「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

バレンタインチョコ

2013-02-14 20:13:14 | 思いで

 奥手だった吾輩の少年時代でもバレンタインデーはありました。

小学生の頃の記憶は、ほとんどないけど中学の頃は記憶はけっこう憶えているつもりです。

 

その前に・・・

義理でもなんでも一応、我家の女性軍から今年もチョコをいただく・・・。

 

キティーちゃんチョコ・・・

現在自宅にいる男は吾輩とネネのみ・・・

キティちゃんチョコをみてもわかるようにネネも意識してのもの・・・

一人と一匹用ということか・・・(ーー;)

 

まっ、貰えるだけでも良しとしなければ・・・

 

 

中学時代・・・(おそらく2年の時、3年の時も似たような光景が・・・)

随分と昔の話となってしまいますが・・・

前回、バスの思い出を少し記してますが、そのバスで通学していたバレンタインデーの日、同郷の同級生達と最寄りのバス停で降車すると、一人の同級生に駆け寄る後輩の女子生徒2人、確か二人だったと思う・・・。

バスから降りて10歩も歩いただろうか?すかさず女子生徒達がリボン付の箱をそれぞれ渡して、あっという間に去っていった。

何が起こったのか全く当時の私には理解できなかった・・・(゜o゜;

ただ何かプレゼントのようなモノを渡したくらいにしか思えなかった。

 

別な同級生と顔を見合わせ、何があったのか?みたいな顔で歩いていたら校門のところにも2人かな?やはり後輩の女子生徒が待っていて、その同級生に包箱を渡していた・・・。

昇降口にも2人か3人?

さらに中に入っても1人・・・びっくりしたのは下駄箱の中にも2~3個入っていたこと・・・その時にバレンタインのチョコだと別な同級生に教えられましたが、それでもバレンタインの意味がよく理解できない奥手というか田舎丸出しの中学生だったのでした・・・(ーー;)

 

教室までの間にも数人、既にその同級生のカバンの中は満杯に近かったようで、結構膨らんでおりました。

教室に入ると次から次とトントンとノックの音「◎◎さんいますか」と黄色い声多数、その同級生以外のクラスメイト数人にもプレゼントが・・・

朝礼前にはカバンはギッシリ、机の中も満杯という状態・・・!

 

その後も休憩時間にもチンタラチンタラ女子生徒が訪ねてきて、もう何処にもしまうところがないくらい、親しく付き合っていたクラスメイトの机の中も占拠する始末、それとクラスの女子生徒からもいただいたようで、大きめの紙袋なんかにも入れたり、それはもう一人では絶対食べきれない数・・・正直、もう羨しいを飛び越えて、その中から1個でもくれないのかな?とチョコが食べたいと本気で思ったりもしました。

 

吾輩に関しては自慢ではありませんが中学、高校を通じてチョコを貰った記憶は皆無です・・・記憶がないです・・・

 

同郷の同級生はおそらく親しい友人達にチョコを分け、カバンに入る分だけ家に持ち帰ったと思います。

 

最近、高校の同級生達と飲む機会が増えて、その中での昔話で中学の時、クラスメイトだった高校同級生も、同郷の同級生以上にチョコを貰った話をしてまして、これも凄まじいと今となっても羨ましく思ったところでした・・・

 

負け惜しみではないけど、考えてみても自分はド田舎の少年という容姿でしたし、痩せてはいたけど男前ではなかったですしね・・・

 

猫のネネはチョコを食べないのでオヤジが代わりに食べてあげましたよ・・・笑

残りは女性軍の口の中に・・・笑

 

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中高はバス通学だった

2013-02-12 19:23:20 | 思いで

 画像は全て2/11撮影です。

 

厳寒の遠野、積雪もそれなりにあって街場の中学、高校に通う際は必然とバス通学となりました。

それでも、冬休みまでは積雪があっても氷点下ふた桁であっても自転車で通学していたのが松崎町駒木の生徒達でありました。(主に男子生徒)

(片道遠野中まで約6キロ、農高入口の八幡バス停約5キロ、遠野高約8キロ)

 

流石に冬休み明けの厳冬期の自転車通学は自殺行為・・・

車の前で転倒という場面は何度もあって、轢かれなかったのが不思議なくらい・・・

 

早池峰バス 松崎路線

下駒木バス停

 

吾輩の地元集落ではあるが実は主たるバス停は附馬牛路線の「福泉寺」なんです。

でも何故かこちらの松崎路線、当時は松崎周りを多く利用しておりました。

 

