画像は母校、旧市立駒木小学校(昭和45年頃)
私が卒業時は遠野北小学校に統合され2年目であったが、名前こそ北小駒木校舎ながらその中身は駒木小学校最後の卒業生と自負している。
小学生時代は、兄弟校というべき松崎小学校は確か100名前後の児童数、隣の土淵小学校、附馬牛小学校は200名近い児童数と記憶している。卒業時は53名だったかな、駒木小の児童数、当然複式学級ではあったが、秋の運動会は学校の運動会としての行事だけではない、地区民の運動会も兼ねて、大変な賑わいだったし、学芸会もしかり・・とにかく地域は学校が中心に回っていたと思い起こします。
現代の世は、父兄以外は学校には用はないし、少し大きな行政区単位にあった小学校は今や町にひとつという現状でもあり、以前のように学校を取り巻く地域の輪は廃れつつあります。
しかし、私自身、地域や学校に大きく貢献なり関わりは無きに等しく大きな声でいえる立場ではありませんが、それでも地域にひとつ、町にひとつの小中は必要ではないのか、子供会、PTA行事を通じ、それなりに地域に関わる、私自身としては最低限の関わりでもあるし、この関わりは子供達が学校からそして地域から巣立ったとしても、さらなる地域との関わりのステップに成り得るものと考えております。
特に地域に希薄な若い世代では、今後、結婚し子供が生まれPTAに関われば何かと地域とのつながりも深まるものでもあるし、これらのことは必要かな・・なんて思うところです。
私が卒業時は遠野北小学校に統合され2年目であったが、名前こそ北小駒木校舎ながらその中身は駒木小学校最後の卒業生と自負している。
小学生時代は、兄弟校というべき松崎小学校は確か100名前後の児童数、隣の土淵小学校、附馬牛小学校は200名近い児童数と記憶している。卒業時は53名だったかな、駒木小の児童数、当然複式学級ではあったが、秋の運動会は学校の運動会としての行事だけではない、地区民の運動会も兼ねて、大変な賑わいだったし、学芸会もしかり・・とにかく地域は学校が中心に回っていたと思い起こします。
現代の世は、父兄以外は学校には用はないし、少し大きな行政区単位にあった小学校は今や町にひとつという現状でもあり、以前のように学校を取り巻く地域の輪は廃れつつあります。
しかし、私自身、地域や学校に大きく貢献なり関わりは無きに等しく大きな声でいえる立場ではありませんが、それでも地域にひとつ、町にひとつの小中は必要ではないのか、子供会、PTA行事を通じ、それなりに地域に関わる、私自身としては最低限の関わりでもあるし、この関わりは子供達が学校からそして地域から巣立ったとしても、さらなる地域との関わりのステップに成り得るものと考えております。
特に地域に希薄な若い世代では、今後、結婚し子供が生まれPTAに関われば何かと地域とのつながりも深まるものでもあるし、これらのことは必要かな・・なんて思うところです。