まさにセーフ・・・残された史跡というべきか、とにかく一応安堵という言葉が当てはまる内容ではありますが、遠野郷土資料や城館跡資料に掲載されていない館跡、宮守町上鱒沢の「鳴沢館」を探訪いたしました。
☆鳴沢館・・・遠野市宮守町上鱒沢(船渡)・・・山城
舘主・佐々木氏 築使用年代 阿曽沼時代・・・他沿革等は不明
遠野市関連書籍(遠野郷消防総鑑 絆)に記載されている遠野郷内の城館跡一覧のみに記述されている館跡であるが、詳細等情報は皆無に等しく、ただ館跡が残されているという山野の位置のみは地域の知人から教えられていただけ・・・山野の雰囲気から構造等をイメージするのみで、まさに未知の館跡と言っても過言ではありませんでした。
自動車専用道路(釜石道)ルートを示すテープ表示・・・館跡山野1/3部分
鱒沢から綾織町新里区間における自動車専用道路ルートが決定され、既に工事がされている区間もありますが、遠くから眺めただけでも鳴沢館跡がある山野もルート上にあると予想がついておりまして、できるだけ早期に探訪したいと考えておりました。
綾織町新里の西風館の下部部分もそのルートに選定され、小生の叔父を中心に地域では西風館を残すといった意味と共に地域の歴史を後世に伝えようということで、第一回目の遠野遺産に申請し、認定されております。
鳴沢館はどうなのか?まさか上郷町の篠館のように道路工事で消滅といったことも危惧しておりましたが、どうやら舘跡下の1/3程度が道路用地となるようでもあります。
大方の部分はそのまま残るといった雰囲気で安堵しているところです。
さて、道路用地として測量等も実施されているようで、山野は木々の枝打やら下草やらがきれいに刈られて比較的歩きやすい環境でもありました。
今回は道路予定地となる林道沿いに進み途中から杉林となっている北向斜面から山野に突入しましたが、上部の尾根部分には土塁らしき形状や不規則ながらも階段状の形状が確認できました。
ほどなくして山頂に到着、ここが主郭といわんばかりの形状が目に飛び込んでくる。
主郭部
山頂を削平し、2段~3段の帯廓で周囲を囲んでいる。
今回は主郭部の背部へ最初に至ったが、比較的広めの平場があり、常道ではこの部分に山野を断ち切る堀切や土塁があるはずだが、確認はできなかった。
主郭部平場
東西約20メートル・南北約30メートルの平場であり、その平場から北西側の尾根部分を削平して下部に向って5段の小さな平場が展開されており、北東側斜面には不規則ながらも数段の帯郭、一部空堀跡とおぼしき遺構が尾根沿いの平場下からそれぞれ下っている。
尾根沿いの段差
尾根沿い平場下の空堀跡
北東側斜面の帯廓
西側斜面の帯廓
西側は急斜面となっており、3段程度の帯廓が確認できる。
南側斜面の帯廓
空堀跡と確信できる内容ではありませんでしたが、判然と残る帯廓や段差のある平場、土塁といった遺構は健在で、好印象の舘跡でもありました。
雰囲気は上郷町の駒込館(瓜ヶ森)に似ておりましたが、主郭部が判然としており、ここが本丸であるという誰が見てもわかる構造の舘跡は初めてみた思いがします。
ただし、背面には平場を挟み、さらに高い山頂が控えており、もしかするとその部分に堀切等の遺構が残されているかもしれません。
今回は、誰が見ても此処が本丸跡と思える形状に騙され、その部分を主に探訪してしまい背後の山頂は探訪しておりません。
いずれまた探訪の機会を得て、さらに調査したいと考えております。
猿ヶ石川を越えて向いの城館跡・鱒沢館
鳴沢館主の佐々木氏・・・鱒沢氏の家臣的立場であった雰囲気も感じられ、鳴沢館は鱒沢館の支城といった意義かあったのか?或いは鱒沢地区も若干の金脈があったと伝えられるので、産金に関わる舘跡なのか?・・・・とにかく資料も皆無に等しく、伝承も同様といったところです。
かつての猿ヶ石川跡
☆鳴沢館・・・遠野市宮守町上鱒沢(船渡)・・・山城
舘主・佐々木氏 築使用年代 阿曽沼時代・・・他沿革等は不明
遠野市関連書籍(遠野郷消防総鑑 絆)に記載されている遠野郷内の城館跡一覧のみに記述されている館跡であるが、詳細等情報は皆無に等しく、ただ館跡が残されているという山野の位置のみは地域の知人から教えられていただけ・・・山野の雰囲気から構造等をイメージするのみで、まさに未知の館跡と言っても過言ではありませんでした。
