タンザニア・ザンジバル島から帰ってきてしばらく、バタバタしていました。
その旅の話は今月中に一気にこのブログに記載させていただきますのでよろしくです。
さて、大震災より丸二年。昨日は犠牲者への哀悼、被災者への想い、復興への祈りを込めて、そして脱原発、反核、平和の祈りも込めて、祈りの聖地である高野山への参詣道をウォークしてきました。おかげさまで20キロの山道を全員無事完歩。この日のために体調を整えて来て下さった参加者の方々に心よりお礼申し上げます(誰もこなかったらどうしよう・・・、とか思ってましたし)。
http://homepage3.nifty.com/creole/kouyasan.html
寒冷前線のやってきた昨日はなかなか、自然のダイナミズムを実感する一日でした。なんせ一時間で12度くらい一気に気温が下がったわけですから。朝、沼地の横で休憩していると、なんとも気色の悪い生暖かい風が吹いてきて、まるで沼からカッパでも出てきそうな雰囲気になりました。その後昼過ぎまで気温高めで、シャツ一枚で歩き続けました。13時半頃(ゴールから2キロほど手前)に物凄いスピードで灰色の雲が山間を流れたかと思うと、雨が降り出しました。そしてちょうどゴールするやいなやザザ降りになりました。サテンで茶をしばきながらやりすごし、しばらくすると止みましたが、途端にグーッと冷え込みました。一時間で15度くらいから2度くらいに落ちたわけです。さらに夜にはマイナス5度まで下がったらしいです(ちなみに上の写真は、近くにいたおっちゃんに撮ってもらったのですが、手ぶれしてますでしょ? 要するに急に寒くなってブルったからです)。
で、やはり自然はすげえなと思いました。まあ町に居ててもこの気温の変化くらいは実感できだだろうけれど、やはりトレッキングという行為にて自然の懐に入り込むことによって臨場感が何十倍も増すところがありましたね。全身で捉える一連の気象の流れと気温の変化。生き物のような脈動というか鼓動というか、吐く息が届きそうな生々しい距離感というか、ほんとにリアルな感覚でした。
そしてふと考えたことは、こういう、自然のヴァイヴに対して「グレートだ」と感じる心や畏怖心を大切にするために空海はわざわざこんな山奥に高野山を開いたのかもなということでした。そもそも空海の真言密教とは自然のスピリットの中に大日如来の叡智を見いだすっていう信仰ですし。
で、こういう感覚を分かってると、普通の神経として、原発など容認できるわけがないなとも思いました。人間の小手先など自然にはかなうわけがないのだし、大地震や津波などの猛威によっていつか大事故を起こすに決まっている。思えば、原発推進派のお偉い識者らの顔ぶれを見ていると、どんなに秀才っぽくても自然音痴の面構えをされておられます。
別に自分がアウトドア人間だから言うわけでもないですが、そもそも日本文化って自然文化なわけですし、日本人であるならばもっと自然に触れる機会をもったほうが絶対楽しいし色んな発見がある。で、ぼく自身もそういうことを遠慮せずもっともっと言った方がいいんじゃないか、そのためにカヤックガイドやカヤック旅人なんぞやっとるんだろが、と改めて空海さんに叱咤激励されたような気がした今回の旅路でした。