一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

21   共にあり共に息する良夜かな   正太

2010年10月01日 | 

この句、動詞に対する主語がないが、俳句にはよくあること。

この句の場合は、作者のことと考えていいだろう。
お相手は、恋人・友人・友人たち、家族など色々考えられるが、やはり年月を重ねた仲の良い夫婦がふさわしい。

仕事が終わり、食事が終わり、後片付けも終わり、明日のことも話し、夫婦はテラスの椅子に腰掛ける。
すでに、月は中天に上がっていることだろう。

実は、作者は奥様を亡くして1年余り、この句は過去を回想しての句なのだ。
作者を知って、この句は悲しい句なのだ、ということを知った。


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2 コメント

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Unknown (issyo k)
2010-10-12 08:27:27
どんな俳句でも、作者を知っているのと、知らないでは、随分違いますね。

月一回の句会は、そういう意味では価値があると思います。

仲の良い夫婦の片方が、亡くなった時の落胆は、大変なようです。
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失って気づくこと (pure_orange♪)
2010-10-08 22:20:55
ちょっと、ジンと来ました。

きっと奥様を亡くされて、共に生きてきた
ことを痛感されたのではないでしょうか?

相手がいてこその穏やかな時間・・・。
失われて気づいたのでしょうか・・・。
返信する

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