一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1615   掃かれゆく落葉の音を聞きながら   沙会

2015年11月24日 | 

 この句の着眼は、「聞きながら」としたところであろう。但し、作者が掃除していて、その音を作者が聞いている、のでは話にならない。そうではなくて、別の誰かが道路か庭などを掃除していて、その掃除の音を聞きながら、作者は別の何かをしているのだ。

 仕事かもしれないし、料理や縫物、編物かもしれないし・・・・・と、読者は何を想像しても良い。つまりはっきり言わないことで、読者に想像の余地を与え余韻を残し、この句は成功している。俳句が、省略の文学と言われる所以である。

コフクザクラ(子福桜)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1614   働かぬ犬は五... | トップ | 1616   小春日の声の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事