「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

13回忌なり

2013-11-24 17:44:39 | 我家のこと

 父親が亡くなったのが米国での9.11同時多発テロが起きた同年11月末、あの高層ビルに突っ込む旅客機の衝撃的な映像、その後に地上で崩れ落ちたビルからの煙火の中を逃げ惑う人々、そして救出に向かおうとする消防士の姿が印象に今も残っている。

その朝、まだ元気だった親父と共に朝の食卓でその模様を伝えるテレビニュースを観ていたのを思い出します。

 

その衝撃的で国際的な事件から1ヶ月後、親父が病魔に倒れ、入院1ヶ月ちょっとで帰らぬ人となり、その後、7回忌、さらに今年13回忌を迎えました。

月日の経つのは早いものであると感じますね・・・。

 

13回忌も7回忌法要と同様に極近親者のみで営みました。

伯母達、すなわち親父の姉2人、そして従兄弟と私の実弟、母親、我夫婦という面子となりました。

7回忌の際もブロクで少し取り上げてますが、年老いた伯母達が13回忌の時も健在であろうか?そんな心配もありましたが、なんとか元気で近親者としては欠けることなく、滞りなく供養できたのかな?と思うところです。

皆で墓所で手を合わせた後は自宅に戻り、菩提寺住職様にご足労いただいて、仏壇にてお経を唱えていただき皆であらためて手を合わせました。

 

 

本来は伯母や従兄弟のみならず親戚にも声がけしたり、故人からみての孫達(吾輩の子供達及び弟の子供達)も居て欲しいと願うも、これもなかなか難しい現状があって、前出の面子となっております。

 

今回は従兄弟で千葉県住まい、高校を卒業して42年間の公務員生活を今年の3月に退官され、一時的に故郷遠野の実家で過ごしている従兄弟(故人からみれば甥)に顔を出していただき、亡き父親もたいへん喜んでいるのではないのか、そんな気がしております。

従兄弟の持ち前の性格からか、湿った雰囲気よりは楽しい雰囲気が大切ということで急遽、家庭用のカラオケが準備され、途中からカラオケ含みの宴会となってしまうも、これも故人は生前から好きな雰囲気なので、さぞ喜んでいるのでは?・・・と勝手ながら思うことにいたしました。

 

親父といえば・・・

地元郷土芸能に若い頃から深く関わっておりましたので、その話題も・・・

 

昭和35年か36年頃・・・

遠野市立駒木小学校校門前にて・・・

遠野郷しし踊り 駒木鹿子踊りの面々・・・

年上の従兄弟二人が小学低学年だった頃とのこと・・・

 

当時は女の子のしし踊りの参加は皆無で、男の子のみ・・・無論、今は笛や太刀振りに女子は欠かせませんが当時は確かに一人の女の子も写真には写っていない・・・。

 

吾輩が生まれたか生まれる前の写真ですが当時の大人達の顔ぶれが懐かしいです。

ほとんどは鬼籍の人となってますが、ホント懐かしい一枚との出会いとなりました。

向かって右(中央のふたり)が親父、左は晩年鹿子踊りの保存会長を務めた親戚の小父さん、神楽でも鹿子踊りでも親父とは良きコンビだったと思います。

上の右側ふたりの子供は従兄弟・・・

 

年上ではありますが千葉に住む従兄弟とは吾輩の弟含みでじっくり盃を交わしたのは初めてかもしれない・・・。

従兄弟も弟も夕方にはダウンしてしまいましたが、それぞれの絆等を感じさせる一時となりました。

コメント (4)
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