父の寝ていた部分がすっぽりと抜けて空洞になっている。この布団の有様も私には不思議な気がした。
私はその空洞を覗き込んで見た。当然の如くそこに父はいなかった。これは、トンネルの様だなぁと思いながら、私は面白可笑しく布団のアーチに自分の頭を突っ込んでみる。中は柔らかな布団で出来た隙間なのに、なんと崩れずに私が潜り込めるでは無いか。ふふふ、面白い。…。
と、目の前に布団がある。よく見るとこれは父の布団では無いか。掛け布団だ。そう気付いた私が布団の上方に目を向けると、そこには父の顎が、唇が、鼻の穴が…。相変わらず私の布団の横に父の布団が有り、そこに父は横になった儘眠っていた。否、父の顔が先程とは違って見える。先程は無表情で何の感情も無い様な顔付きだった彼の顔だが、今の顔は苦しそうに見える。不愉快そうで、気難しい表情を呈している。私は父の表情の変化が気になって、そっと彼に声を掛けてみる事にした。
「お父さん。」
「何だい。」父が目を閉じたまま不愛想に返事をして来た。あれれと私は思った。「お父さん、さっき布団に居なかったでしょう。」。今し方の事だと私が言うと、父は目を閉じたままで今し方?と、不思議そうに声を発した。
そうだ、居なかったと私が言うと、父は漸く目を開けて私の方をちらりと見た。そんな父の顔は未だ上を向いた儘だった。何処へ行っていたのか、また、いつ戻ったのか、私は全然気付かなかったと不満気に尋ねると、父は漸く私の方へ顔を向けてじいっと私の顔を見詰めた。
父が詳しく話してくれと私に言うので、私は自分が昼寝を始めた所から、父の布団のトンネルに潜った所迄を簡略に話した。すると、「潜った?」と父は私の言葉を繰り返し、ははあぁんと言った。
「お前夢を見ていたんだろう。」
それはお前の夢だなと父は断定的に言った。
しかし相変わらず寝入った覚えがない私は、夢では無い、私は寝てなどい無いと父に訴えた。それなら私に寝た覚えがある筈だと。
「寝ていないのにそんなトンネルの夢など…。」
父は言葉を切った。ははぁんと、彼は何かに思い当たった様で、不思議の国の何とかじゃあるまいし、とぶつぶつ言い出した。
母さんが昔話に自分達に話してくれた話みたいな事を…、それも相当昔の話だ。等々、父は呟きながら、ふうっと息をついた。
「解せないなぁ。」
と彼は言う。
あの話は、あれは知らないはずだから。父はそう言って考え込んでいたが、自分もお前には話していないし、母さんも孫のお前に迄は話していないだろう。他の孫達の誰からもあの話を母さんから聞いたと聞いた事無いしな。父はそう独り言の様に言うと布団に置き上がった。
父は私に向かって言った。
「お前、アリスとかいう女の子の話を聞いた事が有るかい。」
父は私に確認している様だ。勿論、そんな名前の女の子の事等私は知らなかった。
「ありす?。」誰それ?、女の子?、変わった名前だね。女の子なの?。女の子の友達などいない私には、父の言う事がさっぱり意味不明に思えた。何の事だろうと考え込んだ。
父はそんな私の顔をじいーっと窺っていたが、不審そうな感じでふうぅんと言うと立ち上がり、掛け布団を片し出した。私に背を向けるとお前もかと呟く。彼は手足を使って布団を四つ折りにすると敷布団の隅に片付けた。そして心の準備を整えたらしい彼は敷布団に座わり込んで胡坐を搔いた。はあぁと一息ついて、彼は心得たという様な、それで、という様な微笑を浮かべて口を一文字に閉じると私に対した。
「こういう様な事が間々有ってな。」
昔からだと父は言った。
いつの間にかこうやって、こんな風に四角四面に敷かれた布団にきちんと収まっている事が自分には有るのだ。「まっ、間々だがな。」と彼は私に繰り返した。続けて、彼にはその方が不思議なのだと言う。私が彼に対して抱いた疑問には答えてくれなかった。
そんな父の様子に、私には私の不思議な問題があるのに、父の不思議に思う問題迄私が考えられる訳が無いと父に訴えた。私の方が彼の子供なのだから、父である彼が私の問題を解決する方が先だろう、また、私の疑問は父の事だから、父自身がきちんと答えられる問題だと訴えると、彼はぽかんと口を開けて私を見詰めた。そして寂しそうに私から視線を外すと、
「人情味の無い奴だ。」
と溜息を吐いた。