源 義家(八幡太郎義家)騎馬像
勿来の関跡にて (福島県いわき市勿来)
北関東のドライブ旅を終えてだいぶ経ちますが、お蔵入りというのもなんですし、早めに探訪記と言いますか、折角訪ねて参りましたのでエントリーしたいと思います。
旅の二日目、わたらせ渓谷鐵道の間藤駅での撮り鉄後、向かった先は福島県白河市、その後は福島県南部地域を横断するようにいわき市へと向かいました。
お立ち寄り先は、白河の関跡と勿来の関跡の奥羽三関跡の二つの古関跡を訪ねることでした。
ちなみに奥羽三古関とは・・・
鼠ヶ関 山形県鶴岡市
白河関 福島県白河市
勿来関 福島県いわき市
白河の関跡
福島県白河市
ここからみちのく・・・奈良時代から平安時代の頃に機能し、関東下野国と奥州陸奥国との境(東山道)に設置されていたようです。
江戸時代の寛政12年(1800)白河藩主の松平定信が文献等を考証した結果、白河神社が建つ場所を以て白河の関跡であると断定したとある。
近代となって発掘調査等が行われ、防御機能、施設を有していた痕跡(土塁、空堀等)が出土したことから国指定史跡となった。
奥州に関わる数々の歴史的事件、逸話に関わりある人物が往来した。
「前九年の役」での八幡太郎義家(源 義家)、「奥州合戦」奥州平泉藤原氏攻めの征討軍を率いた源 頼朝、江戸期の俳人 松尾芭蕉の「奥の細道」・・・多くの歴史的人物等が白河の関を越えて奥州へと向かいました。
古歌碑
白河の関を題材とした和歌三首(平安時代)の歌碑
白川神社
空堀跡
他に土塁も残されており、個人的には古の防御施設跡の方が興味がありましたが滞在時間の関係で多くは見学できずでした・・・ちょっと残念。
白河の関とくれば・・・
甲子園高校野球での東北勢の優勝旗白河越えですね。
東北地方の高校、準優勝はあるも優勝はなかなか出来なくて、北海道勢が先に優勝したりして白河越えならぬ東北一気飛びされたりと悔しい年月がありましたね。
2022年夏の大会(第104回) ついに宮城県代表の仙台育英高校が念願の優勝を果たしたのは記憶に新しいですね。
野球とか普段は観ませんが、この時の試合、決勝戦はテレビで観戦し、勝った際は小躍りして喜びましたよ・・・(笑)
それと戊辰戦争後、「白河以北一山百文」と敗れた東北地方は西軍側に東北の山は一つにつき百文の価値しかないと蔑称されたことですかね。
あとは山本譲二さんが歌った「みちのくひとり旅」でのフレーズ・・・「・・・月の松島 しぐれの白河・・・」ですね・・・(笑)
ということで、実は白河の関跡を訪ねたのは初めてでした。
北関東まで来たので、早めに訪ねたいとは思ってましたが、3年目にしてようやく訪ねることができました。
古関跡のみ少し歩いての滞在時間は約45分でした・・・(;^_^A
勿来の関跡
福島県いわき市
勿来の関跡の謂れ等は下の石碑参照してください。(;^_^A
ちょっと石碑に刻まれた文字薄いかな?
関東の宮
奥州の宮
勿来の関としている場所は現在、勿来の関公園内となっておりますが、あくまでも推定の場所との見解でもありますし、勿来の関そのものが存在したか?こちらも確証がないということらしい。
雰囲気的には古の関跡という雰囲気は抜群でしたがね。
白河の関から棚倉を通っていわき市勿来まで横断、岩手県なら一ノ関から陸前高田に行くような感覚かな?移動距離は約70㎞強か、ナビから道が消えたりして新しい道も走ったらしいですが、なんとか2時間近くかかっての到着でした。
それでも栃木県日光市の間藤駅を11時30分頃出発、宇都宮まで出て東北道で北上し白河まで。
白河の関には13時30分頃到着し、14時30分ちょい前に白河の関を出発して勿来の関公園へは16時過ぎ頃に到着となりました。
勿来の関公園には約30分滞在となりました。
この日、旅の2日目は、いわき市内に宿泊となり翌朝いわきを出発、常磐道、三陸道、釜石道を経て正午頃に帰宅となりました。
まずまずな春の北関東ドライブ旅だったと感じております。
1度見てみたいものです。
甲子園の旗が白河の関を超えたのは感無量でしたね。
白河の関跡。思った以上に歴史を感じさせる佇まいでしたよ。
そして土塁に空堀、中世に設けられた城館跡か?とも考証されているようですが、それでも白河の関の機能として
とどうしても考えてしまいました。
高校野球の優勝旗、白河越え、悲願が達成され小生も感無量でした。
個人的には古いですが三沢高校(青森県)準優勝が惜しい、記憶にありますね。