矢崎バス停

 

 

こういった雨風を凌ぐ待合所も健在でもあります。

 

まずは「東部バス」が遠野市内を走っておりました。

祖母や父は「とぶバス」と言っており、てっきり吾輩は「飛ぶバス」とばかり勘違いしていた時期がありました。

飛ぶように来るとか走るとかのイメージではないのですが、それでもなんとなくそんな雰囲気があったのかな?と思われます・・・(ーー;)

といっても吾輩が物心ついた頃は既に「岩手県南バス」が遠野を走っておりました。

祖母も父もバス会社の名称はどうでもよく、しばらく「とぶバス」と言ってましたから・・・(^_^;)

 

 

早池峰バス

 

日中なのでバスが稼働中ということで待機のバスが少ないですが・・・

 

少し遠野のバス事情を調べますと・・・

 

1966年(昭和41年)には東部バスは岩手県南バスの傘下となり遠野では県南バスが運行している。

 

吾輩が中学、高校の頃、特に冬期間の通学時間帯(夕方も)は満員御礼、しかもギュウギュウ詰めの状態で、附馬牛路線では既に附馬牛からの高校生等で座席は埋まってほとんど立って行くという状態、海上からは北小に通う小学生もいたのでさらに混雑という具合でした。

 

反面、松崎路線は始発が駒木でしたので下駒木でも矢崎からでも余裕で座って行ける、帰りも多少混雑しても松崎を過ぎれば駒木の生徒や住人しか乗ってないので座れるというメリットがあったので、よく松崎路線を利用したということですね。

 

 

 

駒木ですと附馬牛路線、松崎路線ともに停車という利便性がありました。

たまに家を早く出て駒木バス停まで歩いて行って乗車したりもしました。

(約500メートル)

 

 

岩手県南バスが馴染みあるバス会社でしたが、経営難?自家用車利用が増大した時代なのか、県南バス、花巻バス、中央バスの3社が合併して「岩手県交通」が発足、1976年(昭和51年)のことのようです。

 

1986年(昭和61年)岩手県交通遠野路線一部廃止により、早池峰バスがその受け皿として発足。

後に廃線となったJRバス路線を引き継ぎ現在に至る・・・。

とのこと・・・。

 

中学、高校の頃は県南バスにお世話になったことになりますし、一部県交通にも・・・

 

とにかく今は昔・・・

路線バスも大きく、あのバスが朝晩はギュウギュウ詰めの満員であったこと、今は全く想像もできない・・・(ーー;)

 

無論、遠野の在郷ではバスよりは自家用車が断然便利で日常的なので、バスを大いに利用しましょうとは、とても言えませんが、それでも時折、街場へ飲み会に出かける時とかはバスを利用しております。

市内在住の皆様も時折、バスを利用されてはいかかでしょうか?

また遠野へ帰省されたり観光に訪れた際には是非にバスもご利用願えればと思います。

 

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矢崎どめ(止め)

2012-09-27 18:45:50 | 思いで

  休みの日ではありましたが午後から用向きがあって、ほぼ午後一杯潰れるということで午前中勝負で近場ですが、とある処へ出没しておりました。

 

午前中は爽やかな秋晴れとなりました。

(午後は崩れて小雨模様)

 

 

小田沢集落方面(松崎町駒木・・・小田沢)

 

 

カワセミ、ヤマセミを求めて、ちょっくら撮れるかどうか?試しに行ってみました。

 

 

子供の頃から「矢崎どめ」と呼んでいた場所ですが、正式には「矢崎頭首工」ですね。

矢崎という地名が使われてますが、場所的には小田沢ということになると思いますが対岸は確かに矢崎側かもしれない・・・。

 

小学生の高学年の頃

幼馴染達と夏になれば水遊びをした場所、当時も止というかコンクリート製の止(留)があって、その下流では魚突(ヤスで魚を突く)、上流では泳いだりしておりました。

当時は野生児だったのかな?とにかく晴れた夏の日は川にばかり行っていたような?

この矢崎どめは夏休み前によく行っていた記憶があり、主に小田沢の子供達と遊んでおりました

 

当時も崖崩れの痕があって、木々は少なかった記憶と、やはり流れは緩やかで川底は砂で歩きやすかったと思う・・・

 

主に何を獲っていたかというと・・・

鮎ですね・・・!

