この句、動詞に対する主語がないが、俳句にはよくあること。
この句の場合は、作者のことと考えていいだろう。
お相手は、恋人・友人・友人たち、家族など色々考えられるが、やはり年月を重ねた仲の良い夫婦がふさわしい。
仕事が終わり、食事が終わり、後片付けも終わり、明日のことも話し、夫婦はテラスの椅子に腰掛ける。
すでに、月は中天に上がっていることだろう。
実は、作者は奥様を亡くして1年余り、この句は過去を回想しての句なのだ。
作者を知って、この句は悲しい句なのだ、ということを知った。
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月一回の句会は、そういう意味では価値があると思います。
仲の良い夫婦の片方が、亡くなった時の落胆は、大変なようです。
きっと奥様を亡くされて、共に生きてきた
ことを痛感されたのではないでしょうか?
相手がいてこその穏やかな時間・・・。
失われて気づいたのでしょうか・・・。