今年初めての本土上陸台風、台風7号・・しかし、なんとか東にずれてさほどの大きな災害もなく、無事に通過してくれた。何よりも徹夜の警戒もなく一安心といったところです。
「宵宮の怪」
この間執り行われた愛宕大権現の宵宮、昭和40年代の半ばに福泉寺によって愛宕堂が新築されてからは、愛宕堂にて執り行われておりますが、新築される以前は福泉寺本堂にて執り行われておりました。御神体が入れられた祠といいますか、御神体は本堂に安置されておりました。
私が小学2年か3年生の頃、蝉時雨が絶え間なく鳴り響く中、家族全員と福泉寺の方々と共に愛宕大権現の宵宮が執り行われておりました。
時刻は不明ながら夏の夕方のことでした。我家には伯母さん、そして伯母さんの長男(従兄弟)も一緒に暮らしておりまして、従兄弟はこの時、高校生で私の兄貴的な存在で兄弟のような関係でもあり、私は従兄弟を「おんちゃ」と呼んでおりました。
この年の宵宮の朝、父がおんちゃに「今日は愛宕さんの宵宮だがらへぐこよ(早く帰って来いよ)」と言っていたのを記憶しております。おんちゃも「クラブあるども、なるべく早く帰ってくっから」と言っておりました。
さて、宵宮も終盤となり本堂で先代住職さん、宥燃和尚のお経が続けられておりましたが、辺りが随分と暗くなってきた時分、表の本堂の階段を「トン・トン・トン」と駆け上がる足音と共に踊場も「タッ・タッ・タッ」と小走りのような感じで本堂の入口である障子戸の辺りで「ピタッ」とその足音は止まりました。私は「おんちゃ来た・・」ということで、急いで障子戸のところへ行き、その障子戸を開けようと戸に手をかけようとしました。ところが、触る瞬間に自動ドアのように障子戸が勢いよく開いたのです。一瞬、おんちゃが戸を開けたのかなと思いましたが、開いた戸の外にはおんちゃの姿はありませんでした。
不審に思った私は戸から左右に顔を出し、辺りを伺いましたが、誰も居ません。ついでに踊場に出てみようと思いましたが、その時、和尚さんの声がして「出すな・・」という声と共に祖母が走り寄ってきて私の腕をとり本堂の中に引きずり込んだのです。腕は痛いし、何がなんだかわかりませんでしたが、中に入ると和尚さんが「上に居るぞっ」との言葉、父親や祖母が何が上にいるのか・・と訪ねますと、「たます(魂)が戸の上にいる」・・・そう私が顔を出し左右のみの確認では誰もいなかったのはそのおりで、階段を上がり踊場の足音の主は、障子戸を開けた後、戸の上に浮いていたとの事なのです。
和尚さんには何か感じるものがあったのか、途中でお経をやめて、私を外に出すな・・と大声を出したわけです。また祖母もその言葉に直ぐに反応し、ただならぬ何かを直感的に感じたとのことです。
その後、宵宮の続きは無事に執り行われましたが、私は幼いながらも本堂から出るのが怖かった記憶がございます。
家に帰ってしばらくしますと、おんちゃが帰ってきました。とりあえず、おんちゃに「さっきお寺に来たか」と聞きますと「行ってない」との返事、親父も「遅かったな」と声をかけると「クラブで帰って来れなかった、ついでに友達とラーメンを食べて来た」ということです。
宵宮での不思議な体験、未だにおぼろげながら記憶がございますが、その後、宥燃和尚からあの時の上にいたものとは何なのか・・は聞いておりません。
今でも福泉寺本堂は昔のまま姿で健在でもあり、大人になった私ですが、本堂に入る瞬間は昼間でも少し背筋が「ゾッ」とすることもしばしばございます。
どんどはれっ
画像は福泉寺本堂・・・階段を登り右の踊場を行くと角に板戸、障子戸の引戸がある。
「宵宮の怪」
この間執り行われた愛宕大権現の宵宮、昭和40年代の半ばに福泉寺によって愛宕堂が新築されてからは、愛宕堂にて執り行われておりますが、新築される以前は福泉寺本堂にて執り行われておりました。御神体が入れられた祠といいますか、御神体は本堂に安置されておりました。
私が小学2年か3年生の頃、蝉時雨が絶え間なく鳴り響く中、家族全員と福泉寺の方々と共に愛宕大権現の宵宮が執り行われておりました。
時刻は不明ながら夏の夕方のことでした。我家には伯母さん、そして伯母さんの長男(従兄弟)も一緒に暮らしておりまして、従兄弟はこの時、高校生で私の兄貴的な存在で兄弟のような関係でもあり、私は従兄弟を「おんちゃ」と呼んでおりました。
この年の宵宮の朝、父がおんちゃに「今日は愛宕さんの宵宮だがらへぐこよ(早く帰って来いよ)」と言っていたのを記憶しております。おんちゃも「クラブあるども、なるべく早く帰ってくっから」と言っておりました。
さて、宵宮も終盤となり本堂で先代住職さん、宥燃和尚のお経が続けられておりましたが、辺りが随分と暗くなってきた時分、表の本堂の階段を「トン・トン・トン」と駆け上がる足音と共に踊場も「タッ・タッ・タッ」と小走りのような感じで本堂の入口である障子戸の辺りで「ピタッ」とその足音は止まりました。私は「おんちゃ来た・・」ということで、急いで障子戸のところへ行き、その障子戸を開けようと戸に手をかけようとしました。ところが、触る瞬間に自動ドアのように障子戸が勢いよく開いたのです。一瞬、おんちゃが戸を開けたのかなと思いましたが、開いた戸の外にはおんちゃの姿はありませんでした。
不審に思った私は戸から左右に顔を出し、辺りを伺いましたが、誰も居ません。ついでに踊場に出てみようと思いましたが、その時、和尚さんの声がして「出すな・・」という声と共に祖母が走り寄ってきて私の腕をとり本堂の中に引きずり込んだのです。腕は痛いし、何がなんだかわかりませんでしたが、中に入ると和尚さんが「上に居るぞっ」との言葉、父親や祖母が何が上にいるのか・・と訪ねますと、「たます(魂)が戸の上にいる」・・・そう私が顔を出し左右のみの確認では誰もいなかったのはそのおりで、階段を上がり踊場の足音の主は、障子戸を開けた後、戸の上に浮いていたとの事なのです。
和尚さんには何か感じるものがあったのか、途中でお経をやめて、私を外に出すな・・と大声を出したわけです。また祖母もその言葉に直ぐに反応し、ただならぬ何かを直感的に感じたとのことです。
その後、宵宮の続きは無事に執り行われましたが、私は幼いながらも本堂から出るのが怖かった記憶がございます。
家に帰ってしばらくしますと、おんちゃが帰ってきました。とりあえず、おんちゃに「さっきお寺に来たか」と聞きますと「行ってない」との返事、親父も「遅かったな」と声をかけると「クラブで帰って来れなかった、ついでに友達とラーメンを食べて来た」ということです。
宵宮での不思議な体験、未だにおぼろげながら記憶がございますが、その後、宥燃和尚からあの時の上にいたものとは何なのか・・は聞いておりません。
今でも福泉寺本堂は昔のまま姿で健在でもあり、大人になった私ですが、本堂に入る瞬間は昼間でも少し背筋が「ゾッ」とすることもしばしばございます。
どんどはれっ
画像は福泉寺本堂・・・階段を登り右の踊場を行くと角に板戸、障子戸の引戸がある。