鮎を突いていたんです・・・

家に持って帰ると親に喜ばれましたからね・・・!

 

それと50センチを超える大魚を突いた年上の人もおりました。

当時、それを見た大人達は川鱒といっていたけど、今思うと虹鱒かと・・・それとヤマメの大きいのを突いた人もいたけど、あれはサクラマスだと思いますね・・・。

いずれ、自然に恵まれた環境であったこと、今更ながら思うのでした・・・。

 

そういえば・・・

当時、成人していたかな?

この集落に子供達とばかり遊ぶ少年?青年がいて、いつも地元の中学生、小学生を引き連れて川遊びをしておりましたが、その彼が川を渡って自転車を担いで対岸の崖を登り中間辺の斜面というか崖から走り降りる試みをしたと思う・・・

結果は滑り降りたとか、そんな状況ではなく、ただ転がり降りた格好となり、川に転落、頭に大怪我を負ったという記憶があり、鮮血が飛び散っていたことを思い出します・・・・・・・・・・・

 

写真の崖をみると時折、思い出しますね・・・

 

 

そんな思い出が残る場所ですが、いつしか立派な頭首工が出来、少し当時とは違う景色とはなってますが、それでも大きな変化は感じませんね。

(頭首工・・・河川から農業用水を取り入れる施設)

 

最近は、知人や地元の方々からの情報により、カワセミやヤマセミ情報が寄せられることから通い始めたというところですね。

 

私も2羽のヤマセミが飛び去るところを目撃・・・残念ながらシャッターを切ることができず・・・

 

またカワセミも視認はするのですが、対岸で遠いこと、すぐ木陰に入ってしまって、なかなか撮れず・・・という状況・・・そのうちに打開したいと思うも、ちょっと難しい雰囲気もしますね。

 

 

なんか、ロケーションは良いんですがね・・・(^^;

 

 

まだ水の涼しさが少しは欲しいと思うのですが・・・

 

季節は完全に秋景色となっております。

 

 

カワセミ・・・は諦めて用足に街場への移動の途中・・・!

 

松崎保育園付近の猿ヶ石川沿いの並木に猛禽類が・・・

 

久しぶりのノスリ君

 

気付かれて逃げられるも数十メートル離れた木に移動・・・

 

松崎橋方向に目をやれば・・・

 

園児が、お散歩中

のどかで、いい感じです。

 

秋真っ盛りというところですね・・・。

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秋祭りと37年振りのこと

2012-09-16 08:01:05 | 思いで

 遠野は秋祭りの真っ最中となってますが、その中での最大で中心的な祭りが15日、16日に繰り広げられております。

 

ワタスは仕事上で関わりある某神輿団体の事務局立場ということで、10年振りかな?15日の日中は神輿に参加しておりました。

 

総勢130名余

以外と目立つというか賑やかというか、子供達が中心なので人気はありますね。

 

祭りに出ると他団体を観るとか撮るが出来ないのが残念。

 

 

 

16日はフリーとなってますので、終日、カメラ構えて撮りまくりたいと思ってます。

 

 

15日の夕方から・・・

参加した神輿団体の慰労会、遠野ブロガーのお祭りの宴

 

そして・・・

中学時代の同級生達との再会の宴・・・

 

ブロガーの飲み会席の隣に同級生達の席が設けられいた・・・(*゜▽゜*)

 

中学3年の夏休みが終わって間もなくか?

クラスでも学年でも成績はトップクラスの同級生が仙台へ転校していきましたが、その彼がクラスメートであり同じクラブ活動を共にした同級生が今年逝去されたことを受け、お線香を上げにきたということで、急遽、招集されたということです。

 

当時、まだ中学生の少年なのに「おっちゃん」というなんとも失礼なアダ名で呼ばれていた彼、転校していってから一度も会ったことがなくて、実に37年振りということになりますね。

当時の面影がそのまま・・・というかほとんど変わっていなかったこと、そして同席した同級生達との思い出話も楽しく、一日の締めは、ほんと楽しいひと時となりました。

また、隣席はいつものブロガーの皆様、遠くは鹿児島から再訪されたブログ仲間もいて、こちらも楽しい宴でもありました。

(行ったり来たりしてました・・・(^^;)

 

 

またお会いしまして、皆で大いにやりましょう・・・。

 

 

 

さて、16日は遠野まつり取材後は遠野ブロガーの反省会、飲み会第2弾とのこと・・・お祭り話題のエントリーは後日となりますことをお伝えいたします。

(ーー;)

 

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雨が止んで・・・(涙雨上がる)

2012-07-07 18:58:33 | 思いで

 菩提寺の紫陽花が咲き始めました・・・!

