くかも)


鎌倉の林の中に黙想の家あり

2019-01-17 08:22:24 | 日記

2019年1月16日(水)

 13・14の連休に修士論文の審査を行い、15・16と鎌倉で一泊ミーティング。鎌倉はあの狭い土地に鶴岡八幡宮はじめ数多の寺社がひしめく中で、若宮大路に面してカトリック教会と鎌倉雪ノ下教会が軒を並べ、通るたびによくぞと感心する。バスで20分弱、十二所(じゅうにそう)で下車して100m戻ればイエズス会黙想の家の入口だが、そこから建物までハンパない急坂を曲がり曲り登らねばならない。折から小雨で足もとが滑っておお危ない、見ればその名も「殉教坂」、さすがと敬意を表しておく。

 各地の黙想の家はカトリックの美点を端的に集約したもので、質素と静謐をもって人を神と我に帰すべくひっそり佇んでいる。プロテスタントの一行が黙想ならぬ騒々しい談論協議のために逗留するのも申し訳ないが、口やかましく容喙しないのがまたカトリックらしい。各個室に戻った後は珍しくも皆一様に引きこもり、閑散とした広さの中で内なる dialogue に時を過ごしたようである。僕は黙想すらせず5分で沈没し、9時間眠り続けた。

翌日は晴天。殉教坂の勾配を樹々や電柱の角度から知られたい。

***

 さて、今昔物語のウサギの話である。巻5第13話「三獣行菩薩通兎焼身語(みっつのけだもの、ぼさつのみちをぎょうじ、ウサギみをやけること)」から。

 今ハ昔,天竺ニ兎・狐・猿、三ノ獸有テ共ニ誠ノ心ヲヲコシテ菩薩ノ道ヲ行ヒケリ。
 各思ハク、「我等前世ニ罪障深重ニシテ賤シキ獣ト生タリ。此レ前世ニ生有ル者ヲ不哀ズ、財物ヲ惜テ人ニ不与ズ。如此クノ罪深クシテ地獄ニ堕テ、苦ヲ久ク受テ残リノ報ニカク生タル也。然レバ此ノ度ビ、此ノ身ヲ捨テム」。
 年我ヨリ老タルヲバ祖(オヤ)ノ如クニ敬ヒ、年我ヨリ少シ進ミタルヲバ兄ノ如クニシ、年我ヨリ少シ劣リタルヲバ弟ノ如ク哀ビ、自ラノ事ヲバ捨テゝ他ノ事ヲ前(サキ)トス
 帝釈天此レヲ見給テ、「此等,獣ノ身也ト云ヘドモ,難有(アリガタ)キ心也。人ノ身ヲ受タリト云ヘドモ、或ハ生タル者ヲ殺シ、或ハ人ノ財ヲ奪ヒ,或ハ父母ヲ殺シ、或ハ兄弟ヲ讎敵(アタカタキ)ノ如ク思ヒ、或ハ咲(エミ)ノ内ニモ悪シキ思ヒ有リ。或ハ戀タル形ニモ嗔レル心深シ。何况(イカニイハムヤ)ヤ、如此クノ獣ハ實ノ心深ク難思シ。然レバ試ム

 「誠の心を起こして」に注目称揚し、オリジナルのジャータカには「求道発心」のことしかない、「誠の心」をここに置くのが日本版ならではの創意であり、「自らのことを捨ててまで他人を助ける」のも仏道の要請ではなく日本的な徳である云々と説いたものをネットで見かけた。某大学の紀要論文だが、これはやや(かなり?)怪しく思われる。岩波書店の「体系」の註に「誠の心」とは「心から仏道を求める心、真実の道心」の意とあり、そういったものだろうと思う。自らを捨て、他人はおろか空腹の虎まで助けるのが「捨身飼虎」の寓意であってみれば、それが仏道におさまらないというのも妙な話で、「日本的なもの」を見ようとする目にはそう見えるというありがちの読み込みではあるまいか。

 それよりひっかかるのは、「然れば試みむ」のほうである。そら来たぞ。

(続く)

 


翩翻(へんぽん)と

2019-01-16 01:35:46 | 日記

2019年1月14日(月)

幕張海浜公園、正午の空に凧踊る!休日出勤の御褒美なり。

 

 写真では凧糸が見えない。画面を斜めに横切り、左下枠外の若い御家族4人連れにつながっている。お父さんが凧を操るのへ、6-7歳の双子とおぼしき男の子たちが跳びはね、駆け回り、まとわりつく。お母さんの関西訛りが風に乗ってここまで届いた。

Ω


クリスマスのウサギ、正月の地蔵

2019-01-14 10:05:52 | 日記

2019年1月12日(土)

 喪中への友人知人の配慮で、慰められることがこの新年に多々あった。賀状代わりのカード、「心の中では見ることができる」というのが紙ベースで送られてきた言葉なら、こちらはメール添付の画像のお使いである。

 売り物ではない、信州のY先生が愛兎を撮影なさったものだ。何と麗しいこと!

 クリニックの通院患者さんの中にウサギの飼い主が二人ある。語る様子からこまやかで温かな交流が伝わってくること、いずれも一通りでない。飼い主の感情のありように反応する敏感さが、他の動物種より一段と秀でている感じがする。捕食獣である犬猫と、狩られる立場の草食動物の違いかとも思う。火中に身を投じて釈尊を養ったウサギの逸話も、それが大前提にあるものだ。左はジャータカ、今昔物語では帝釈天が兎・猿・狐の「マコトノココロ」を試みる話になっている。この件、項を改める。

⇒ https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190114091926.pdf?id=ART0001120318

 当方周知の文脈ではEaster Bunny などといって、ウサギはクリスマスよりイースターと結びつけられることが多い。ただし西方教会限定のローカルなもので、もちろん聖書的根拠は何もない。卵(Easter egg)だって聖書的根拠などないが、「復活」のシンボルとしては分かりやすいものである。なぜウサギが起用されたかには、ドイツあたりの習俗が関わっているようだ。

⇒ https://ja.wikipedia.org/wiki/イースター・バニー

***

 もうひとつのプレゼント、こちらは関西在住の院生TKさんから。

 「今年はだるま寺に初詣に行きました。北野天満宮前の大渋滞を横目に通り過ぎ、だるま寺の山門をくぐると穏やかで静かな時間が流れていました。境内の可愛いお地蔵さんの写真をお送りします。」

 日本の伝統的な信心 - 仏教も外来ではあるけれども、少なくとも首から下に深く浸透したものの中で、地蔵信仰ぐらい慕わしいものはない。素朴な真情とこの世で成人できなかったものへの憐れみを身にまとい、路傍にひっそり佇み祈っている。いつもいつでもそこにあり、時に臨んで静かに力強く動き出す。笠地蔵、怒り地蔵、棘ぬき地蔵、

 ソウイウモノニ ワタシハ ナリタイ

Ω

【附記】

 「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」の結願、六地蔵の数は六道行脚を表す。地蔵とはそもそも「大地の胎」の意訳であるそうな。