声を絶対出すはずのない石が、声が出そうだ、という。芭蕉の「岩にしみいる蝉の聲」と同様、あり得ないことを想像で言っている。又よくみると、、「小春日や」ではなく、「小春日の」であるから、「小春日の声」が石から出そうだ、とも解釈できる。
しかしやはり、誰かが座ったら声を出す石と想像するのが、一番面白い。例えば、可愛い男の子が座したなら、うふっと笑うかもしれない。妙齢の女性が座したなら、アハーンと艶っぽい声を出すかもしれない。小錦のような巨漢が座したなら、グェとひどい声を出すかもしれない。いずれにしても、読者の想像はふくらむ。しかし実際、座したのは喜久さんである。石は一体どんな声を出したのであろうか。
クロガネモチ(黒鉄黐)