 

 

 

朝から雨降り・・・小降りのところを狙ってマクロレンズに付替えて我庭や近隣の植物を少し撮ってみました。

 

そぼろ花(桜でんぷ花)・・・・・・

 

 

 

 

 

小降りと思いきや・・・時折、強めに雨が落ちてきたりもする・・・

 

これは涙雨か?・・・

 

 中学、高校時代の同級生が逝去!

急死ともいえる内容で驚きを隠せない・・・!

 

葬儀には参列できないことから火葬に参列しましたが、未だに信じられない・・・。

 

彼とは中学の2年、3年と同じクラスで、比較的よく遊んだ方でもあった。

直ぐ思い出すのは、習字の宿題をしてこなくて、お昼時間に街場の彼の家に行って、2人で急いで習字を書いたこと・・・墨汁というハイカラなものがあるにはあったけど切らしていたのか、私が墨を一生懸命摺るも、結局、薄い色合いとなって出来は芳しくなかったこと・・・そしてもうひとつは、来内ダムへ2人で釣りに行ったこと・・・私の住む地域は通う中学では遠距離で田舎の部類で、よく同級生にバカにされたものですが、釣りに行ったところは、私の住む地域よりも山奥で遠かったという印象があり、この地域からも中学に通う同級生が居いるということを聴いた時は思わず「勝った」と思ったものでした・・・

 

社会人となってからは我職場で度々、顔はみておりましたし、挨拶程度は交わしておりました。

2年前の高校同級会の折には、「同級会に、こぉ~よっ」と声がけしたら「いげねごった」との返事・・・「そんたなごといわねでこおっ」と返したら「まんつな」との返事・・・この時が彼をみた最後となりました。

電話では昨年の今頃、会話はしてますが・・・・・

 

いずれ・・・

健康に気をつけなければならない年齢ということが、身近にヒシヒシと感じられる今日この頃・・・子供にももう少し手がかかるというか脛が細る内容でもあって、まだまだ元気でいなければ・・・と思うのですが、とにかく気をつけようと思うのみ・・・

 

やれる時に趣味とか大いに楽しんで・・・という考え方もないわけではないのですが、やはり健康であってのことですからね・・・

 

 

 

そんな雨上がりの日でありました。

 

 

心からご冥福をお祈りいたします・・・

合掌

 

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馬面電車と志戸平温泉

2012-07-02 19:11:54 | 思いで

 遠野ブログ仲間のyamanekoさんが地方鉄道花巻温泉線について最近エントリーしていたことを思い出し、花巻に行ったついでに某所を訪ねてみました。

 

 

 

 

 

幼い頃、決して裕福ではない・・・むしろ貧乏農家だったはずですが、両親に連れられて弟と4人で、この電車で花巻駅から花巻温泉郷に行ったことを思い出します。

乗ったという感覚はあるも、どんな感じだったかは記憶にない・・・

でも花巻温泉ではなく今で云う「花巻南温泉郷」の志戸平温泉に行ったことの方が良く覚えております。

 

志戸平温泉

 

当時、志戸平温泉には動物園と遊園地があって、遠野の田舎者には憧れの場所でありました。

 

動物園と遊園地があった辺り・・・?

 

動物もライオンとか象とか虎、キリン・・・が居たという記憶は皆無ですが、とにかく動物園があったことは確かなことでもある。

動物園を囲むようにチンチン電車?が園内を一週していて、とにかく最初に家族でそれに乗ること・・・このことは覚えております。

おそらく僅か数分?5分程度の内容だったと思うけど、子供心にホント楽しいと感じたと思う・・・

 

当時の痕跡を確認・・・!

 

 

幼い頃の花巻は憧れの地・・・!

マルカンデパートに花巻デパート、そして志戸平温泉・・・!

通っていた小学校にはない温水プールもありましたからね・・・

(駒木小学校にはプールはなかった・・・)

志戸平温泉は小学校の低学年の頃までの2年か3年間行ったに過ぎずだったと思う・・・。

その後、学校の遠足か夏休みか何かの地区行事に貸し切りバスで一度くらいか?

