この日1つ目の訪問先のお店から退散して、私は往来に佇んだ。私は散歩の出鼻をくじかれた感じで、朝早々からやや肝が冷えた感じを覚えた。大人なら験が悪いと家に引き返す所だ。私も1度はこの儘家に帰ろうかと思ったが、気分直しに別の所を回ろうと考えた。今家を出て来た所だから嫌な気分の儘家に帰りたくないと考えたのだ。そこでここのお店なら前のお店より自分に丁寧だろうと思い、何時も上品な受け答えをしてもらえる奥さんのいるお店、通りの角に在るお店にやって来た。
「おはようございます。」
今度は前以て自分の方から挨拶の声掛けをした。私は最初の店で挨拶し損ねたのに懲りて、2度目のお店ではこちらから先に挨拶する事にしたのだ。私にすると習慣にしていた決まり文句の朝夕の挨拶が無いのは、妙に歯切れが悪い気がしていた。私は入口の扉を開いて、お店の人の姿を見た途端直ぐにこの声を掛けた。
そんな私に、ご主人が1番に話し掛けて来た。何時もは奥さんの方が挨拶して来るのだが、勿論、時折ご主人も声を掛けて来てくれたが、奥さんの回数の比では無かった。私はご主人の方が話掛けて来たのが意外だった。何となくここのお店も何時もと違うのではないか、私は嫌な予感がした。
奥さんはというと、にこやかに笑顔だった。しかし無口で黙っていた。やはりやや変だと私は思った。
「いやぁ、あんたのお母さんは偉いねぁ。」
ご主人は言う。いい人だねぇ、心根のいい人だ。あんないい人滅多にいないよ。あんなお父さんを、と言ったところでご主人はぐっと胸に急き上げるものがあったらしく、涙ぐんで何も言えなくなった。そうして、彼は再び言葉を続けようとしては、あ…、あ…、と、言葉を言いそうになりながら、涙に咽び言い切れ無いでいた。
見かねた奥さんの方が、私が言いましょうかと、話し始めた。
「智ちゃん、いいお母さんに恵まれたね。」
「お母さん、お父さんの事を一生面倒看るって言ったんだってね。」
ねぇと奥さんはご主人に同意を求めるように声を掛けた。ご主人の方は言葉にならず口に手を遣り頷くばかりだ。私はぽかんと口を開けた儘そんな店主夫婦の遣り取りを見詰めていた。その内、ご主人は漸く口を開いて、偉い、偉い、…そう云ってまた言葉にならずに咽び泣き出した。
「綺麗な人だね。」
そうご主人は言う。如何やら彼は落ち着いてきた様だ。そんな夫に奥さんの方も本当にと相槌を打った。
「智ちゃんのお母さんは美しいねぇ。」
面と向かってそう言葉を掛けられた私としては、今日は如何なっているのだろうかと、狐に鼻を摘ままれた感がした。きょとんとしていると、如何したんだろうね、智ちゃん、今日は大人しいねぇと奥さんに言われた。大人しい、否、不思議そうだねと言われた方が合っていると私は思った。
「今日は不思議だなと思って。」
私は奥さんに応えた。