社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

2月26日(日)

2017年03月01日 23時58分03秒 | 2017年

  8時半起床。ホテルの1階に併設されている居酒屋で朝食。ご当地感のあるものはあまりないのが残念。

  ホテルをチェックアウトし、お土産を購入してから、長岡駅11時42分発の上越新幹線とき318号に乗り、東京へ。普通席が混雑していたこともあって、奮発してグリーン車に乗った。高いグリーン料金を取るだけあって、座席はかなり快適である。

越後湯沢駅近くのスキー場。完全な雪景色だ。

  車内では、長岡駅で購入した「ぶりのすし」弁当と、車内販売で購入した期間限定のアイス「佐渡羽茂の甘い柿」を食べる。「ぶりのすし」はぶりと蕪の押し寿司で、素材はもちろん、お酢のほどよい酸味が食欲をそそる。アイスのほうは要するに冷凍の柿なのだが、その名の通り甘くて美味しかった。

  14時過ぎに帰宅。疲れが抜けきっておらず、妻と一緒にこたつで爆睡してしまう。

  夕食は、残っていたカレーと、豚しゃぶサラダにきんぴら。


2月25日(土)

2017年03月01日 23時34分03秒 | 2017年

  4時半起床。5時過ぎに家を出て、東京駅へ。直前だったので指定席が取れず、30分前から自由席の列に並ぶ。めちゃくちゃ寒い。

  東京駅6時28分発の北陸新幹線はくたか551号に乗り、上越妙高へ。私たちは座れたが、自由席は驚くほどの大混雑で、通路まで人でぎっしり。車内混雑で、ダイヤも若干遅れ気味だ。大半が、スキーに行く人たちのようである。早くから並んでおいて良かった。混雑は長野まで続き、更に次の飯山でスキー客の大半が降りて行った。ほっとしたのも束の間、その次はもう上越妙高である。

  上越妙高駅で、えちごトキめき鉄道に乗り換え。北陸新幹線の開通により、JR線から第三セクターに移行した路線である。目的地の直江津までは、15分ほどで到着。

  タクシーで斎場へ移動し、9時半から告別式。その後、火葬、還骨法要、繰り上げ初七日法要、お斎(精進落とし)と、夕方まで続く。告別式で妻の従弟が孫代表として手紙を読んで自作の曲を演奏する場面があったり、義父の挨拶だったり、思わずぐっとくる場面があった。また、親戚の皆さんが良い方ばかりで、中には私と同じ鉄道マニアの叔父さんがいたりして、ゆっくりとお話をすることが出来た。

  一方で、ほぼ丸一日となった法事の間、失礼ながら私は半ば映画を観ているような気持ちでその場の流れに身を任せていた。お坊さんの読経が下手だなーとか、結婚式にも来てくれたあの人はどういう位置づけの人だっけなーなどといったしょーもないことを考えていた一方で、葬儀の機能について深く考えさせられた。簡単に言えば、葬儀というのは故人のためのものであると同時に、それ以上に遺された者のために執り行われるものであると感じた。葬儀の場に親族や親しかった人たちが悲しみをもって集まり、それを共有し昇華させることで気持ちの整理をつける。更に、故人の思い出を分かち合ってその存在に感謝する。それと同時に、今の時代にはなかなかない親族が一同に集まる機会として、久しぶりの交流を楽しむ。葬儀というのは、そのような機能を持っている。だから、葬儀を経ることで、遺族も少し晴れやかな気持ちをもって別れを受け入れることが出来る。そして、最後には「良いお葬式だった」と言える。そういう意味で、今日の葬儀も本当に「良いお葬式」だった。亡くなったお婆さんもきっと、空から今日の様子を微笑ましく眺めていたと思う。妻の表情も、葬儀の前と後では見違えるほど晴れやかになった。夫としては、それが一番嬉しかった。

  親戚の皆さんと別れ、直江津駅17時40分発の特急しらゆき7号に乗り、長岡へ。

  1時間ほどで、長岡駅に到着。辺りはもう完全に暗くなっていた。

  今日は、長岡で1泊する。駅直結の「ホテルメッツ長岡」にチェックイン。

  少し休憩をしてから、夕食を取りに出る。長岡の街は、予想以上に栄えていた。

  何か所か回った結果、雰囲気の良さそうな割烹「魚栄」に入る。日中にかなりの量を食べたので、晩酌セットを注文。2人前分のお酒(新潟の地酒「壱乃越州」(熱燗)と「吉乃川六段仕込み」(常温))は妻に任せて、私はジンジャーエールを飲みながら料理を頂く。出て来る料理がどれも手の込んだ美味しいもので、結局追加で他の料理も注文した。

わかさぎの南蛮漬け。

カキと蒸ホタテ酢みそ。

鯛、雲丹、甘海老のお刺身。

ハマチ醤油焼。

イカのお刺身(別注)。

ナメタガレイの煮付け。

  21時前にホテルへ戻る。早朝から活動していたので、さすがに疲れた。


2月24日(金)

