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「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

下村今昔

2006-12-10 18:39:21 | 遠野
 薄っすらと雪化粧、日中は青空ものぞいたが時折白いものもチラつく、こんなあやふやな天候では恒例の城舘跡めぐりの気もおきない、明番ということもあって寝て曜日(日曜日)を決め込むも、それでもなんかもったいない気もして、本編サイトの更新を行い、アップいたしました。


 さて、下村(したむら)とは私の住む松崎町駒木の下駒木集落の一部を指す呼称でがんす。
 私の住む辺りは通称「あすじゃ」(あしざわ)といいまして、下駒木のひとつの班を構成している地域、「あすじゃ」からみれば下のということで下村と呼び、こちらも同集落のもうひとつの班を構成している地域でがんすちゃ・・。

下掘合(したほれ)界隈


 その昔、阿曽沼一族が遠野に来た際に最初に仮屋敷を置いたところで、この界隈のお宅の先祖は新領主に貢献、後に堀が落ち合う場所に家があったため屋号堀合とし、その下方に分家を出したとのことで分家は下堀合という・・・。

 といっても、現在の下堀合の家々は堀合の上方にあって、阿曽沼仮屋敷があったとされる場所に家がある。

 私の子供の頃とはほとんど雰囲気は変わりませんが、画像左に堆肥が積まれておりますが、以前は一段低い場所で水田、脇には水を溜めた竪穴みたいなものがあって、冬は氷が張って、幼馴染達と氷割をいたしやした。

大沢川


 仮屋敷があった頃は天然の堀の役目があったとか、私の子供の頃は自然の流れで、この界隈で一番変わった風景かもしれません。
 川はコンクリートで固められてしまいました。


旧警察官駐在所・教員住宅

個人の御宅でもありますから、画像に加工しております。

 私が小学校高学年の頃までは駐在所があり、警察官1名が居りました。
 家族で赴任といったことではなく、単身赴任者が主だったようですが、週末に家族がやって来て、私と同年代の娘さんが時折来ては、遊んだ記憶がございますが、名前も顔も忘れてしまった・・・・汗

 また画像の建物はかつては教員住宅で、駒木小学校関係者が住まいしておりました。
 
 赤い屋根の建物の道路沿いには木造の大きな火の見櫓がありましたが、いつ頃まであったかは記憶がございません。


 おまけ・・・

 大根城の師走


 流石大根城、漬物用の大根があります。




 絵も大根です・・・笑・・・ついでに家紋も手書きというのがいい感じ・・・笑
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2 コメント

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Unknown (about)
2006-12-11 14:16:16
こんにちは。
どうにも「おまけ」のほうが気になってしまいました。昨日の夕食に「ほすぱずる」(干し葉汁?)だったもので(笑)。しかも干してある大根の下、「ねご」はアルミとFRP製の超軽量タイプと見ました。左の小さなガスボンベ(ミニクック)はジンギスカンを…済みません…気になって仕方がありません。

>大沢川
普通に用水路と化しているのですね。自然な流れの頃には「じゃっこぼい」などできたのではと想像します。今でもやってできなくはなさそうですが「じゃっこ」どころか「ドジョウ」、「イモリ」さえ入らなそうです。それ以前に、この時代に「じゃっこぼい」なんてやる人はいないですよね(笑)。
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じゃっこおせ (とらねこ)
2006-12-11 17:29:37
aboutさん
親戚の御宅ですから、ジンギスカンをしたかは不明です・・・笑

少年時代は「じゃっこおせ」をいたしました。
ザルと足で・・・岩魚なんかがよく捕れましたよ。
大沢川全体が河川工事等が入って以前の姿はみられませんが、それでも上流の方は少しだけその面影がみられ、岩魚もいるようです。

ただ、コンクリートに固められても稀に大きな山女や岩魚をみることもあるそうで、別ですが関東方面で生活している従兄弟は帰省の際にこんなコンクリートの川で岩魚捕りなんかをしております。
ですが昔取った杵柄、結構「おしぇでます」・・・段差のある落ち込みとか、自然に生えてきた水草の脇とかにいるみたいです。
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