数えるくらいしか行ってないと思うけど、やはり憧れの地・・・・・・として記憶に残っておりますが、今は僅かな記憶と当時の痕跡を少しだけ残すのみ・・・です・・・

 

 

 

話変わって夕方近く・・・

 

久々にノスリ君か?

 

 

トンビぽいっ・・・ですが、足の色が黄色、そしてカラスを少し大きくしたくらいの体格、何よりも足がたくましい・・・!

 

トンビはこっち

 

色合いは、ほぼ一緒ですが尾羽の形がやはり異なるような?

 

でっ、100mほど先の低所には・・・

 

白鷹?

ノスリには間違いないようですが、新顔かな?

 

 

大柳橋近くの海上の水田地帯にて撮影・・・

2012年7月2日 15時頃

 

 

 

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初吹雪の日&修学旅行

2011-12-05 18:59:30 | 思いで

 前日は強風が吹き荒れ、一夜明けると吹雪の朝を迎えましたが風雪は日中も止むことがなかった一日でした・・・

 

我家の庭から

 

矢崎、松崎方面

 

 

 

風の丘の下辺りから・・・

 

 

 さて、毎年、今時期は高等学校の修学旅行シーズンとなっております。

 遠野高校に通う二女(2年)も先月30日から今月4日までの4泊5日の日程で主に京都、奈良の関西方面へ修学旅行に出掛けておりました。

 初日は新幹線を乗り継いで広島までの行程で2日目から関西ということらしいですが岩手の県立高校の場合、ほとんどが京都、奈良の関西方面へが定番となっております。

 ちょうど関西方面は紅葉の頃で景観的には良い感じなのかな?私が高校生の頃は春3月で春休み期間中、2年生から3年生へ進級直前の頃で、関西は桜こそ咲いてなかったけど梅が咲いて、随分暖かいと感じた記憶があり、花巻で夜行列車を降りたら辺り一面雪景色で、随分とそのギャップに驚いたものです・・・

 

 お土産

女の子らしいといえば、そんな感じですが、ほとんどチョコ関連で占められている・

 

 広島の名物は「紅葉饅頭(もみじまんじゅう)」・・・ちょっとネタ的には古いですが、定番なお土産なはず?

 紅葉饅頭がないな?と思っていたら戦艦大和のパッケージが紅葉饅頭とのこと、  本当に欲しかったお土産ではないけど、オヤジの言葉を覚えていて、それで買ってきたということで一応、満足しております・・・

 

 オヤジの頃は4泊5日だったけど、当時は東北新幹線開業前で特急列車(やまびこ?)で花巻駅から乗って東京上野まで約6時間ちょっと、山手線に乗って東京駅まで移動して東海道新幹線で京都まで?大阪だったかな?いずれバスで奈良に移動して観光して宿は京都だったような?翌日は自主研修でクラスの班単位で京都市内を観て回り、翌日は京都の清水寺や平安神宮、嵐山・・・といった観光地を回って宝塚に移動して、宝塚劇場で何組だか忘れたけど「風と共に去りぬ」を観劇した記憶が・・・。

 4日目は姫路まで移動して姫路城を観て、大阪から新幹線で東京へ・・・。

 上野駅で結構時間があって、首都圏に暮す兄姉や叔父叔母、従兄弟・・・と皆さん、面会する時間があって、私も従兄弟と会った記憶があります。

 携帯電話もなく暇つぶしにメールも出来ないし、ゲームだってなかった時代、何をして時間をつぶしたのか記憶がないですね・・・

 そして専用列車かな?4泊目は夜行列車で帰途へ・・・座席が対面式で背もたれが直角なやつで、当然、熟睡なんかできるはずもなく、床に新聞紙を敷いて寝ていた強者もおりましたね・・・中には女の子もおりました・・・

 夜通し、トランプをしておりましたが、流石に夜明け前にはダウンしておりました。

 

当時の写真・・・汗

 

 京都での自主研で同じクラスの女子生徒で京都の大学生だったか?社会人と文通していた同級生がいて、彼女の班はその文通相手の車で観光地巡り、門限に帰って来なくて随分と先生方が騒いでいた記憶も・・・女の子の方が当時は度胸があるというか大人だったかもしれませんね・・・汗

 それと陸上長距離の同級生は京都での全国大会を経験しているということで・・・?・・・彼等は不参加でしたし、当時の遠野農業高校もそうですが遠野高校のソフトボール部は県下の強豪で、東日本の選抜大会?その関係でソフト部の女子生徒も参加してなかったような・・・?

