句会では採りにくい句であるが、作者にとってはこれが自然体なのであろう。採りにくい理由に、死と咳を繋ぐ「或いは」と「一つ」と限定しているのが、咄嗟には分かりにくい。しかし、そこが作者の狙い目なのかもしれない。
但し、この句を肺癌を宣告されて、などと限定すると陳腐になってしまう。曖昧模糊としておく方がいいだろう。
いづれにしても死は、俳句にするには重いテーマであり、あえてそこに踏み込んで行く作者の創意には共感する。
わが句会にとって、こういう作風は希少な存在なのである。
さて、今日から12月。しかし、旧暦ではまだ10月26日だ。というより
神無月26日、と言った方がいいかもしれない。師走などまだまだなのだ。
今は孫の句もつくるのですから??!!
確かに、最近の遊石さんは孫の俳句が多いですね。
但し、「孫」とは言わず「子」を使っているのは流石です。