シーカヤックって本当は、
乗るというより履くものだ。
自分の下半身に履き込み、慣れればなれるほど、
バウ(舳先)の先からスターン(艫)の先まで、血や神経が通った、
自分の身体の一部になる。
そしてシーカヤックって実は、
腕ではなく、軸で漕ぐものだ。
腰を軽くひねって体軸をローテーションさせて漕ぐことによって、
腕だけの負担から全身運動となり、
また無駄な力は必要なくなり、
慣れれば一日50キロとか70キロとか、普通に漕げるようになる。
その体軸を作るにはとにかく漕ぎこむしかないのだけれど、
まあそのうち形にはなってくる。
誰でもできる。時間の問題だ。
だけど本物の軸ができあがるには、
少なくと5年10年はかかる。そして海旅の経験も必要になる。
長年カヤックを履き込むことによって、
端から端まで神経が通った自分の体に一部になり、
そいつを磨き上げた「本物の軸」を使って操ること。
多分これは古武術とかで言うところの、
「臍下丹田」とかそういうものと相通ずるのだろうけれど、
とにかくその軸を通して、軸を中心にして、
風や波、潮の流れとの深い対話、
自然との深い交歓ができるようになる。
波うねりとダンスを踊れるように、
そして黒潮のVoiceや地球の鼓動をヒシヒシと、
実感できるようになってくる。
いわゆるひとつのプラネット感覚。
とまあ、マニアックな話になりましたが、
別にそこまでいかなくても、初心者レベルでも、
カヤックは十分楽しいものです。
入り口、玄関口の敷居も低いですからね。
言いたいのはその奥に行けば行くほど、
さらに深い世界が広がっているということです。
ぼくもいろんな遊びをやりましたが、
やはりこのシーカヤッキングのプラネット感覚ってやつは、
究極的に素晴らしいものだと思いますね。
自分の身体の軸で地球を感じるセンス。
自然とは、海とは、瞬間瞬間に、
リアルな本当の姿を垣間見せてくれる世界。
そいつを捉えた瞬間、
この感覚こそ永久不変のオレ自身の姿だ、と思えますね。
本物の自然との一体感ってのは要するに、そういうことを言う。
せっかく興味を持ってはじめたシーカヤック。
長くやればやるほど自然のいろんな姿が見えてきますから、
ぜひぜひ続けてほしいと思いますね。