我が家のウッドデッキを建ててくれたコンストラクターの近さんが
一つやり残した事を終える為、土曜日我が家にやって来た。
その時、残りの支払いを済ませるため
バッキーが隣町の銀行まで行って
現金をおろしてきた。
3センチあまりの厚さになったドル札を
ジップロップの袋に入れて近さんに手渡す様が
ドラッグディーラーを思わせた。苦笑
領収書は我が家にあったメモ用紙に
近さんが手書きしたもののみ
職人さんたちの仕事には満足している私だけど
未だ こんな取引は人には勧められない。
皆それぞれ小説になるような
人生を送ってきているけど
近さんの人生もそんな内容だった。
その中の一つのストーリーは
ビジネスのパートナーでもあった彼の兄弟の事
ある日酔っ払いドライバーに跳ねられ
障害を持った近さん兄さんは
障害者年金を受け取り、暮らすようになったらしいけれど
その事故で医者から処方された鎮痛剤の依存症になってしまった と言う。
”なんで あんな鎮痛剤なんて医者は処方するんだ” と
吐き捨てるように近さんが言った。
20年以上前の事になるけれど
私が病院で働いていた時
そういった鎮痛剤の依存症で定期的に入院される患者さんが数人いた。
保険の関係で大きな手術をしても在院日数が非常に少ないアメリカで
彼らはまるでホテルぐらしのような数日を病院で過ごしていた。
それも低所得者に与えられる医療保険メ゙ディケイドの患者さんばかりだった。
痛みは我慢しても危険だろうけど
麻薬性鎮痛薬を摂る時は気を付けないと怖い
使い方さえ正しければ薬になるけれど
間違うと毒になる
裕福に育っていない近さんと同じく
貧しい家庭で育ったバッキーが
子供の頃、低所得層に与えられていたチーズの話を初めると
二人、意気投合
”全く世の中は猛スピードで変化していく。
貧しかったけれどあの頃が懐かしいよ。” と言う近さんに
バッキーも大きく頷いていた。
今晩はパスタ
仕事が休みの日は1日2食で済ませる事が多いけれど
食べてる量は十分だと自分では思う。
気になるのは指の怪我後
疲れを知らなかった私が倦怠感を感じるようになった事。
涼しかった今日
庭の手入れをしていたら 立ちくらみが酷くて
日に日に老いていっている自分の身体を思った。
それに効果があるかどうか知らないけれど
先週から週1でビタミンB12の筋肉注射を受けている。
”明日も仕事が休みだぁ。” と喜ぶ私に
”仕事がスタートする月曜日の前日と思うと気が重い。” と
バッキーが返す。笑
私も鎮痛剤ではありませんでしたが、もう少しで依存症になるところでしたからわかります。
医師は安易にお薬を処方しないようにしてほしいです。
デッキも広いですね。
ここは暑く外に今の季節出ていられません。
散歩も休んでいます。
痛みを我慢するのも危険ですが 鎮痛薬は気を付けて服用しないと依存症になる危険もありますね
難しいところです
精神薬もそうでしょうが 正しい処方が必要でしょうね
@サニーさんへ
落ち葉の量が多かったし 紅葉は素晴らしいのではと想像します
デッキは940sq ちょっとで 家は930sqと多少デッキの方が広いようです
それを考えても手入れの簡単な人工ウッドにして良かったです
義母が住んでいたカリフォルニアも夏は暑くてプールサイドにさえ出られない日が多いと聞きました
@姥桜さんへ
紅葉は楽しみです 落ち葉の掃除は大変でしょうが
バッキーの手術後 鎮痛剤は私が管理していました 笑
誰も依存症になどなりたくてなった訳ではないでしょうし
低所得者の方達がなりやすい傾向にあるようでメディケイドの出費?になるためもあってでしょうがトランプ元大統領が麻薬製鎮痛薬の処方を厳しくするような事を仰ってもおられたようです
薬物依存症のない医療用大麻はこう言った依存症へのヘルプにもなるようです
現金払いはお互いの税金をカットできる為です 作業員さんたちもキャッシュで支払ってもらっているでしょうね
いい人に出会えれば良いですが 今詐欺も多いしその点が難しくブログでは勧めないようにしました
この業者さんなら勧めますが
きれいにできましたね。よかったですね。
松枝祖母の一生は、小説にすれば、面白いですね。裕福な家に生まれ
羨ましい暮らしをしていたのに、長男は戦死して、さぞ辛かったことでしょう
昭和17年ぐらいに、伊勢丹の写真館で、私の父とイジーのお父さんと3人で撮影した写真を見たことありますか?
東京で大学生活を送る、次男、三男の様子を見にいった時のことだと思います。このあと、伊勢丹の食堂で食事したことでしょう
明治生まれの人たちは戦争もいくつか体験し
特にWW2で家族をなくした人は多いでしょうね
伊勢丹での写真は私も持っています
お仏壇に飾っています。
あの翌年ではないでしょうか 父が精神病と診断されたのは
まだ理解の浅い病でしたでしょうから大変だったと思います