「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

遠野高清水山

2008-05-16 15:35:40 | 遠野
 本日は休みとなっておりましたが、急遽のお呼び出し・・・。
 
 笛吹童子氏ではないが、熊でも飛び出したらデジカメに収めようと思い、カメラを車載して職場に向う・・・。

 ちょうど白岩辺りの水田、無風の状態でしかも水鏡のようになっておりましたので、数枚をパシャリ・・・。




逆さ高清水



 天気も上々、水田のほとんどに水が入れられている、これは高清水からの眺めも最高に違いないと判断、職場での用向きを終えて一路高清水へ・・・・。



土淵、松崎方面



光興寺、白岩方面



市街地方面



真下の光興寺付近



 昨年同様、休耕田が目に付くも、まだ水がひかれていない田圃も若干見られ、土日にはほぼ水が入った状態となりそうです。



 高清水展望台からの帰りは綾織側へ降りようか・・・途中では岩手山も見えるはずと思いながらも、何故か来た道を走っていた・・・汗

 丁度、べご(牛)がいたのでこちらでも数枚パシャリ・・・。







 来た道を戻って来てしまいましたが、例の場所も・・・・と思い直して・・・・。




 若干の風もありましたが、水が入れられ流れている状態・・・お堂を映し込む水鏡な風景は残念ながら次のチャンスのブロガーへ・・・・笑


 若干霞んではいますが、天気は上々・・・・。

青笹から・・・早池峰山
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景観遺産「ミラーネーズ」

2008-05-15 20:11:34 | 遠野
 誰が呼んだか「ミラーネーズ」・・・笑
 水田に水が入り、田植直後までの短い期間ですが、高清水や高所から見た遠野盆地は、水田が鏡のように光輝き、言い伝えの如く、太古の遠野は湖水の中・・・これらを実感できる光景が広がります。

 無論、高所でなくても、田園風景の中に溶け込むミラーネーズが随所で楽しむことができます。








 ここ数日、天候がイマイチでしたが、明日(金)から週末は晴れて過しやすいとか?ミラーネーズな風景の取材にはもってこいかもしれません。


 でんでら野


 長らく「でんでら野」は姥捨山と認識されてきたが、最近は地域の老人コミュニティ、昔版老人ホーム的な場所であり、日中は家族と共に野良仕事、夕方にでんでら野に帰って同じ境遇の仲間達と共同生活をしたところ、映画楢山節考的な悲壮感は伝わってこないとされる。




 地域の方々によって「でんでら野」はある程度整備され、イメージとしての建物も建設されている。


 果して真実はいかに、土淵郷土研究家アバウト先生の調査研究を期待したいですね・・・笑



 我家の庭も少し賑やか、艶やかになってきた。
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妄想遠野史・壱

2008-05-13 20:57:51 | 遠野史阿曽沼時代
 時折、遠野阿曾沼時代の通説を妄想交じりで考察して参りたいと思います。

 第一回は、「横田城」


 その前に、昨夜もジンギスカン。


 同僚達と少し遅い花見の宴
 街場の○まんにて



 こちらも遠野を代表するジンギスカンの名店、やはり美味かった。


 ジンギスカンの後は・・・・。



 アニメソングも少し新しいものを開拓しなければならないようだっ・・・笑


 翌日(13日)・・・


 午後から雲がさらに多くなり小雨もポツポツと・・・天候の回復は木曜日以降の予報とか。





◆妄想遠野史・・・横田城(護摩堂館)序章

 横田城址のある山野・・・松崎町光興寺



阿曽沼興廃記には・・・
 奥州平泉藤原氏征討の功により阿曽沼広綱は遠野郷を給され文治5年(1189)に築城とある。

阿曽沼家乗には・・・
 広綱の子、親綱が建保年間(1213~19)に築いて移住したとある。


 しかしながら築城年代も含めてこの時代の遠野における阿曽沼氏に関しては判然としていないが、伝承等含めて、最初は踊鹿山(八幡)を見出したが水の便が悪く、鶴音山麓の光興寺の護摩堂に築城したと伝えられている。
 城の背後の山は鶴音山と称されたが、清水が湧き出るところから高清水山と後に称されるなったとのこと。

 前面に猿ヶ石川が流れ天然の堀と成し、背後は鶴音山が控え、まさに要害といった場所柄でもあったと史家達は見解を残している。


 鎌倉時代、近年の見解では代官宇夫方氏を以って遠野を遠隔統治していたという説が主流となっており、私もその説を一応に支持はしているが、代官宇夫方氏は下駒木に仮館を築いて当初の遠野統治の拠点としたとされ、後に下向した宗家親綱と共に横田城を築いて本格的統治が始まったかのような通説になっている。