自動車専用道路(釜石道)ルートを示すテープ表示・・・館跡山野1/3部分
鱒沢から綾織町新里区間における自動車専用道路ルートが決定され、既に工事がされている区間もありますが、遠くから眺めただけでも鳴沢館跡がある山野もルート上にあると予想がついておりまして、できるだけ早期に探訪したいと考えておりました。
綾織町新里の西風館の下部部分もそのルートに選定され、小生の叔父を中心に地域では西風館を残すといった意味と共に地域の歴史を後世に伝えようということで、第一回目の遠野遺産に申請し、認定されております。
鳴沢館はどうなのか?まさか上郷町の篠館のように道路工事で消滅といったことも危惧しておりましたが、どうやら舘跡下の1/3程度が道路用地となるようでもあります。
大方の部分はそのまま残るといった雰囲気で安堵しているところです。
さて、道路用地として測量等も実施されているようで、山野は木々の枝打やら下草やらがきれいに刈られて比較的歩きやすい環境でもありました。
今回は道路予定地となる林道沿いに進み途中から杉林となっている北向斜面から山野に突入しましたが、上部の尾根部分には土塁らしき形状や不規則ながらも階段状の形状が確認できました。
ほどなくして山頂に到着、ここが主郭といわんばかりの形状が目に飛び込んでくる。
主郭部
山頂を削平し、2段~3段の帯廓で周囲を囲んでいる。
今回は主郭部の背部へ最初に至ったが、比較的広めの平場があり、常道ではこの部分に山野を断ち切る堀切や土塁があるはずだが、確認はできなかった。
主郭部平場
東西約20メートル・南北約30メートルの平場であり、その平場から北西側の尾根部分を削平して下部に向って5段の小さな平場が展開されており、北東側斜面には不規則ながらも数段の帯郭、一部空堀跡とおぼしき遺構が尾根沿いの平場下からそれぞれ下っている。
尾根沿いの段差
尾根沿い平場下の空堀跡
北東側斜面の帯廓
西側斜面の帯廓
西側は急斜面となっており、3段程度の帯廓が確認できる。
南側斜面の帯廓
空堀跡と確信できる内容ではありませんでしたが、判然と残る帯廓や段差のある平場、土塁といった遺構は健在で、好印象の舘跡でもありました。
雰囲気は上郷町の駒込館(瓜ヶ森)に似ておりましたが、主郭部が判然としており、ここが本丸であるという誰が見てもわかる構造の舘跡は初めてみた思いがします。
ただし、背面には平場を挟み、さらに高い山頂が控えており、もしかするとその部分に堀切等の遺構が残されているかもしれません。
今回は、誰が見ても此処が本丸跡と思える形状に騙され、その部分を主に探訪してしまい背後の山頂は探訪しておりません。
いずれまた探訪の機会を得て、さらに調査したいと考えております。
猿ヶ石川を越えて向いの城館跡・鱒沢館
鳴沢館主の佐々木氏・・・鱒沢氏の家臣的立場であった雰囲気も感じられ、鳴沢館は鱒沢館の支城といった意義かあったのか?或いは鱒沢地区も若干の金脈があったと伝えられるので、産金に関わる舘跡なのか?・・・・とにかく資料も皆無に等しく、伝承も同様といったところです。
かつての猿ヶ石川跡
おお~、きれいな帯郭ですね。
頂部の郭もなかなかいい感じに残ってますし・・・。
ここも開発されてしまうんでしょうか?
まだまだいい感じの館がたくさんありますなあ。
次の訪問が楽しみです。
見通しが良くなってますがクマーはまだ起きてるんでしょうね?
遭遇しないようにお祈りしてます・・・ラジオなんかがいいのかなぁ~~~
びゅびゅ~~んん==33、で原住民のクリスマス+忘年会でも・・やっか!
いい感じの舘跡が案外あるもんだと地元ながらも感心しているところです。
大方の有名処は探訪したといった自負はありますが、今後も新たな発見等も含み、じっくりと探訪したいと考えております。
是非に遠野の館跡へ・・・まだまだありますから・・・笑
館跡探訪シーズンインということで、いつもの如く何かにとりつかれたかのように探訪しております。
プーさんとの遭遇はありませんが、可能性も大きいということでほどほどにしたいと考えております。
さっ、忘年会・・・やるすべっ・・来週末辺りは?