一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

81   死或いは絶望する一つの咳  遊石

2010年12月01日 | 

句会では採りにくい句であるが、作者にとってはこれが自然体なのであろう。採りにくい理由に、死と咳を繋ぐ「或いは」と「一つ」と限定しているのが、咄嗟には分かりにくい。しかし、そこが作者の狙い目なのかもしれない。

 

但し、この句を肺癌を宣告されて、などと限定すると陳腐になってしまう。曖昧模糊としておく方がいいだろう。

 

いづれにしても死は、俳句にするには重いテーマであり、あえてそこに踏み込んで行く作者の創意には共感する。

 

わが句会にとって、こういう作風は希少な存在なのである。

 

さて、今日から12月。しかし、旧暦ではまだ10月26日だ。というより

神無月26日、と言った方がいいかもしれない。師走などまだまだなのだ。

 

 

 

 


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2 コメント

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 (さそり座の女)
2010-12-01 17:49:21
このころの遊石さんの俳句はとてもユニークで面白く、遊石さんならではの句と思いました。
今は孫の句もつくるのですから??!!
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Unknown (issyo k)
2010-12-02 02:38:00
さそり座の女さま

確かに、最近の遊石さんは孫の俳句が多いですね。
但し、「孫」とは言わず「子」を使っているのは流石です。
返信する

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