 遠野の中世期に築かれただろう館跡を探訪調査しているが、空掘やら土塁、段差のある平場をみても横田城は、室町期後半から戦国期にかけて築かれたと考察される他の山城とその基本的な構えは大差は感じられない。

 駒木にあったと云われる阿曽沼館、そして宇夫方氏が鎌倉期に築いたとされる綾織の谷地館は、平城の類で鎌倉武士団特有の館の構えであると考察しておりますので、横田城は後の時代の築、これでおそらく間違いないものと考えております。

 この続きは弐として、代官宇夫方氏の下向、阿曽沼氏の動向として詳しく見解を示したいと考えております。


主郭部分に建つ薬師堂


 



 
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正史と野史

2008-05-12 15:06:44 | 歴史・民俗
 2年前の拙ブログの5月のエントリーを読み返してみると、5月1日に福泉寺の桜がようやく咲き出し、4日に大観音堂が満開を迎え、10日過ぎでもまだ桜が残っていたようでもあります。

 今年は、それなりに冬の冷え込みやら積雪もあったのですが、それでも例年より1週間早く桜が咲きだし、今は新緑の季節となっている。

福泉寺庫裏付近


 ひょっとして僅かに桜の花が残る木々があるのか?なんて思い、一番最後の方に満開を迎えた木を覗くも・・・・。


 葉桜ですな・・・笑

 地面には

 まだ散った花弁は確認できる。


 我家では、芝桜が見頃となっておりますが、除草剤の影響か、だいぶその範囲が減っております・・・汗


 珍しいかどうかはわかりませんが、紫色のものが僅かですがあります。


 こちらは白とピンク。




 さて、数年前の上京の際に都内在住で歴史仲間であるI氏から、とある資料のコピーをいただいたことがありました。
 後に小生もその存在を知ることになりましたが、平成4年3月刊行、遠野市博物館より出された「遠野郷史料・第3集・阿曾沼家乗」の口語訳されたものです。

 遠野士族、宇夫方文吾(旧遠野南部家士)によって著された内容ですが、通説である遠野阿曾沼氏に関する大よその概要が記されている。



 この訳文をされた学者の先生による見解が後尾に記されていたが、これがかなりの説得力と共に驚愕した記憶があって、今もなお気になる内容でもある。

 ○阿曾沼と浅沼は同意義にあらず

 奥州閉伊郡遠野横田の城主は、俵藤太秀郷の後胤、奥州阿曾沼郡の領主、阿曾沼四郎広綱「後称民部尉氏を浅沼と云」・・・(阿曾沼興廃記)

 阿曾沼氏出於鎮守府将軍藤原秀郷九世孫足利有綱、有綱有二子・・・・・次広綱四郎後改民部丞・属頼朝・居武蔵国・元暦元年9月・頼朝令範頼討平氏・広綱従有功陸食陸奥国阿曾沼郡因氏焉・・・(阿曾沼家乗)

 広綱の先祖は俵藤太(藤原広郷)で、父は足利有綱、平氏追討の戦功で陸奥国阿曾沼郡へ食封となった・・・。

 阿曾沼氏は下野国内(栃木県佐野市)の出と解釈され、安蘇郡安蘇沼郷という地名があったことから、阿蘇沼の充字として阿曽沼とし、さらに広綱は吾妻鏡にも登場する武士で、浅沼四郎広綱を以ってして阿曽沼四郎広綱と同一人物に世の史家達は判断、現佐野市内に浅沼という地名が存在したこともあり、安蘇沼郡の浅沼が合成されて阿曽沼が創出されたという見解である。
 これは全く古書編纂に関る妄想に他ならないという見解でもある。

 かいつまんで詳細に記することは慎みますが、古文書の訳文からすればなるほどといわざるを得ない説得力があり、またよく調べている雰囲気も感じられる。

 さらに陸奥国阿曽沼郡、此処は何処であったのか?福島県の阿沼郡(会津)にその地名があったと記されていますが、阿曽沼という地名が存在するのかは未確認ですが、福島が発祥ではないのかと?結論付けがなされている。