 まっ、とにかく我家の子供達の修学旅行、これで全て終わりということで、しばらくオヤジの頃の修学旅行のことは思い浮かばないものと思いますね・・・

 

 

 

予てより、お知らせいただいたおりました釜石線でのこと・・・

 

ついでに・・・

 

 

お目当ての列車

 

DE-10

 

花巻から遠野駅までレール搬送とのこと・・・。

 

 

場所の設定ミス・・・汗

 

でも、晩秋の頃は凄く絵になりそうな雰囲気、今回は失敗ですが、それでも良い場所を見つけたということで収穫がありました・・・

 

DE-10は12/9も花巻~遠野を走行いたします。

遠野駅到着 9時50分頃

遠野駅発車 11時25分頃

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懐かしのローカルCM

2011-11-21 18:54:03 | 思いで

                               今季、2度目の降雪・・・

 

 

大地を薄らと雪化粧・・・!

 

 

 

 

そして何よりも寒い1日・・・

 

 

こんな寒い宵・・・ふとっ、何気なく思い出すことが・・・

 

 

 

岩手川60秒CM

 

懐かしい岩手の銘酒のCM

 

私が少年時代から、社会人になっても、しばらく岩手では流れていたCM!

 

他に懐かしいというか思い出に残るCMといえば・・・

 

 

岩〇電気・・・

こちらはテンポ等が何度か変わってはいますが、健在です・・・。

 

 

私が高校生の頃かな、もっとローカル色が強くて昭和のCMという雰囲気抜群でした・・・

 http://www.youtube.com/watch?v=7TN5EE5J2w0&feature=related

 

そして・・・

大震災から復活を遂げた水〇酒造(陸前高田)の銘酒

http://www.youtube.com/watch?v=LJ3g7kfVg_s

 

息の長いCMで、私が中学生頃から大震災が起こるまで数十年、変わらずの映像だったような?

 

岩手ではないけど、おまけ・・・笑

 http://www.youtube.com/watch?v=JavZBvrbVzI&feature=related

 

 

 

 

冬将軍到来・・・色を失いつつある風景となりますが、それでも小春日和の日もあるはず、そんな日がありましたら初冬の遠野の風景をお伝えできれば・・・と思っております。

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青葉城恋唄 1978

2011-02-27 19:48:52 | 思いで

 

青葉城恋唄 (さとう宗幸)

  音が画像より遅いかな?・・・いずれあまり良い動画がなかった・・・謝

 

 

 サブのPCでのエントリー含め、やはり新規画像等の添付に思いのほか難儀することがあって、ちょっと手抜き的な内容ではありますが前回の1978年ヒット曲での続き、個人的な思い出の曲ということで、学園テレビドラマでの「仙八先生」こと、佐藤宗幸さんの青葉城恋唄をどうぞ・・・・・。

 佐藤さんは仙台でのローカルテレビでの夕方の放送のパーソナリティーをされているようで、時折、岩手の番組にも週一で顔を見せておりまして元気な姿を見るのが楽しみでもあります。

(TV岩手、5きげんテレビ)

 

 

 思いのほか、春の足音が強く聞こえた感じの如月、2月・・・

我家の庭から・・・

雪もたいぶ融けてきております。

 

ネネも時折、散歩出かけようか?・・・と起きている時間も長くなったような?・・・・?

 

やっぱりニャー~・・・もう少し寝ようっと・・・汗

 

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1978春、微笑がえし

2011-02-26 15:59:59 | 思いで

キャンディーズ 微笑がえし

 

 私が高校3年になろうとする春、「普通の女の子に戻りたい・・・」と解散したアイドルグループ「キャンディーズ」。

 大ファンではなかったけど、ひとつの青春の何かが終わったという思いが少しだけした記憶がある。

  また、何か新たに始まった微かな思いもしたのも事実であった。

 若い頃聴いた昭和の歌、青春の歌、その代表的な歌が個人的ながらキャンディーズの微笑がえしなのかもしれない。

  彼女等の容姿、歌声は、私の中では少しも色あせしていない。

 後楽園球場で解散コンサートがあって、無論、岩手から私が行くということはありえないのですが、テレビのワイドショーか何かをみて涙した記憶が・・・。

 

 関東では春一番が吹いたらしい・・・ヒット曲「春一番」と最期の曲「微笑がえし」が今時期、早春のイメージソングとして今でも思い出す曲である。

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