※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。カテゴリ下から読んでいくと話の流れが分かりやすいです。
ヴェトナム航空で関空からハノイ経由でバンコクに飛んで一泊し、エチオピア航空でバンコクからアジスアベバ、ダルエスサラームを経由して、ザンジバル島ストーンタウンに到着。上記航空会社を使ったのは、安かったのと、あと預け荷物が40キロまでOKだったからですね。だいたい安いエアラインは20キロまでという所が多いのですが、なんせこっちはフォールディングカヤックほか色々、合計35キロほどの荷物を持っていますから、かなりの超過料金になってしまいます。エアラインの制限荷重のチェックはカヤックトリップ時の鉄則ですね。
到着後すぐ、古都・ストーンタウンに向かいました。
バンコクで一泊したせいか、長い空の旅も思ったほど疲れなかったけれど、暑さにやられましたね、多分30℃台だったと思うけれど、真冬の日本からやってきた身には、体感気温では45℃くらいあるように感じられました。ストーンタウンは19世紀にインド人やアラブ人の商人によって作られた町で、その名の通り石造りの建物が所狭しと立ち並んでいます。町の規模としては、日本で例えると、地方の、特急が止まるか止まらんかのくらいの田舎町の感じです。歩いて見て回るにはちょうどいい大きさなのですが、これがなかなか・・・。路地が狭く複雑な迷路状になっていて、歩いているうちに方向感覚がおかしくなります。こっちだろうとひたすら歩いていくと同じ場所に戻ったり、全然見当違いの場所に出てきたりします。まあ別に急ぎの用があるわけじゃないのでその迷子感覚を楽しみました。
石の建物の森。
どれもこれも年期が入っていて、漆喰のはげ具合とか、壁から浮かび上がってきたカビや汚れの色合いが織りなすハーモニーとか、はがれたトタンとか、むき出しの電線とか、取れ落ちそうになった出窓の無造作感とか、なかなかかっこいい。廃墟ではなく、人間が住んでいる中でのこのボロさ加減が、なんというかアートな感じでした。しかし地震来たら一発でアウトだろう。震度5くらいでも崩壊するだろうなと思われるくらい、どの建物も老朽化していました(こちらでは地震はまずないようです)。
あちこちの路地で迷う中、様々な人たちと行き交います。昼間っから何もせず軒先で涼んでるおっさん、色とりどりのへジャーブをまとったイスラム女性たち、集団でわいわい言いながら走り回っている小学生、手製の一輪車にたくさんの商品を載せ、どけどけと言って先を急ぐ商売人、白人系の観光客と、彼らに何かしらの物を売りつけようと必死に声を掛ける小売店の店主・・・。
すれ違いざま、いろんな人が声をかけてきます。
ジャンボ(こんにちは)
マンボ(ご機嫌いかが)
カリブ(ようこそいらっしゃい)
ハクーナマタータ(ノープロブレム)。
アサンテ(ありがとう)
クワヘリ(さよなら)
基本、だいたい英語が通じるのですが、挨拶する時のスワヒリ語くらいは誰でもすぐ覚えられるほど分かりやすいです。元々スワヒリ語とは、アラブ人やインド人の商人とアフリカ人とがコミュニケーションを取るために、アラビア語、ヒンドゥー言葉、アフリカ諸語をミックスしてできた言葉で、お互いのために分かりやすくできているようです。東アフリカの海岸線で広く使われていて、つまりは海洋民族の言葉ですね。
いつか、日常会話程度は話せるようになって、じっくり旅してみたいなと思いました。
空港のタクシーの運ちゃんが教えてくれた安宿にチェックイン後、そうやって町をうろつき歩くうちにふと海岸沿いのオールド・フォートに出てきました。フォートというのはアラブ風の砦で、今はその跡地が公園やレストラン、土産物屋みたいになっています。後日ここで3日間のアフリカ音楽のフェスがあるということで、どんなところかと見回りました。歩き回っているとギャラリーというかアトリエみたいな一室が出てきて、背の高いニイちゃんが「ジャンボ!!」と声をかけてきました。
ここで絵を描いている最中の画家のにいちゃんでした。
彼と色々話し込みました。
