「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

館跡めぐりと熊公

2008-05-10 20:20:16 | 思いで
 結局、この春の季節の館跡めぐりは再訪も含めて4箇所に留まりました。
 例年より1週間~10日は早い新緑の季節、山野の下草が伸びる時期を一応の目安にこの季節の館跡探訪は終了と決めているので、不本意ながらも晩秋、初冬の頃の再開まで休止となります。

 2月の厳冬時期、比較的温暖な住田町の上有住城の探訪を皮切りに、幾らか沿岸地域の城館の探訪も予定しておりこの方面での数も少しは伸びるかなと考えておりましたが、結局実施に至らず。

 3月には雪融けも進み、天候も安定していたにも関らず結局探訪は未実施。
 ようやく4月となって附馬牛町の火渡館の再訪をきっかけに本格始動といった現状でもありました。


火渡館の遺構





 そして、数年前からの懸案であった上郷町の内城館とは何処であったのか?この謎解きが再燃し、本姓を菊池氏と伝えられ内城氏関連として菊池一族の小友町新谷館の探訪を実施。

新谷館跡




 4月となってからまずまずの内容でありましたが、内城館跡として全く確信がなかったのですが、細越の糠森館跡が怪しいのではないのか、そんな思いから未踏でありましたが、なんとか糠森館跡を探し当て、探訪いたしました。

糠森館


 さて、ここからが本題なのですが、この糠森館跡探しでは山野を間違えてかなり難儀いたしましたが、背丈以上の笹竹が茂る場所では、獣が通っただろう跡を随所に見、さらに獣臭いのなんの・・・汗。

 落ちていた毛では、おそらく鹿の類ではありましたが、何処か熊の雰囲気も感じられ、内心はビクビクでもありました。
 その翌日、私が探訪した山野を同じにする反対側の麓の集落、岩崎地区に熊が出没との情報、やはり私が徘徊していた近くに熊はいたのだと思うと、安堵したのと同時に血の気がひく思いでもありました。
 よって、この糠森館跡探訪から地元の城館探訪は全くしておらず、八戸の藤九郎さんと住田の上有住城を連休中に訪ねただけで今季は終了となったことになります。


 
 
 2003年11月末

 本格的に館跡探訪を始めた年、まだ10箇所程度の探訪経験しかなかった当時、地元も地元、身近な館跡の調べで某所を訪れました。
 
 県道が館跡のある山野の下を走っており、入りやすい山野でもありました。



 小路を進んでいると、前方左手に背丈程の笹薮が密集しているところがありましたが、突然、笹竹が「ガサガサ・・」という音と共に奥の方へ順に倒れていく・・・汗・・・脳裏には熊公に違いないと浮かぶも、そこで足がすくんでしまい身体が固まったような状態、普通ならここで奇声のひとつも出そうなところであるが、実は声も出なかった・・・汗。

 数秒後、前方に黒い塊が「ドサッ」と落ちるように現れた。
 そのまま、こちらを見るでもなく、一目散に奥の斜面を丸くなって駆け上がっていく・・・遠野では慌てふためいて逃げる様を表す際に「丸くなって・・・」という場合がありますが、まさにこの言葉通り、この時点でも動くことは叶わず・・・汗。

 大きさは犬・・・犬といっても色んな種類もありますから、表現のしようがありませんが、中型犬くらいですかね、大きいとは思いませんでしたが、その黒い塊が見えなくなった頃に身体が元に戻り・・・不本意ながら「ギャー」だか「あ゛~」だか忘れましたが、奇声を発しながら着た道を走ってました・・・笑

 


 この日の夕方、やはりこの山野の下、小烏瀬川を挟んだ小学校近くに熊が出没したとの情報が流れてました。

 この時は、向うから逃げてくれたので助かったものなのか?運が良かったかもしれませんが、この後の館跡探訪、複数回の探訪も含めて山野徘徊は150回近くになっておりますが、熊公との遭遇は無い。

 私の場合は単独での探訪が主でもあり、今後はさらに熊対策もしっかりとしなければならないと思っているところです。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする