いつまでも事故の画像及びその経緯をページトップに飾っているのもなんだし、気乗りがしない内容ながらも、今回の北関東行きで宿泊した佐野でのことを簡略ながら、綴りたいと思います。
佐野名物・・・佐野ラーメン
現地で食べるのは今回で2度目、あっさり醤油ラーメンといったところ。
本格的な専門店とか有名店ではなく、高速のサービスエリアで食べましたので、本来の味とはどうなんだろう・・・?こんなものかな程度に感じました・・・と言いつつもその記憶も某出来事で薄れており、何故か画像も少しむなしい・・・汗
自宅を夜出発、途中4時間程度の仮眠をとったとはいえ、前橋での用事の後は何処かで宿泊と考えておりました。
その宿は、栃木県佐野市と何故か決めておりました。
佐野市といえば、遠野郷土史を志す者、興味ある人達には、遠野と古に縁ある土地であることは承知のことと思います。
所伝では鎌倉時代から慶長5年(1600)まで我遠野は佐野出身の阿曽沼氏が約400年にわたり治め、佐野にはかつての阿曽沼氏居城の阿曽沼城跡も残され、少しだけですが佐野地域での阿曽沼氏の足跡等も残されている。
今回、別に縁の史跡見学やら何かを調べようという目論みはありませんでした。
ただ、佐野という土地が知らない土地ではありますが、それでもなんとなく一日でもその土地に居てみたい、そんな思いもありましたし、何よりも高速道路のインターもあるという簡単な考えと共に、少しでも帰途への道が楽であろうという単純な考え方でもありました。(佐野市訪問は今回で2度目)
宿は北上市にもあるホテルチェーン、最上階に展望大浴場や露天風呂、サウナもあり、何よりも手足を伸ばしてゆっくりお風呂に入れるのがうれしい、旅の疲れを癒すにはもってこいの宿でした。
夕食は、ホテルの方にお聞きして、タクシーで5分程の群馬や栃木でチェーン展開されている大きな食事処へ・・・・。
八戸に食事のデパート「喜代志」というお店がありますが、喜代志同様、洋食に和食、寿司、居酒屋も兼ねている何でもござれの食事のデパート関東版といったところ・・・笑
とにかくメニューの豊富さに圧倒され、しかも宴会場以外は人数に合せての完全個室となっているのがうれしい・・・・。
まずは・・・
定番ホッピーともつ煮からスタート・・・大汗
チャイナブルーとエイひれ
家族同伴ということ、夕食という意味合いでしたので今回のアルコールは画像の2杯だけ・・・・。
1時間ちょいで宿に戻り、バンクーバー冬季五輪開会式の中継録画放送を観ながら、いつの間にか寝てしまいました。
そのお店の個室には佐野地方?の地名がついていた。
興味深いのは・・・・
浅沼
遠野にも浅沼姓が結構ありますし、阿曽沼氏発祥の地は佐野市浅沼町ともいわれる。
阿曽沼城跡は、まさにその浅沼町にあって現在は浅沼八幡社が鎮座しております。
この地域の浅沼姓は現地に残った阿曽沼氏の末裔とか、縁の方々の末裔ともいわれているとか?
阿曽沼と浅沼は同意義とも考察される内容もあって、遠野での阿曽沼氏もその支族鱒沢氏は浅沼氏を後に名乗り、南部関連資料にも阿曽沼を浅沼と記する内容も存在している。
芳賀
芳賀氏・・・遠野ではあまり馴染みのない姓かもしれない。
芳賀氏といえば宇都宮氏重臣の芳賀氏、中でも芳賀高定という戦国時代の武将の名を何故か思い浮かべてしまいますが、実は大槌町に縁ある姓でもあるようです。
大槌氏家臣の芳賀氏・・・・大槌氏が遠野阿曽沼氏支族で下野国(現栃木県)に縁ある武家であるとのひとつの証が大槌氏家老であった芳賀氏の存在でもあるようです。
いずれ宇夫方(生方)や芳賀、浅沼・・・少ないですが関東との関わりを示す何かが根底にあることは確かなことかもしれません。
ということで、事故関連については、今回で一応終わりとしたいと思います。
当方は被害者という立場であり、相手方は一切の過失を認めて、相手方保険会社から100対0との認定を受けました。
当方の保険会社から相手方保険会社との関わりへと移行といった内容でもあって少しばかり不安ではありますが、やられ損という思いは少しですが払拭された思いでもあります。
しかし、二夜続けて葬儀や火葬の場面を夢でみたり、何度もふとしたことからあの事故のシーンを思い起こすことがあって、精神的なダメージも少しはあるようです。
とにかく無事で良かったをかみ締めつつ、今後もさらに交通安全に努めたいと思っております。
何か進展等がありましたら、またブログネタでお知らせしたいと思いますので、その際はアドバイスやらお知恵をご拝借願えればと思います。
アタクシは多重衝突の一番後ろだったので加害者の立場に置かれましたが・・・
今でも効かないブレーキを思い切り踏み込みながら叫ぶ夢を見ます。
トラウマというよりPTSDですね。
あ、でも脱輪のトラウマはそれで吹き飛びましたが((笑))
佐野の夕食の店は「暖」ですか?
高速道での事故、起こったらひとたまりもないと思ってましたから、山猫さんの状況もわかります。
小生の場合は目の前に飛び出た車をみた時は、これでキマッタと正直思いましたし、次の瞬間には相手車両に接触と思ったら斜面を斜めになりながら走っていたこと、この時は間違いなくあの世行きと思いました。
でも眼前に道路が見えた時は、このまま道路にドスンと落ちて、そのまま走行できるのではないのかと、思わずハンドルを右に切った、思いこみもあるけど、そんなことしたような・・・?
結局は横転でしたがいずれ生きた心地はしませんでした。
お互い高速道事故経験者となりますが、ホント気をつけたいと思います。
今まで書き込んだとおりの状況でして、いずれ家族も無事であったこと、これに尽きます。
通常のブログネタも・・・と思うも、まだ少し気持ち的には動揺しているのだと思いますが、なかなかカメラ片手にとはまだいきそうにありません。
佐野の食事処は「いっちょう」というお店でした。
あまり会話のない長男と親子での食事、この日は、いつもより口数も多く、楽しい晩餐であったのに、これも事故で楽しい思いが半減してしまいました。
いずれ気をつけなければと思うところです。
皆さんの仰せのように昨日から手がしびれ、腰の辺りが苦しくなりだして、本日、病院へ行って参りました。
ドクターもびっくりの事故概要、それで3人ともなんともないとは驚きとのこと・・・汗
とりあえず検査しても見た目の異常はなく、薬等でなんとか・・・そんな具合です。
相手方保険屋から、当方への直接的な連絡へと移行し、当方側の保険屋さんの仕事はほとんどなくなったようで、保険屋と当方本人という図式のようです。
しかし、まだ現地に車は残されておりますし、レッカー手配済みとはいえ、まだまだ何かありそうですし、手続き書類なんかも結構ありそうで、それだけでも難儀に感じてしまいます。
吉里吉里芳賀氏については大槌氏の家老列ではなかったと記憶してます(子孫の方が自費出版で本をだしてた・・・大槌の図書館にあった)。
但し、南部家から御魚御用?肝煎とか特殊な扱いをうけていたようです。
お久しぶりです。
お祓いは何度も受けてます・・・汗
事故に遭ったのは不運ですが、命が儲かった、怪我がなかったは運のもありますから・・・ご心配いただきすみませんでした。
大槌の芳賀氏に関しては知識も薄いので、何かありましたら今後もよろしくご教授願います。