 確かに遠野における阿曾沼氏に関しては、謎の部分が多く、その事績、歴代もしかりで、不明な点が多いのも確かでもあります。

 昨年から遠野阿曾沼氏に関しての考察を本格的に取り組む予定でしたが、目論見通りにはいかず、まだ2割程度の妄想考察をしたに過ぎません。

 今回取り上げた訳文からの見解も大きく立ちはだかる内容でもあって、かなり難儀しており、正直言えば放置している状態かもしれません・・・汗

 ただ、遠野南部家文書にての建武元年「遠野保の事・・・」ここに阿曽沼氏が出てくること、下野権守代朝綱朝兼という記述されるように下野国との関連性は極めて高いこと、遠野は阿曽沼氏と関わりがあったことは史実・・・等・・・これらも踏まえてもかなりの難題であると判断しております。


 早池峰山


 太古の昔から遠野を見つめてきた早池峰山をはじめ遠野の神々が棲む山河だけが、知っているものかもしれません・・・・。


 盛岡在住で作家の高橋克彦氏と中央で活躍される作家の井沢元彦氏とのトーク番組を偶然に観ましたが、興味深い論説に中央が認めた、国が認めた歴史は「正史」という、その異説やら伝承等を基にするもかなりの確証を含んでいてもその歴史を「野史」という・・・。

 中央なり高い場所から認められなければならないというもどかしさと、さらに共鳴できる話として、地方の郷土史家といわれる人達は何十年もかけて資料や伝承を採取、その地域の歴史発掘に多大な功績が認められる存在であるも、行政などには十分な評価も受けられず、自費出版という形でその研究の集大成を世に送る等、かなり冷遇されている現実があると・・・・・。

 今の世はブログをはじめとするインターネットでの公開もでき、そういった意味では自己研究の成果を配信もできますが、それでも高い位置からみたものが正史或いは史実という世の流れは相変わらずであると思います。

 無論、私はまだまだ力不足、知識不足でありますが、せめて「野史」といわれても高い精度の場面まではいつかは到達したいが本音ではありますが、我妄想もいよいよ冴え渡り・・・に至るものなのか?、さらにさらに精進しなければと思うところです・・・汗
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館跡めぐりと熊公

2008-05-10 20:20:16 | 思いで
 結局、この春の季節の館跡めぐりは再訪も含めて4箇所に留まりました。
 例年より1週間~10日は早い新緑の季節、山野の下草が伸びる時期を一応の目安にこの季節の館跡探訪は終了と決めているので、不本意ながらも晩秋、初冬の頃の再開まで休止となります。

 2月の厳冬時期、比較的温暖な住田町の上有住城の探訪を皮切りに、幾らか沿岸地域の城館の探訪も予定しておりこの方面での数も少しは伸びるかなと考えておりましたが、結局実施に至らず。

 3月には雪融けも進み、天候も安定していたにも関らず結局探訪は未実施。
 ようやく4月となって附馬牛町の火渡館の再訪をきっかけに本格始動といった現状でもありました。


火渡館の遺構





 そして、数年前からの懸案であった上郷町の内城館とは何処であったのか?この謎解きが再燃し、本姓を菊池氏と伝えられ内城氏関連として菊池一族の小友町新谷館の探訪を実施。

新谷館跡




 4月となってからまずまずの内容でありましたが、内城館跡として全く確信がなかったのですが、細越の糠森館跡が怪しいのではないのか、そんな思いから未踏でありましたが、なんとか糠森館跡を探し当て、探訪いたしました。

糠森館


 さて、ここからが本題なのですが、この糠森館跡探しでは山野を間違えてかなり難儀いたしましたが、背丈以上の笹竹が茂る場所では、獣が通っただろう跡を随所に見、さらに獣臭いのなんの・・・汗。

 落ちていた毛では、おそらく鹿の類ではありましたが、何処か熊の雰囲気も感じられ、内心はビクビクでもありました。
 その翌日、私が探訪した山野を同じにする反対側の麓の集落、岩崎地区に熊が出没との情報、やはり私が徘徊していた近くに熊はいたのだと思うと、安堵したのと同時に血の気がひく思いでもありました。
 よって、この糠森館跡探訪から地元の城館探訪は全くしておらず、八戸の藤九郎さんと住田の上有住城を連休中に訪ねただけで今季は終了となったことになります。


 
 
