「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

八戸

2005-07-15 21:38:02 | 遠野
八戸・・そう青森県八戸市のことです。
遠野との関わりは中世八戸氏(遠野南部氏)が江戸期に遠野へ領地替えとなって移ってきたことからはじまります。
なお、厳密にいえば、遠野南部氏は後になっての呼称であり、南部姓を許されるのは文政年間の江戸中期後半の頃でもあり、これ以前は八戸氏或いは遠野八戸氏と呼ぶのが本当のところだと思いますし、かつてご指摘も受けたこともございます。
ですから初代、直義公は南部直義ではなく八戸直義、二代の義長公も八戸義長が正式な呼名でもあります。
ということで、能書きはこれくらいにして、南部首長会議・通称南部サミットといわれる南部藩、南部家ゆかりの市町村による交流事業が続けられている。無論遠野市も八戸市もそのメンバーでもあり、今年のサミット開催地は遠野市でもあります。
また十数年継続されております、遠野と八戸市、七戸町の子供達の交流事業も盛んに行われ、さらに春の桜祭りにての遠野南部氏入部行列では多くの八戸市民の方々が訪れ、最近は八戸での根城祭りには入部行列の八戸出立の模様を再現するといったことも行われ、遠野から衣装、小道具の貸し出しとともに遠野市民も参加という場面でもあります。
こういったことから遠野と八戸は友好都市としてというより兄弟のような関係で色々と交流を重ねていると私は思いますし、ここ3年は年に2度は八戸を訪れてまして、何処か大きな街の割には田舎臭さも感じられ少し落ち着くといった街でもあります。
以前は北海道旅行でのフェリーターミナル、或いはその帰り八食センターで買物といった程度でしたが、歴史サイトを開設してからは現地との何かしらのつながりを持ちたい、そんな思いの中、八戸発信のサイトの管理人さん達とも交流ができ、訪れる回数が多くなったといっても過言ではございません。

16日から一泊二日の予定で八戸へ出撃して参ります。
ひとつは遠野南部家家臣の故郷というテーマで、遠野に現存する姓名「類○・田○木・是○・新○・鳥○部・・」遠野にある苗字がかの地では地名としてある点、これらに触れるといったこと。また八戸時代の城舘の探訪、そして一番は現地の知人との懇親会でもあります。
このレポは早めに本サイト及びこちらでご紹介したいと考えております。

画像は櫛引八幡(八戸市)・・・遠野南部流鏑馬発祥の伝承があり、今でも遠野から流鏑馬保存会の面々が流鏑馬神事を執り行いに出張しております。
コメント (3)
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