三峯神社(三峰)
岩手県奥州市衣川区
三峯山、小生が住まいする地区内で隣の集落である上駒木「妻ノ神(しぇのがみ)さいのかみ」の奥に「三峯山」の石碑が耳切牧道脇の斜面に鎮座している。
この石碑の存在を知ったのは平成12年(2000)刊行の郷土本「駒木」そして翌年の平成13年(2001)に刊行された「まつざき歴史がたり」によるものでした。
松崎町駒木 妻ノ神 三峯山碑
安政2年(1855)、村に山犬(ニホンオオカミ)が出て、家畜に危害を加えたり田畑を荒らすので、先人達は三峰神社は「大口真神」狼を使いとする山岳信仰で、狼被害の他、火防、盗難、病災消除を願って三峰山の石碑を建立したと伝えられている。
安政2年 三峯山 村中 と石碑に記されている。
なお、講中で埼玉県秩父市の三峯神社に参り、その記念に石碑を建立したものか?と考察してましたが、安政2年に当時仙台藩(伊達藩)領で現奥州市衣川区の三峯神社から分霊して祀ったとのことらしい。
(分霊については確証はありませんが、参考図書に記載している内容を引用)
以前は祠もあったと云われている。
気にして見ないとその存在すら見落とす石碑ですが、牧道を通る度に少し気になっておりまして、そのうちに謂れとか100年以上前に絶滅したニホンオオカミについてとか、いつか調べてみたいと考えておりましたし、三峯山とは埼玉県秩父市にあるパワースポット、三峯神社であることはネット等で少し調べており、いつかお参りしたいなあと思っておりました。
できるだけ早くお参りしたい、なんなら今春にでもと計画しましたが、当地区にある三峯様は奥州市衣川からと判明したので、まずは衣川からということで、今春の秩父行きは見送りとしました。
話しはニホンオオカミに少しだけ逸れますが・・・
明治38年(1905)Ⅰ月23日、奈良県吉野郡小川村(東吉野村)でオスのニホンオオカミが捕獲されたのが日本での最後の個体であると云われており、ニホンオオカミは絶滅したとされております。
ちなみに岩手県では明治14年(1881)にメスが捕獲され、東京大学農学部にその標本が存在するとか。
当地区の三峯山の石碑があるとおり明治初期までは狼が生息しており、耳切山中には狼一家が住んでいた洞「狼洞(おいぬ)」の地名が残されている。
また、遠野士族(盛岡藩遠野南部家臣)山名 宗真(やまなそうしん)は、有志を募って明治5年(1872)頃に下閉伊郡小国(現宮古市小国)の白見山麓に牧場を設け牛馬40余頭を飼育するもニホンオオカミの度重なる襲撃を受け、牧場経営は頓挫したとある。
なので狼は岩手県はもちろん、遠野近辺でも確実に、そして多数の狼が明治10年頃までは生息していたということになりますね。
奥州市衣川区 三峯神社
こちらは享保元年(1716)3月、埼玉県秩父市 三峯神社からの分霊勧進
祭神
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
大口眞神(オオクチノマカミ)
神社は東北道の直ぐ脇の小高い場所にありますが、さらに奥宮というかお社があるらしい?
時間はさほどかからない雰囲気も、狭く急傾斜の階段を登って行く雰囲気で途中まで行くも胸が苦しくなってくるし、何よりも怖い(高さ)ということで戻って来てしまいました。
(^_^;)
この界隈は「前九年の役」関連の史跡が点在しており、興味ある場所でもありました。
神社から約500m南に進むと・・・
東北自動車道平泉前沢ICから一ノ関方面へ向かい直ぐに緩やかなカーブがありますが(カーブの先はトンネル)道路脇に「衣川古戦場跡」の看板があります。
その下、高速道の脇に衣川関跡があります。
見える山伝は平泉、中尊寺方面ですかね?
こちらもそそられる場所でありました。
古い話しですが、大河ドラマ「炎立つ」のテーマソングがリピートしてました。
(;^_^A
写真は山形蔵王で撮りました。3月初旬だったと思います。
春になり蔵王エコーラインの閉鎖が解けると雪の回廊を車で走れます。
山間部はまだまだ冬ですね。
コメントありがとうございました。
そうですか蔵王でしたか。
樹氷とか有名ですから納得の画像でもありますね。
こちらでの八幡平と同じで雪の回廊、いつか走ってみたいです。
同じようなことを思った方が、ちゃんと調べていたようで、その方のブログに載っていました。田口鉄蔵家は角館では有名な家のようです。
実は何故に角館関連の人物が掲載されているのか?少しは気にはなってましたが、調べるまでには至らずでした。
佐竹藩の人が伊達藩での三峯信仰、これから調べたいと思います。
いずれお知らせありがとうございました。
今回はあくまでも小生の暮らす遠野での三峯様関係でしたので、ほとんど気にも留めないことでした。
(;^_^A