 2003年11月末

 本格的に館跡探訪を始めた年、まだ10箇所程度の探訪経験しかなかった当時、地元も地元、身近な館跡の調べで某所を訪れました。
 
 県道が館跡のある山野の下を走っており、入りやすい山野でもありました。



 小路を進んでいると、前方左手に背丈程の笹薮が密集しているところがありましたが、突然、笹竹が「ガサガサ・・」という音と共に奥の方へ順に倒れていく・・・汗・・・脳裏には熊公に違いないと浮かぶも、そこで足がすくんでしまい身体が固まったような状態、普通ならここで奇声のひとつも出そうなところであるが、実は声も出なかった・・・汗。

 数秒後、前方に黒い塊が「ドサッ」と落ちるように現れた。
 そのまま、こちらを見るでもなく、一目散に奥の斜面を丸くなって駆け上がっていく・・・遠野では慌てふためいて逃げる様を表す際に「丸くなって・・・」という場合がありますが、まさにこの言葉通り、この時点でも動くことは叶わず・・・汗。

 大きさは犬・・・犬といっても色んな種類もありますから、表現のしようがありませんが、中型犬くらいですかね、大きいとは思いませんでしたが、その黒い塊が見えなくなった頃に身体が元に戻り・・・不本意ながら「ギャー」だか「あ゛~」だか忘れましたが、奇声を発しながら着た道を走ってました・・・笑

 


 この日の夕方、やはりこの山野の下、小烏瀬川を挟んだ小学校近くに熊が出没したとの情報が流れてました。

 この時は、向うから逃げてくれたので助かったものなのか?運が良かったかもしれませんが、この後の館跡探訪、複数回の探訪も含めて山野徘徊は150回近くになっておりますが、熊公との遭遇は無い。

 私の場合は単独での探訪が主でもあり、今後はさらに熊対策もしっかりとしなければならないと思っているところです。
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虫食い、ガックし・・涙

2008-05-08 19:27:19 | その他
 年に一度か二度の盛岡出張。



 研修会に出席、このような場合は普段着ることが滅多にないスーツを着て出かけますが、一昨年に某大手紳士服チェーンにて、既製品の少しだけいいやつを購入しておりましたが、今回で5度目の着用、4月はじめに一度職場の歓送迎会で着用したきり、ワイシャツはクリーニングに出したが、スーツそのものはそのまま掛けておきました・・・。

 少し飼猫のネネの毛が付いていたので、ローラーを転がしていると・・・・・




あれっ


ありゃ・・・汗 


 背中に穴が・・・・涙

 研修会で後ろの席の人に気付かれる・・・恥しい・・・汗


 10年前に買った古いスーツがあるけど、これは腰の辺りに煙草火をこぼして焦がしている、さらに特別な場合に着る薄紫色のスーツがあるけど、これは派手すぎて研修の場では浮いてしまう・・・汗

 仕方ないので、まずは背の穴を気にしながらも、準備していたスーツで行くしかないと腹を決めて出かけてまいりました。

 幸、席は一番後ろで少しだけ安心・・・。


 研修を終えて遠野へ帰還、帰宅すると黄昏時だった。





 ネネがお出迎え



 こちらは、2月にストーブで焦がした部分がまだ消えず・・・笑

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夜の宴

2008-05-07 18:02:06 | 遠野
 2日、恒例となっております八戸の藤九郎さんをお迎えしての「遠野郷館めぐり春の陣」、今回は3日が仕事であったために5月2日の一日のみのお付合いとなってしまいましたが、遠野名物ジンギスカンにて夜の宴を催しました。


青森ブロガー式の乾杯から・・・笑


 街場でのジンギスカンを予定しておりましたが、街中のジンギスカンハウス○まんは予約でテーブルが一杯、予約をしなくても2~3名程度なら席はあると考えていたが、考えが甘かった・・・。

 そこで、パイパスの遠野○○センターへ移動。
 こちらも結構賑わっていたが、なんとか我々が座る席も空いていて、ようやくジンギスカンにありつけたかという心境・・・。

 まずは生ビール、そしてジンギスカン単品3人前をチョイス。






 遠野人にはジンギスカンへのこだわりがある方々も多いと思いますが、まずは何処の肉を食べるか、これにも各家庭やら個人にも贔屓があるようです。
 私は基本的には何処の肉といったこだわりはありませんが、肉の焼き方、食べ方に少しだけこだわりがあります。

 まずは表面を軽く焼く(赤みが消える程度)
 次に裏返しにして、焦げ目ができるほどしっかりと焼く・・・・。

 美味しい食べ方として半生が美味しいと人はいいますが、私が丹念に焼いている傍から次々とまだ焦げ目が付かない肉が消えていくといったことが、ジンギスカンを囲んでの飲会で結構あります。
 くずぐすしていると目の前の肉が食べられてしまうという憂き目に遭いますが、カリッとした食感が大好きなんですよね。
 ですからホットプレートでのジンギスカンは美味しいとは思いません。