もちろん人にもよるんでしょうが、タンザニア人は結構話し好きの人が多いようです。
見ず知らずでもありますしこういう時、日本人の感覚では普通、ただ挨拶する程度でしょうが、彼はそんなことおかまいなしに実に色んな話をしてきます。しゃべっているうちにどうやら何か物を売りつけようとかそういう魂胆があるのではなく、「時間感覚」がぼくら日本人とは全く違うことに気づき始めました。スワヒリ語で「ポレポレ」という言葉がありますが、それは「ゆっくり、のんびり行こうぜ」という意味のフレーズです。この「ポレポレ」時間の楽しみ方が、彼らには身に着いているようです。独特のポレポレ・タイムの中で、お互いの多少の言葉のミスなどは気にせず、初対面でも友達感覚で会話を楽しむというのが、ひとつの文化なのでしょう。これも交易時代の名残なのか、フレンドリーな中にも距離感がうまくこなれていて、なかなかいいもんだなと思いました。
内陸のタンガニーカ湖近くで生まれた彼は、ティンガティンガの絵を描くペインターです。
ティンガティンガというのは1960年代にエドワード・サイディ・ティンガティンガという人が確立したポップアートの一種で、動物や魚や植物やマサイ族の人々などを、独特の、ややマンガチックでもあるタッチで描く手法です。それが今や東アフリカの代表的な絵画スタイルとなっていて、観光客が好む東アフリカ土産の代表格のひとつでもあります。誰も彼もが、同じスタイルで描きます。で、そこがユニークな所でもあります。
普通、誰かがひとつのアート・スタイルを確立した場合、それはその人独自のオリジナルの世界観であり、またその人のみの専売特許となるわけで、それを真似するなんてことはあまり容認されることではない。だけどここでは、真似とかオリジナリティとか、あまり誰も気にしていないようです。ティンガティンガ派の画家が集まって暮らす村があったり、長老が若手に教える工房やワークショップがあったりします。
なぜか? 要するに「食える」からですよね。
孤高のオリジナリティを追求する個人主義的アートというより、精巧な工芸作品。その技術を身につけるとみんなが食っていける。そこにアフリカ特有の「部族」社会性が垣間見えるような気がしました。一人の天才の手柄は、一族みんなのもの。みんなでシェアし、助け合って生きていくという価値観ですね。
それはすごくいいなと思うと同時に、
あまりにもみんながみんな同じような作品を生産しすぎて、
ちょっと面白みに欠けるかな、とも思いました。
またそこに個人主義と部族主義との違い、
いい面と悪い面が出ているようにも思えました。
多分ティンガティンガの創始者は大天才でしょう。で、アフリカでは多分それくらいの人じゃないとオリジナリティではなかなか食えないんじゃないかと思います。世の中には中天才、小天才くらいのレベルの人もたくさんいて、中天才の人の作品は中天才なりの、小天才の人は作品は小天才なりの面白さがあって、先進国ではそういう人も食っていけるんでしょうが、アフリカではそれが無理なんでしょう。
例えていうと、マイケル・ジャクソンやスティーヴィ・ワンダークラスだけが
オリジナリティで食っていけるという感じでしょうか?
何を偉そうに言ってる、と思われるかもしれませんが、
これだけアートが生きているんだから、
オリジナリティ追求の切磋琢磨があればなお面白いだろうなと
思った次第です。
だって、アフリカ人のアートセンスって世界最高だとぼくは思ってますからね。
特にリズムと色彩感覚がぜんぜん違うわけで、
オリジナリティを追求したものを見てみたいと思うのもまた、人情でしょう。
ここで色々考えましたね。
ある程度の個人主義と、ある程度の「助け合い主義」、
このバランスがこれからの世界で大切になってくるのではないか、と。
スピーディな効率主義と、ゆったりポレポレ主義とのバランス感覚とか、
、自己主張と和の精神とか、
西洋と東洋とか
色々な調和のセンスね。
それは多分、頭で考えるより、心と身体で実践するものなのだろう。
その後、彼と色んな話をしましたが、続きは次回の記事にて。
ティンガティンガ派の代表的なタッチの絵