2017年03月01日 22時04分30秒 | 2017年

  7時起床。予報では天気が心配されていたが、外は綺麗に晴れている。

  部屋に届けられた地元の信濃毎日新聞を読む。一面は何だろうと思ったら、千曲川のダムに鮭の稚魚を放流するという内容だった。地方感満載で面白い。また、長野新幹線や中央線特急、松本空港発着の航空便の空席情報なども載っている。これは、地元の人たちにとっては結構ありがたい情報なのではないだろうか。

  午前中は、視察研修。先進的な取り組みを行っている組織で、現地の様子を詳しく見学させて頂いた。昨日に引き続き、この視察も興味深くて大変勉強になった。

  11時半前に長野駅で解散。職場へのお土産を買い、後輩を見送ってから昼食へ向かう。今日は、午後からは休みを取っている。

  昼食は、長野駅近くの飛騨料理屋「飛騨食事処」へ。信州蕎麦のランチと、別注で赤かぶ漬を頂く。TBSで放送されている「赤かぶ検事奮闘記」で、主人公の”赤かぶ検事”こと柊茂検事の大好物として描かれている赤かぶ。メニューにあるのを見つけた瞬間、反射的に注文してしまった。しゃきしゃきとした食感と酸味が美味しいお漬物である。ただ、1人で食べるにはちょっと量が多く、お蕎麦と合わせてお腹がパンパンになった。

  長野電鉄の長野駅へ移動し、12時10分発の湯田中駅行きA特急スノーモンキー号に乗る。長野電鉄は、過去に首都圏で活躍していた電車を引き取って運行していることで有名で、特急スノーモンキー号には初代の成田エクスプレス号の車両が使われている。ちなみに、スノーモンキー号という名称は、終点の湯田中温泉の先にある地獄谷野猿公苑という野生の猿が温泉に入ることで有名な観光地から来ている。

ちなみに、普通列車には東急線や営団地下鉄の車両が使われている。今日は、東急田園都市線で使われていた車両に会うことが出来た。

  特急の場合、長野から終点湯田中までは約45分。車窓が魅力的なので、あっという間に感じる。中でも素晴らしいのは、やはり林檎畑の中を走りながら遠くに雪山を見ることが出来る辺りだろうか。

  湯田中温泉駅に到着後、タクシーに乗って渋温泉へ。渋温泉には宿泊者向けに9カ所の湯巡り外湯があり、その内で最も大きい九番の大湯には日帰り客も入ることが出来る。観光案内所でチケットを購入し、現地近くのお土産屋さんに鍵を開けてもらって大湯に入る。ちょうど先客が上がるところで、完全に貸切状態。溢れ出る熱々の源泉のおかげで、お湯の温度はかなり熱めである。また、鉄分が強く、顔をぬぐうとしっかりと鉄の味がする。これは素晴らしい温泉だ。気持ち良すぎて、帰りたくなくなる。今度は、きちんと泊まりで来よう。

観光案内所近くの渋温泉の看板の裏に、文字通り看板犬がいる。優しい眼差しだが、触ろうとするとがっつり吠えられた。

  渋温泉は、温泉街の雰囲気も素晴らしい。これぞ、古き良き温泉街である。やっぱりここに来るからには、きちんと1泊して、浴衣に下駄でカランコロンと歩き回りたい。

  帰りは、湯田中の駅まで歩いて帰る。所要時間は約20分。予定をオーバーして温泉を楽しんでしまったので、少し急ぎ足で歩く。

  湯田中駅14時30分発のA特急ゆけむり号に乗り、長野へ戻る。特急ゆけむり号には、かつて小田急ロマンスカーとして活躍した10000系HiSEが使われている。鉄道ファンとしては、この車両が現役で、しかもこんなに景色の良いところを走っているというのは、本当に嬉しい限りである。

  運良く展望席の1番前の席に座ることが出来たので、前面展望を楽しむ。ロマンスカーの展望席でこんなに素晴らしい景色が見られるとは。本当に素晴らしい時間を過ごさせてもらった。

長野駅近くになると、地下に入る。

長野駅到着。

展望席。お世話になりました。

  長野駅で新幹線に乗り換える。少し時間に余裕があったので、上りホームにあるお蕎麦屋さんで月見そばを頂く。期待どおり美味しいお蕎麦だである。

  長野駅15時40分発の北陸新幹線はくたか582号に乗り、東京へ帰る。

  一旦帰宅後、蒲田駅前の紳士服「コナカ」へ礼服を買いに行く。昨日の未明に妻の(父方の)祖母が亡くなり、明日告別式へ行くことになったのだ。しかし、これまで私は正式な礼服を持っていなかったので、この機会にきちんと揃えることにした。

  明日は始発の新幹線に乗るので、日付が変わる前には就寝。そういえば、明日もまた北陸新幹線に乗るのか。これだけ連続だと、さすがにありがたみは薄れていく。