自然界の習わしである光景を詠んだ掲句に、私は強い衝動を覚えた。この句の要点は、「迷いなし」にある。鴉が迷うはずがないのに、わざわざ「迷いなし」としている。句の終わりに、人間の感受性を込めているのである。
作者は、この言葉を入れることにより、鳥と人間を置き換えて考える様示唆しているのではあるまいか。「人のむくろを人は迷いなく喰らうことができるか?」
この句、人間社会の「掟」又は「宗教」さらには「人間の不思議」についての問いかけをしている。(石川炎火記)
古暦捨てて来福希わんか
佐保姫の裳裾触れたか山笑う
同じ道今年も逢えて濃菫
死に近きアバンギャルドに華のあり
緑陰やみどり児笑みて瞳の青し
花の道憩う良夜やハイボール
野川にも「 もじり 」盛んに梅雨暮色
生臭し芽吹き降る夜の静寂かな
蟇百匹組んず解れつ春うらら
御仏の優しき里の田植かな
年毎に縮む身丈や盆灯籠
立ちんぼの果ての至福やトリス・ハイ
青鷺の釣り師のごとく佇めり
汗くさき工夫ら美蝶にまとわられ
函南の郷のシュールや曼珠沙華
あの花がこの赤の実か烏瓜
おでん鍋底に見えくる小宇宙
さくら・やなぎ枝垂競ひて水面まで
いのち昇る高木の梢一葉まで
父の日の話も無くて八十路かな
まどろめるドロ亀動き平和かな
うれしきは早苗田に直ぐミジンコの湧く
生存てるよ獺の叫びは幻聴か
六十年怒り治めずゲバラの眼
新蝶のルリ鮮明に目を射たり
(岩戸句会第五句集「何」より 三浦狭心)
シモツケ(下野)