「南北朝武将列伝 南朝編」という歴史書籍をネットで購入しました。
興味ある歴史関係ですが、老眼が特に進んでからは、活字を読むというのが億劫になっていたので、ほとんど書籍の購入はしておりませんでした。
この春に久々に地元史的な内容の書籍と今回の南北朝関係の書籍の2冊を手にいたしました。
書籍(南北朝武将列伝南朝編)の内容、概略については後段で綴りたいと思います。
遠野の桜はほぼ終了してますが品種によるのか?遅咲きの梅がいい感じに咲いている場所もあり、桜より遅い梅?少々違和感もありますが紅梅とかは遅いですからね。
また、ほぼ1ヶ月頑張っている水仙も後半となっており、代わってチューリップが最盛期となっている。
さらに道路端や田んぼの畦道は、タンポポが一気に黄色く色付いております。
長らく桜が楽しめた福泉寺境内
若干、見頃が続いている桜もありますが・・・
遅めに咲いた枝垂れ系も散り始めとなっております。
例年より早く訪れた春、桜に代わって間もなく、連休中にはツツジが咲き始めそうですし、その後は藤、少し間をおいて夏の始まりに紫陽花と境内の風景は変わっていくものと思います。
いずれ、4月に入り本格的な春が来たと思ったら、もう5月、早いものですね。
話し変わって・・・
今年1月下旬に逝去した叔父(母の弟)の納骨がありました。
初七日、四十九日と一連の仏事も終わり、百ヶ日を前に納骨となりました。
感染拡大が懸念される中、限られた近親者のみ、しかも生憎の雨模様となりました。
今後は初盆、1周忌、3周忌と法事の間隔が長くなり、さらには母親の実家との関わりも代替わりとかで縁も徐々に薄れていくものと思いますが、これも古から続くことでもあり仕方ないものでもありますね。
以前もご紹介したことがありましたが、なんともいえない屋号
先祖は江戸時代初頭に青森県八戸から岩手県遠野へ所領替えで来た八戸氏(根城南部氏後の遠野南部氏)の家臣として遠野へ来たと伝えられている。
遠野士族名簿及び江戸後期の遠野南部家臣団の史料には当時のご先祖様の名が何代か記されており、下級家臣ではあったようですが、武士の家系でありました。
檀那様の屋号の由来も伝えられているようですが、このことは何かの機会にて記することができましたら、ご紹介したいと思います。
さて・・・
本題の書籍となりますが、前記での八戸氏、かつては八戸地方を領していた根城南部氏の先祖、奥州での始祖が南北朝時代に活躍した南部師行・南部政長(なんぶもろゆき・なんぶまさなが)兄弟である。
南朝方で活躍した武将31名が取り上げられておりますが、中でも南部師行公、南部政長公がどのように記されているのか、さらには我姓に関わりある九州南朝方の雄、菊池武光公は・・・たいへん気になったもので、少々高いかな?と思うも1冊手にしたということです。
約400頁強のうち、南部師行公は14頁、政長公は15頁にわたって意外と詳しく記されており、中でも南部氏の奥州での足跡、今まで語られ伝えられる奥州南部氏の通史を覆す内容が多く盛り込まれ、近年の南部氏の研究成果が多く採用され、ようやく・・・という思いになっております。
只今、遠野市史も編纂中で遠野南部氏に関しては、古文書の解読やら検証も丁寧に行われていると聞きますので、今後の南部氏研究のさらなる加速を期待し発刊を待ちたいと思ってます。
およそ650年前の南北朝時代、北奥羽の南朝方とし活躍し、遠野においては勤王五世として崇められている師行公、政長公の兄弟、文章を読み胸が熱くなるのを覚えました。
ただ強いて言えば、北畠顕家卿の弟で兄亡き後に奥州に入り南朝方の権威として激しく北朝方と争った北畠顕信公が掲載されていない(父である北畠顕房の項に概略のみ記されている程度)、これだけが残念ではありますね。
しかし、それでも小生にとって永久保存版の書籍となりそうです。
境内の枝垂れ桜もいよいよ見納め