 こんな感じで裏面はさらにしっかりと焼く・・・・笑


 焼奉行ということで、藤九郎さんには当方のペースで肉を食べていただきました・・・笑


 その後、二人前追加、さらに中辛のタレから辛口のタレに変更。

 そこへ遠野ぶれんど代表のromiさんが合流、さらに二人前追加。

 なかなか藤九郎さんの遠野入りにメンバーが揃って迎撃という体制が取れない現状がありましたが、なんとか代表との顔合わせが出来て安堵しているところです。
 今後の八戸ブロガーとの交流やら、時間はまだかかりそうですが、それでも双方の地域を代表するブロガーの対面で具体的に事は進みそうな雰囲気を感じました。

 まずは当方がその先鋒となって八戸へ定期に通いたいと思ってます。


 閉店時間を告げられ一次会は終了、romiさんは別会場の宴席へ移動、我々2人でいつもの親不孝のお店に入りました。




 藤九郎さんも何度か遠野に来られた際は、このお店に顔を出しており、ママさんにも知られる存在となっております。

 ジンギスカンの食べすぎで、〆のラーメンは食べれず、三次会は中止にして、今回の宴はこれで終了となりました。

 次の遠野での宴席は晩秋か初冬の頃か?いずれまたお待ちしておりますので、いつでもお越しください。
 この度はご苦労様でした。


 昼過ぎにご案内した法門山福泉寺中腹の桜




 おまけ

 4日開催のぶれんどから


何度目かの乾杯・・・やはり青森ブロガー式・・・笑


取材を逆取材




遠野ぶれんどのあいどるドロン如ちゃん・・・カラオケ中・・・笑

凄くかわいいお顔ですが、あまりシツコイ親父は正拳突を食らいますよ・・・汗

 


 そして宴の中で一番盛り上がった「王様・深紫伝説」・・・
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地元堪能

2008-05-05 20:45:40 | 遠野
 世間でいう黄金週間後半、仕事柄飛石的な休みとなっておりますが、嫁さんは連休中仕事、帰省中の長女は友達?と、ほっつき歩いて家には寄り付かず、下2人の子供達は学校のクラブ、行楽地の賑わいやら交通渋滞には無縁な連休を過しておりますが、そんな中、二日間にわたって地元でのお祭り的行事を堪能いたしました。


◆5月4日・・・南部神社例大祭(遠野さくら祭り郷土芸能共演会)



 遠野さくら祭りでのメインイベント3日開催の「遠野南部氏入部行列」は勤務の為、参加、見学共に叶わず・・・・。
 
 明番となった4日に南部神社境内で繰り広げられる郷土芸能共演会を楽しみました。
 目当ては気仙郡住田町の五葉山火縄銃鉄砲隊でしたが、5団体目に登場のはずの鉄砲隊が火薬調整等に不都合が発生したとかで?最後の登場となり、結局最後まで共演会を観てしまった・・・ホントは火縄銃鉄砲隊を観たら帰ろうと考えておりました。

 参加団体は・・・
 細越しし踊り(遠野市上郷町)・飯豊神楽(遠野市土淵町)・城山虎舞(大槌町)
 鷹鳥屋しし踊り(遠野市小友町)・長野しし踊り(遠野市小友町)・・・そして五葉山火縄銃鉄砲隊(住田町)


城山虎舞(大槌町)


 虎舞とは見映えだけであまり面白いという印象が薄かったのですが、今回の城山虎舞をみて、その思いは払拭されました。
 軽快なテンポ、威勢のよい掛声、虎の激しい動き、何よりも太鼓や笛の心地良い響きに圧倒された思いです。

 大槌町の城山ということで、遠野阿曾沼支族大槌氏縁の何かがあるのではと勝手に思ってましたが、平成になってから釜石の虎舞を習い覚えたものらしい・・・。




 最後の登場、五葉山火縄銃鉄砲隊


 江戸藩政期、南部藩にとっては隣国で最も警戒すべき伊達藩、その伊達藩と南で接する遠野は軍事上の最重要拠点であり、八戸根城の八戸氏を遠野へ移して、その守りの要とした遠野鍋倉城ですが、まさか平成の世になって伊達家の甲冑武者が牙城鍋倉城に竹に雀の旗を掲げて来るとは遠野南部家歴代公も思っても見ないことかもしれません。
 ましてや轟音けたたましい鉄砲を放つとは・・・・笑







