2015年6月、東京・銀座で、集団的自衛権に反対するデモが行われた。それを見た女性が掲句を詠み、さいたま市の三橋公民館で所属する俳句教室で発表した。ところがこの俳句を、三橋公民館が公民館だよりに載せるのを拒んだのだ。
この民主主義、言論の自由が保障されているはずの日本で、である。この句は、デモのあった事実を率直に述べただけの客観的俳句であって、作者の政治的主張やイデオロギー、つまりデモに賛成とも反対とも言ってはいない。
まあ、仮に政治色があるとして、日本人として憲法を守ることは当たり前の正論であって、こんなことをいちいちやり玉に挙げられたら、人間や社会の現実を俳句に読むことはできなくなってしまう。戦前の言論弾圧を思い起こさせるではないか。というのも、戦前「新興俳句弾圧事件」があり、戦争を風刺した多くの俳人が逮捕され、投獄された歴史があるからだ。これと同様、さいたま市の一公民館の責任者が、安倍晋三首相の改憲を忖度し、言葉狩りのようなことをするのは、戦争への道を進んでいるようで、実に恐ろしいことなのだ。
さいたま地裁は、2017年10月13日俳句不掲載の違法性を認め、作者の女性に慰謝料を支払うよう、市に命じた。ところが、さいたま市は不服のため控訴、高裁で争うことになったという。バカバカしくて話にならない。
万一、テレビ局や新聞社が、『九条守れ』の女性デモがあったことを報道したら、国から懲罰されたり放送禁止になるとしたら、日本人として一大事だ。
センリョウ(千両)