 轟音の後は、まさに硝煙煙る神社境内・・・迫力があり、説明にあったとおり、自らの邪念を撃つ弾を放つ成り・・・・小生の邪念が吹っ飛んだかどうかはわかりませんが、少し気分はスカッとした思いです。



◆5月5日・・・遠野郷八幡宮馬場

 子供流鏑馬

 子供流鏑馬関連の詳細は後日エントリーの予定です。






 東京や釜石からの参加者や女の子も3名参加。
 一人9射の内、8射を的中させた子供もいて、なかなかすばらしかったです。

 遠野通い人さんお2人、ぶれんど幹部2名、私と併せて5名で見学いたしました。


 お見事・・・「よう射たりや~」



 こちらはスポーツ流鏑馬遠野馬の里大会のポスター





 

◆遠野ぶれんど 
 
 さて、4日夜に遠野ぶれんど関東支部メンバー来遠に併せた花見会を兼ねた懇親会を開催いたしました。

 今回は加工画像は無し・・・。

 まずは乾杯・・・参加表明のメンバーが全員揃うまで何度乾杯したのだろう・・・笑

 
 青森ブロガー方式・・・笑



ぶれんど関東支部・・・山猫さん、ひろゆさん、ゆーくん
ぶれんど東北支部・・・たま千代さん
romiさん、ゴンゲン様、宝飯爺さん、笛吹童子さん、アバウトさん、一如さん
、ドロン如さん、楽夢音屋さん、hanaさん、numakoさん、座敷親父さん、とらねこ・・・・16名の参加となりました。

 ご多忙中のところ、ありがとうございました。
 今回ご参加できませんでした主メンバーの方々もおられますが、次回のご参加よろしくお願いします。





 会場を親不孝の「天馬」を貸切、一次会、二次会込みで開宴いたしました。
 21時30分まではカラオケ禁止といたしましたが、21時の声を待たずに解禁となり、二次会に突入、一気に皆さん弾けたようでした・・・笑


 三人組復活



 盛り上がりの裏では・・・・汗



 こちらも負けじと・・・大汗

 エヴァな2人の再会・・・思わずといったところでしょうか?・・・笑



 妖怪睡魔君退散・・・悪霊退散の願が込められた「へいたん」効果か、睡魔君の降臨は今回はなかった。

 でも画像みると隣の人からナニを抜いたような変な画像ですね・・・笑



そしてさらに負けじと・・・・。


 男は間違いなくピンク系のシャツの親父ですよ・・・じゃ、女性は・・・・?



 宴もたけなわ・・・・親父の歌っこ大会的流れでしたが、準備いただいた料理の最後を飾った「ひっつみ」



 「んめがった、おもしぇがった」この言葉に尽きます。

 皆さん、また次回よろしくお願いします。
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ノモー是、カタロウ是

2008-05-04 09:34:39 | 遠野
 5月4日 午後6時30分 開宴
 親不孝通「天馬」

 期待以上のご参加の表明ありがとうございます。
 サプライズゲストも途中参加予定で、昨年の遠野ブログ画像展中日の懇親会以上(15名)を上回る賑やかな宴となりそうです。

 なお、ママさん自慢の遠野ひっつみ、オードブル、鰹のタタキ、漬物、フルーツ盛り合わせを準備とのことですが、皆さんからの持込も大歓迎ですので、特に旬の山菜料理等ございましたら、どうぞお振る舞い願います。

 カラオケは21時30分まで禁止とさせていただきますので、前半はカタロウ是でよろしくお願いします。
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花見の宴

2008-05-02 23:27:55 | 遠野
○遠野ぶれんど(遠野ブロガー・コメンティーター)各位

 5月4日の関東支部メンバー迎撃花見会のお知らせ

 日時 平成20年5月4日(日)午後6時30分
 場所 親不孝・・・「天馬」

 ※天馬を24時まで貸切といたしました。
 三陸海の幸、遠野地鶏、遠野牛・・・野菜各種、居酒屋並の料理にて貸切予約といたしましたので万障繰り合わせの上のご参加くださいますようよろしくお願い申し上げます。

 当然、一次会、二次会となりますので、こちらもお含みおき願います。

 ご参加の有無をコメント願います。

 遠野ブロガー諸氏でも自ブログで告知願います。

 以上・・・とらねこ

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